旅立ち
ソウルは最近ようやくその背に乗るのに慣れてきた、こげ茶のたくましい馬体を撫でる。
数日前、ソーリャから村の神殿へ職員たちが訪ねてきた。
彼らは報告書類を受け取り、ソーリャからの物資を預けて、また戻って行く。
ソウルとトゥインはその職員たちの一行に同行させてもらう事になっていた。
「にゃあ」
ソウルの足元で黒い子猫が鳴く。
ツェツェーリアは、魔女に散々ねだってソーリャ行きの許しを得ていた。
トゥインが、何かあれば必ず魔女を呼び出すようにと言い含められていたが、おかげで転移魔法の代わりに念話魔法を覚えることになったため、トゥインとしては願ったりであった。
ソウルは子猫をひょいと抱き上げて肩に乗せると、その顎をくすぐった。
「俺は馬に乗るから、君はトゥインと馬車で大人しくしてるんだよ」
子猫はそれに抗議するようににゃあにゃあ鳴く。
だがソウルは構わず馬車のそばにいたトゥインのそばへ行って子猫を預けようとした。
しかし子猫はソウルの肩に爪を立てて抵抗する。
「ちょ、痛い、痛いって。俺も馬に乗るのはそんなに得意じゃないんだ。危ないから頼むよ」
「なんだ、お前のそばがいいってか」
「馬車の中は他の人もいるから、それでだと思うんだけど」
「困ったもんだよ、お姫様には」
トゥインのその言い草が気に障ったのか、子猫は毛を逆立てて「シャー!」と威嚇した。
捕まえようと伸ばしたトゥインの手を爪を出して攻撃する。
「っぶねえ! ほんと可愛くないな!」
「そんな事ないよ、いきなり捕まえようとしたら、誰だってびっくりするよ。今のはトゥインが悪い」
「はあ!? じゃあどうやって受け取るんだよ?」
「話せば分かるよ」
「いや、話してダメだったから捕まえようとしたんだが?」
納得いかない、と顔を歪めるトゥインに、ソウルは笑う。
「ほら、ツェツェーリア」
もう一度指先で撫でてやると、子猫はしぶしぶ立ち上がってトゥインの肩の上に飛び乗った。
「引っ掻くなよ」
「にゃにゃにゃ! にゃ!」
意外に仲が良さそうな2人が馬車の中に入って行くのを見送り、ソウルはこげ茶の方へと戻る。
ソーリャまでは他の町や村を経由しながら行くため、どんなに早くても2週間はかかる計算だ。
ツェツェーリアがソーリャへ行く事になったのには、本人が望んだ以外にも理由があった。
魔女は眠りから覚めたばかりでまだ力が回復していないが、魔女から力を与えられ続けていたツェツェーリアは元気いっぱいで力に溢れている。
そこで、魔女が遠い昔にしたソーリャの聖女との約束を果たしに、ツェツェーリアがソーリャへと行くことになったのだ。
現在、ソーリャには代々の聖女たちの魂が囚われ続けているという。
いつか人類が数を増やして、魔物や魔獣と戦う力を持つようになれば、結界を破壊して聖女たちの魂を解放する事になっていた。
そのために必要な魔力をソーリャは溜め続けている。
魔女はといえば、結界をただ破壊するのではなく、都市のシステムから切り離すための魔道具を準備していた。
動力となる魔力を注ぎ込む回路を複数作成して作業を分担させ、人工知能を必要としない街となるように。
その上で結界を破壊し、聖女たちの魂を世界へ還す。
ソーリャの聖女たちは、もう何千年もその日を待っているのだそうだ。
魔女は長く待たせてしまった事を申し訳なく感じているようで、1日も早くソーリャへと向かいたい気持ちがあるようなのだが、どうにも体調が回復せず、必要な魔力を用意できないのだという。
そこで、ツェツェーリアが代わりに向かうこととなった。
本人も行きたがっているし、と困ったような表情で眉をひそめながら魔女は繰り返し娘に言って聞かせる。
「ソウルとトゥインの言う事をよく聞くのですよ。2人の邪魔をしてはいけませんよ。1人でどこかへ行ってはダメですよ」
それを子猫の姿でうんうんと笑顔で聞いたツェツェーリアは、母親が息継ぎをしたタイミングで素早くソウルの元へ駆け寄り、「にゃにゃにゃにゃにゃー♪」と鳴いた。
抱き上げると、かすれたかすかな声で鳴く。
父親はそれを見てソウルに「すまないな」と謝った。
子猫は気にしたふうもなく尻尾を振って、その頭を撫でようとしたトゥインの手をはたく。
「本当にすまない」
もう一度謝った魔女の夫の声は、どこか力が無かった。
そんな事がありながらも今日を迎えたわけだが、この間、トゥインはやはり村でいいように使われそうになって神殿へと避難していた。
頼み事、という体で近所の人間や親戚からあれこれと言いつけられるのだ。
無視をすれば家族の立場が悪くなると兄に言われ、その兄からも当たり前のように命令される。
両親はそれを家族なんだからちょっとくらい、と受け止めていた。
神殿から正式に、魔法の行使には魔力を使うため身体的・精神的な負担があるという説明がされ、正式に魔法を学んでいないトゥインが魔法を使う回数を1日に3回までと定め、さらにはソーリャの神殿で魔法を学ばせると通達が出てようやく周囲も遠慮するようになったが、もう以前のようにはやっていけないとトゥインはぶつぶつ言っていた。
もともと、以前もけして仲良くやってはいなかったわけだが、トゥインの中で何かが絶たれてしまったのだろう。
もう戻らないとばかりに見送りすらも全て拒んでいた。
「ソウル、気をつけてね」
「うん」
「ソーリャに着けば、ダイナさんのご両親、君の祖父母が迎えにきてくれますから」
「うん」
「お兄ちゃん、気をつけてー」
「うん、うん、大丈夫だから」
よく分かっていない妹にまで心配されて見送られ、また戻ってくる予定のソウルは恥ずかしくなる。
もう戻らないトゥインに見送りがないだけ余計に。
「それからね、ソウル。お隣のリェラちゃんなんだけど」
「うん」
「実は来てるのよ」
母親が視線で示した先の木の影には、こちらをちらちらと見ているリェラの姿がある。
「トゥインくんに、ちょっとだけ会わせてあげられないかしら」
リェラは、虚弱で骨と皮ばかりだった幼少時、唯一相手をしてくれて可愛がってくれたトゥインによく懐いている。
健康になって村一番の美少女に成長した今でも、トゥインの後ばかりついて回っているほどだ。
「分かった」
ソウルはそう言うと馬車の方へ行って中を覗き込む。
中には子猫の相手をしておもちゃを振るトゥインがいた。
「なんだ? まだ出発しないのか?」
「リェラが来てるんだ」
「来なくていいって言ったのに」
眉をひそめながらも、トゥインはすぐに立ち上がる。
なんだかんだと面倒見がいい男なのだ。
駆けてきてソウルの腕に収まった子猫と一緒に、トゥインがリェラと何やら話すのを見る。
ソウルの家族も遠慮しているのか2人から少し離れた場所にいた。
御者が馬の体を軽く叩きながら、ニヤニヤとソウルの隣に並ぶ。
「いやあ、いいねえ。おいちゃんにもあんな彼女がいたら、もうすぐにでも結婚しちゃうんだがなあ」
「彼女じゃないんですよ、まだ」
「彼女じゃないのに置いてくのか! かあ──っ! 心配じゃないのかね!」
「う──ん」
困ったようにソウルは2人を眺める。
リェラが泣いて、トゥインがなだめているようだ。
トゥインがリェラをどう思っているかなんて、ソウルには分からない。
聞いたこともなければ、考えたこともなかった。
「お、戻ってくるな」
リェラを落ち着かせて小走りに戻ってくるトゥインの赤くなった顔に、ソウルは2人がうまく行けばいいな、と思った。
御者が合図を送ると、トゥインたちを乗せた馬車は動き出す。
ソウルはその少し後をこげ茶の背で追いかけた。
ゆっくり、ゆっくり、馬車の進みに合わせるように雲が流れて行く。
ソウルが振り向くと、村の出口にまだ家族とリェラが残ってこちらを見ていた。
妹は大きく手を振っている。
それにソウルも手を振り返すと、妹の笑い声がかすかに届いた。
よく晴れた青い空と穏やかな風は、旅立ちにふさわしい、よい日だった。
第三部はこれで終了です。
セレフィアムの閑話を一話挟んで、その次から第四部となります。




