魔女の目覚め
『よくやったぞ、小僧!』
楽しげなドラゴンの声にソウルは混乱する。
視界が光で真っ白になり、視力が戻らない中、ドラゴンの笑い声だけが耳に響く。
何か熱いものが体に飛び込んできて、全身を駆け巡り、そして心臓の辺りで塊になって、渦を巻いて溶けて同化した。
それは熱とともに苦痛を伴い、ソウルには長い時間のように感じられたが、ほんのわずかの事だったのかもしれない。
ちか、ちか、と真っ白な視界に光が明滅する。
ソウルは呼吸も荒く痛みに胸を掻きむしった。
そこへ、がし、と頭を大きな爪のある手で鷲掴みにされる感触。
死、という言葉が頭をよぎった。
しかし暖かな空気が全身を包んだかと思うと、次の瞬間には視界は元に戻っていた。
ほっと息をつくと、すぐそばにいたドラゴンが首を伸ばしてソウルを覗き込んできた。
『ふむ、大事ないようだな』
何が起きたのか分からず、ソウルが咄嗟に言葉を返せずにいると、ドラゴンは伸ばした首で前方を示す。
『見ろ、お前の成果だ』
そこには、ベッドに腰掛ける魔女と、その膝の上で魔女に甘えるように顔をすり寄せる黒い子猫がいた。
「目を、覚ましたのか?」
ソウルがつぶやくと、ドラゴンはにやりと笑った。
『お前が目覚めさせたのよ。責任重大だのう』
「責任? 責任って?」
意味が分からず聞き返したソウルに、ほれ、とドラゴンは再び魔女と子猫のほうを見ろと促す。
すると魔女が立ち上がり、ソウルの元へと子猫を抱いて歩いてくるところだった。
「あなた、名前はなんと言うの?」
「ソウルです。ソウル・フーセ。あなたの夫の弟子です」
「そう、あの人の。あの人にもずいぶん心配をかけてしまったでしょうね」
『わしも心配しておったぞ?』
横から話に入り込んだドラゴンに、魔女はくすりと微笑んだ。
「ええ、もちろんそうね。ごめんなさい、そしてありがとう。おかげで助かったわ」
『こんな事は2度とないようにしてもらいたいものだな』
ドラゴンがふん、と鼻息をひとつ吹いて不機嫌に言うと、魔女はその鼻面を楽しげに撫でた。
「ええ、もちろん。2度とないよう気をつけるわ。ありがとう」
『ではな、森守りの魔女よ』
「ええ、また」
ドラゴンが光の粒子とともに消えていく。
そして魔女は改めてソウルのほうを見た。
「それで、ソウル、あなた」
「はい」
ソウルは思わず姿勢を正す。
「あなたは何気なく言っただけなのでしょうね。でもね」
言いながら魔女は腕の中の黒猫をソウルにそっと抱かせる。
ソウルは流れのままに子猫を受け取る。
小さな体が温かくてじっと見れば、子猫はソウルを見上げて「にゃあ」と鳴いた。
なぜか魔女がため息をついて額を押さえる。
「その子は、あなたに守ってもらうつもりでいるの」
「え?」
言われたことの意味が分からず、ソウルは魔女を見た。
魔女はどこか申し訳なさそうにソウルを見つめている。
2人の目が合って、ソウルは魔女の言葉の意味をもう一度よく考えた。
そして、先ほど自分が言った言葉を思い出す。
『君のお父さんが待ってるよ。早く起きておいで。怖がらなくていい。俺が守ってあげるよ』
「あ……」
「ごめんなさいね。目を覚ますとき、勝手に契約を結んでしまったみたいなの……」
今度こそ本当に申し訳なさそうに魔女は顔を俯けて目を伏せる。
ソウルが混乱するままに腕の中を見ると、子猫が愛らしく「にゃあ!」と楽しげに鳴いた。
魔女の夫は洞窟から出て外で待っていた。
洞窟の中の空気は生者を拒否する。
それは魔女を守るために措置だったが、子どもたちには良くないと考えたからだ。
明るい日の下に出てしばらくすると、洞窟の結界が消えた気配がした。
まさか魔女が目覚めたのかと洞窟の入り口に近づくと、暗い奥にカンテラの灯りが見える。
ソウルと、ソウルの馬のこげ茶、そしてその隣には魔女がいた。
彼の愛する、待ち続けた妻。
言葉にならず、これは夢かと足元もおぼつかない様子で洞窟の中へと一歩、また一歩と進んでいく。
「シャーリアー、あなた!」
魔女が笑いながら走ってくる。
そして彼の首にしがみつくようにして抱きついた。
薫る花の芳しい匂い。
「妻よ」
「ええ、帰ってきたわ。あなたの弟子のおかげ。愛してるわ、シャーリアー」
「ああ。ああ」
彼の全身を包む鎧が消えていった。
銀色の長い髪が風になびく。
若々しい、美しい男がそこにいた。万感の思いを胸に、魔女を、愛する妻を強く抱きしめる。
魔女の森を柔らかな風が吹き抜けていった。




