契約
「そうか……契約してしまったのか……」
魔女の夫は驚くほど端正な顔をしかめて、ソウルをそばに呼んだ。
「その子をこちらへ寄越してくれ」
ソウルは言われるまま子猫を渡す。
男は腕の中の子猫をじっと見つめた。
にゃあ!
と鳴いた子猫に、男はため息をつく。
「ひとまず人の形をとってくれるか」
疲れたように言うと、子猫は男の腕から飛び降りて人の形をとった。
すんなりと伸びた手足。
華奢な、けれど弱々しさはない細身の体。
黒い髪の毛は短く、楽しげにくるくると渦巻いて。
それはソウルと同い年くらいの、とても可愛らしい少女だった。
子猫から姿を変えた少女は愛らしい笑顔で父を見上げた。
「お父さん!」
その父親は憮然とした表情で、娘の頭にごつん、と容赦のない拳を落とす。
「いったあい!!」
「なんて事をするんだ、お前は!!」
「なんで怒るの─?」
頭を押さえて涙目になる娘に、男はふるふると震える。
それに後ろから魔女が呆れたような声で言った。
「怒られて当然よ、あなた」
「ええ─」
「ええ─、じゃありません! 相手の承諾も得ずに勝手に契約をしてしまうなんて!」
「だって、守ってくれるって言った」
「言ったけどそういう事じゃありません! 早く解除しなさい!」
「ええ─、やだ」
「やだって、ほんともうこの子は……!」
親子の会話について行けていないソウルとトゥインは、互いの無事を確認しながらその様子を眺めている。
その足元にはウェザが縛られて転がされていた。
「契約って、何があったんだ?」
「それが、子猫があんまり小さくてかわいそうだったからつい、『守ってあげる』って言っちゃったんだ」
バツが悪そうにソウルが打ち明けると、トゥインは天を仰いで絶句する。
「そしたら、それが契約ってことになっちゃったみたいで……」
「なるほど、親が怒るわけだな」
「契約ってどういう事なんだ?」
「俺も詳しくは知らない。でも確か、エルフや精霊とかと安易に契約すると後で困るから気をつけろって昔、魔法を教えてくれた人が言ってたよ」
「そうか……」
お前の親父さんから教わったんだけどな。
今まで言えなかったそれを、今なら大丈夫なのでは、と口にしてみようとしたところ、ちょうどそこへ魔女が声をかけてきた。
「ソウル、あなたの意見も聞かせてちょうだい」
「あ、はい」
ソウルが小走りに近寄って行くと、魔女が娘の隣に並んで問いかける。
「今、あなたはこの子を守る守護騎士に選ばれているのだけれど、あなたはどうしたい?」
「いいよね、守ってくれるって言ったもの」
「あなたはちょっと黙ってなさい」
魔女に注意されて、娘は「むう」と唇を尖らせた。
その様子が可愛らしくて、ソウルは思わず頬を緩める。
「俺は、別に構わないです。先に守るって言ったの俺だし。でも、その守護騎士とか契約とか、よく分からないのでその内容次第、ということにはなりますけど」
「そう……」
魔女はそれを聞いて夫のほうを向いた。
「あなた、この子いい子ね」
その夫は得意そうに腕組みをして何度もうなずく。
しかし魔女は困ったように頬に手を当てて首を傾げた。
「でもそれだけに申し訳ない気がするわ。ちゃんと話し合って合意の上じゃないんだもの」
「そうだな。わしもそれが気になる」
「あのね、ソウル。守護騎士の契約というのはね、恋人や婚約者に対して行われることがほとんどなの」
「こっ……!?」
驚きに言葉を失うソウルに、魔女は続ける。
「そばにいて常に敵から守り、助けとなる。そういう契約だもの、普通はそういう相手は恋人や夫でしょう?」
「そ、そう、ですね……」
「ソウル、守ってくれるんだもんね。だからあたし、ソウルがいい」
「こういう事は勝手に決めるものでも、会ってすぐに決めるものでもありません」
険しい顔をしてみせる魔女だが、元々の性質なのだろう、愛情豊かな雰囲気が邪魔して全く怖くない。
「ソウル、良ければ契約を解除できるが、どうする」
男に訊かれて、ソウルはしばし考え込んだ。
「俺ひとりで守るのは難しい気がします」
「それは心配しなくてもいい。魔女との契約が完全なものになれば、お前には世界から魔女を守る力が与えられる」
「世界から?」
「魔女は世界を健全に保つため存在している。世界はそれに力を貸すのだ」
それは初めて聞く事だった。
「俺でも、守れるなら……頑張ってみます」
ソウルは己の師匠であり、娘の父親である男を見上げた。
「あんなに小さくて、俺よりも世間を知らない子が、守り手もいないなんてきっと良くないと思うので。もちろん、師匠と師匠の奥さんがいるから問題ないなら、俺は余計ですが……」
真剣な表情で懸命に話すソウルに、男は苦笑した。
「そうか」
そして妻を見て、相手が仕方ないと言うように頷いたのを確認してソウルの肩に手を置くと小さく笑みを浮かべて言った。
「すまんな。娘を頼む」
「分かりました、師匠」
ソウルは少しだけ嬉しかった。
目の前のこの男の、己の師匠である人物の役に立てる事が嬉しかった。
ドキドキと胸が高鳴る。
「我、シャーリアーズ・ラインズベルトはこの男、ソウル・フーセを、我が娘ツェツェーリア・ラインベルトの守護騎士として認める」
心臓の辺りが熱くなり、そこから光が放たれてどんどんと強くなっていく。
ざわざわと風が騒いだ。
爆発かと思えるほどの光を周囲に放って、光は消え、風も落ち着きを見せる。
ソウルはこの日、小さな魔女の守護騎士となった。




