独り立ちの条件
「今日はずいぶん早いな」
魔女の夫はやってきたソウルとトゥインを見てそう言った。
「昨日、村でいろいろあって」
「ああ、災難だったそうだな。先に送った子どもに濡れ衣を着せられたと聞いた」
「はい」
「まあ、幸い信じてくれる大人もいたようだし、後ろ指を指されるような事もないだろう。だがこれから先が悩ましいな」
男は腕組みをして考え込むような動きをした。
全身鎧のため、相変わらず何を考えているのか分かりにくい。
いっそ、昨日のようにずっと素顔をさらしてくれていればいいのに、とソウルは思った。
「はい、それで、そのうち村を出ようかと思っていて」
「そうか」
「そうすると、昨日の守護騎士の事とかって、どうなるのか分からなくて」
「ふむ……そうだな、あの村を出るとして、それからどうするつもりだ?」
訊かれて、あまりはっきりと考えていないとは告げづらく、ソウルはわずかに赤面する。
「とりあえず、近いうちにソーリャへ行って住民登録をして来ようと思ってます」
「なるほどソーリャか」
男はひとつうなずくと、腕組みを解いて魔女のほうへ声をかけた。
「確か、ソーリャへ行く話があったな」
魔女は大きな木を倒した上に腰をかけ、子猫姿の娘と何やら話していたが、夫に声をかけられて顔を上げる。
「ええ。まだ体調が回復していませんし、すぐには無理ですけれど」
「ソウルがちょうどソーリャへ行く用があるそうだ。ツェーラを一緒に行かせてはどうだ?」
「この子を?」
魔女は驚いたように目を丸くした。
「できるかできないかで言えば間違いなくできるのでしょうけど」
そして途中で言葉を切って娘を見る。
娘は楽しそうに母親を膝の上から見上げてくる。
魔女はその様子に首をふった。
「とても目を離せないわ」
絶対に無理だときっぱり告げる。
何をするかわかったものではない、と言外にその目が言っていた。
「そうか。まあ常に一緒にいる必要もないしな。そういうわけだ、すまぬが1人で行ってきてくれるか」
「わかりました」
ソウルには守護騎士というものが正直よくわからない。
恋人や婚約者とするものだと言われても、守ると約束しただけでなぜそうなるのかも実はさっぱりわからない。
必ず一緒にいなければならないのか、そうなるとあの村を出たらこの森で暮らすべきなのか、とか、考えることは山のようにあるのだが、師匠である魔女の夫も、魔女自身も何も言ってこないため、なんとなく訊きづらい。
何しろ、彼と彼女はツェツェーリアの両親なのだ。
その2人に、守護騎士となったからと相談をするのは申し訳ないような、恥ずかしいような、とにかくひと言では言えない感情がそれをためらわせる。
それでも訊かねばならないと意を決してみたものの、やはりこれ以上を訊ねるのは厳しかった。
「お前、ソーリャにはいつ行くんだ?」
トゥインがソウルに訊ねる。
「多分、早ければ来月かな」
「魔女様、俺もそのとき、こいつと一緒にソーリャへ行って、そのままあっちで暮らす予定なんだけど」
「まあ、そうなの?」
「村のやつらに魔法が使えるのがバレたから、早く縁を切ろうと思って」
さらっとそんな事を言ってのけるトゥインに、ソウルは驚きを隠せない。
飄々とした態度の彼は、自分などよりずっと上手く村人たちと関係を築いていて、先祖から住むこの村にそれなりに愛着があるかと思っていたのだ。
「向こうでは何をするのかしら?」
「とりあえず神殿で世話になるつもりです」
「神官になるの?」
「それはちょっと。できれば魔法の勉強をして、魔道具とか扱えるようになりたいなって」
「なら転移魔法を覚えて行くといいでしょう。そうすれば、ソーリャと森を行き来して魔法を学べます」
穏やかに微笑む魔女に、トゥインは頬を引き攣らせた。
「魔女様、転移魔法って相当レベル高いって分かって言ってます?」
「あら、なたなら大丈夫ですよ。ちゃんとできるまで丁寧に教えますからね」
嬉しくない、とトゥインが肩を落とす。
ソウルが同情したようにその様子を見ていると、魔女の膝から飛び降りた子猫が足元へやってきて「にゃあ」と鳴いた。
前足でぽんぽん、とソウルの足を軽くたたく。
抱き上げろという事だろうかと腰をかがめ、腕の中にひょいと抱え上げると、子猫は満足げに尻尾を振った。
「ソウル、あなたは?」
「俺、ですか?」
「ええ。あなたはソーリャへ行ってどうするのです? すぐに戻ってくるのですか?」
「はい」
「成人までは村に住むつもり?」
「いえ、その前に出たいと思ってます」
「住民登録を先にしておくというのは、その後はソーリャに住むということ?」
「いえ、まだ決めてなくて……。それで、その、俺、この森に住んだほうがいいんでしょうか」
ソウルが思い切って聞いてみると、魔女は首をひねる。
「なぜ?」
「だって、その、ツェツェーリアと契約したから……」
顔を赤くし、段々と小声になるソウルに構わず、魔女は淡々と返す。
「この子? どうしてこの子との契約が関係するのかしら?」
「えっ……と、ずっと一緒にいたほうがいいのかなって……」
「それであなたがここへ住む必要はありませんよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。眠っている間に夢の中で必要なことは教えておきました。この子に今、必要なのは経験です。人と関わった事がないから、勝手に契約を結ぶなんて事もするのでしょう。ですから、あなたが旅立つときはこの子も一緒になります。ここに住むより、外での経験ができるのでわたし達としてはそのほうがありがたいのです」
「でも、こんなに小さいし、師匠は生まれたばかりだって言ってたから、まだ一緒にいたいんじゃ」
ソウルに話を向けられて、魔女の夫は重々しく腕組みをしてうなずいた。
「そうだな。確かにあのときは生まれたばかりだったが、今はもう守護騎士を持つほど成長したしなあ」
どうやら彼らには魔法を使いこなせるかどうかが、独り立ちの目安のようだ。
人でない者たちの感覚は人間には分からない。
ソウルは戸惑ったようにトゥインを見たが、トゥインは苦々しく首を振った。
「だけど師匠、寂しくないの?」
「寂しいが、生きて元気でやっているなら問題はない。これまでのほうがずっと独りだったからなあ」
力なく笑った男に、ソウルは腕の中の子猫を見つめた。
任された、託された命。
守護騎士となるという事はきっとそういう事なのだ。
自分は守護騎士であるという事を軽く考えていたのだろうと、ソウルは反省した。
「本当に、俺なんかが守護騎士でいいのか?」
そっとささやけば、子猫は喉を鳴らしてソウルの腕に頭をすり寄せる。
己というものを肯定されたような気がして、ソウルは小さく笑みを浮かべた。




