おしゃべりな猫
「にゃごにゃごにゃごにゃご」
「そうなんだ。全然知らなかった。覚えてなくてごめんね」
「にゃにゃにゃ、にゃあ! にゃあん?」
子猫は馬の背で何か喋り続けている。
その子猫と向かい合って受け答えしているセレフィアムの声も姿も、他の人には見えていなかった。
「なあ、あれなんて言ってるか分かるか?」
「全然。トゥインは?」
「分かるわけないだろ、猫だぞ」
「そうだよね」
だがその猫の言葉が理解できているらしい聖女様はやけに楽しげだった。
立ち止まってしまった馬をどうしたものかと2人で悩んでいると、門のほうから男性が小走りにやってきた。
「君たちは……この馬と子猫の飼い主かね?」
問われた相手に、トゥインが頭を下げた。
「はい。馬の持ち主はこのソウルで、リドルウッド公爵様からの御下賜品でございます。子猫も同様に、ソウルの飼い猫でございます」
驚いたソウルに、トゥインが小声で目配せをする。
「神官のエドガー様だ。頭を下げろ」
慌てて頭を下げようとしたソウルをエドガーが止める。
「いや、構わない、そのままで。ところで君たちにはあれが見えているのかな?」
あれ、と言われてソウルとトゥインは顔を見合わせた。
今この場で訊かれる「あれ」は彼女のことに間違いない。
2人はうなずいた。
「はい。聖なるお方ですよね」
「そうか。これからどこへ行くところだ? 宿は決まっているのか?」
「神殿へ向かっている途中です。宿泊もそこでお願いする事になっています」
「ちょうどいい。わたしも旅から戻ったばかりで、神殿へ向かっているんだ。詳しくは着いてから話すとして、ひとまずは歩きながら君たちの事を教えてくれ」
2人は了承すると、ソウルがこげ茶に近づいて歩くように促す。
トゥインはエドガーに並んで歩調を合わせた。
「それで、君たちの名前を教えてもらって構わないだろうか」
「トゥイン・アルトシアです」
「ソウル・フーセです」
「トゥインにソウル、だな。神殿へは何の用だ?」
「魔法が使えるので学びに来ました。アリョーシア村の神官、ホレイショ様の紹介状を持っています」
「ホレイショか。君は?」
「ソーリャに住民登録をしに来ました」
「ソーリャに? リドルウッド公爵から軍馬を下賜されたフーセというと、元神殿兵士のダイナ・フーセの息子か?」
「はい」
ソウルは軽い驚きで目を見開いた。
まさか神殿の神官に名前を覚えられているほどの事だとは思っていなかったからだ。
「ダイナには本当に申し訳ない事をした。彼は優秀な兵士だったというのに」
「いえ」
ソウルは短く返す。
誰も彼もがソウルの父ダイナを褒める。
だが本当のところはどうなのだろうと、ソウルの心にはわずかばかりの疑いが生まれていた。
尊敬する、愛する父。
だが彼を憎む者も、嘲笑う者もいるだろう。
そう考えると、ソーリャでは誰にも会いたくないし、父のことを話してほしくもない、という気になるのだ。
エドガーは歩きながら紹介状を確認すると、何か納得したような顔で荷物の中へと仕舞う。
紹介状によれば、トゥインという少年はすでにアリョーシア村の神殿預かりになっていて、神殿に所属している事になっている。
それで魔法の才が並外れているのだから、精神体となったセレフィアムの姿が見えるのは理解できた。
だが、分からないのはソウル・フーセのほうだ。
彼は母親が神殿の治癒者で、義理の父であるホレイショは神官である。
実の父も元神殿の兵士だが、彼自身は神殿とはなんの関わりもない。
にも関わらず、彼にもセレフィアムの姿が見えていた。
おそらくはあの黒い子猫が何かの鍵なのだろうと、エドガーはまだ楽しげに話し続けている子猫とセレフィアムを見る。
会話の内容は特に意味のないものになっているようで、時々セレフィアムの笑う声が聞こえた。
子猫も機嫌良さげに喉を鳴らしていて、鳴いているのか笑っているのか微妙な鳴き方をしている。
「あの猫ちゃん、お喋りしてるみた─い」
すれ違う子どもが母親に話していて、「ふふふ、そうね」と楽しげに返されていたが、エドガーは渋い顔で『見ちゃいけません』と言われなくて良かった、などと考える。
そして、トゥインが「あれちょっと気持ち悪いよな」と呟いたのに、心の中で同意した。
ソウルは曖昧に苦笑しただけだったが、きっと彼も同じに違いない。
そうこうするうちに神殿の門が目の前に見えてきた。
門の内にも外にも大勢の人がいるが、その中に老夫婦とそれを囲む数人の男女がいて、ソウルに気がつくと嬉しそうに手を振ってくる。
ソウルは複雑な笑みを浮かべて手を振り返した。
子猫が気がついてセレフィアムに何か言う。
セレフィアムは浮かんだ状態でソウルに近寄ってきて通訳した。
「あのね、ツェーラが挨拶した方がいいよねって言ってるんだけど」
それを聞いたトゥインが苦虫を噛み潰したような顔で天を仰いだ。
「やめてやれ。猫に挨拶されたら年寄りは腰抜かしちまうだろう」
「だからね、女の子になって、って」
「セレフィアム様、猫は普通人間になりません。お前も猫の姿でいたんならずっとそのままでいろ。挨拶したいなら別の機会があるだろ」
子猫を見て、セレフィアムを見てと、ずけずけ物を言うトゥイン。
機嫌が悪くなったような様子で子猫が唸り声を上げたが、ソウルは笑いながらその首元を撫でてやる。
「今度ちゃんと紹介してあげるから」
「にゃ!」
返事をする子猫に、ソウルは『さすがにこの姿ではまずいよな』とトゥインに感謝したのだった。




