ドラゴン
ソウルはカンテラを片手に慎重に進んだ。
村の近くに出るような魔獣や魔物に、強力な種類のものはいない。
ソーリャのある草原には強い魔物が多いが、それでも人間がなんとか抵抗できる程度だ。
ドラゴンとなれば、人が住むような辺りにはまず出てこない。
何より、普通の人間が敵うような生き物ではなかった。
ドラゴンは知恵のある魔法生物だ。
膂力でも魔法でも、人間はまず相手にならない。
ソウルは訓練用の剣には触れず、ポケットから石の割符を取り出すと握りしめた。
とっさの時に、すぐに示せるよう、そして剣を握っていることで敵意があると思われないためだ。
しばらく進むと、こげ茶が鼻を鳴らす音が聞こえた。
ほっと安心の息をはいて、思わずソウルは駆け出そうと足に力を入れた。
そこに声がかかった。
正確には声ではない。
頭の中に響いたのだ。
『小僧、止まれ』
ソウルはぎくりと足を止め、息も止めた。
何かが見ている。
洞窟のさらに奥、暗い闇の中から、何かがソウルを見ている。
何か、などと分かっている。ドラゴンだ。
だらだらと汗が流れるのを感じながら、ソウルはゆっくりと割符を前に差し出した。
「魔女の夫の弟子、ソウル・フーセです。その馬を探してきました。連れ帰りたいのですが、構いませんか」
闇の中から金色の目が近づいてくる。
それは爬虫類の目だ。
だがそこには人など気にもかけないほどの知性がある。
ごくり、とソウルは唾を呑んだ。
『魔女の夫、なるほどそれは銀雷の割符であるな。許そう、銀雷の弟子、ソウル・フーセ。さっさと連れて行け』
「ありがとうございます」
大きく安堵の息をついて、ソウルは割符をポケットに仕舞った。
そして殺されずにすむようだと確信してようやく、まじまじとドラゴンを見た。
ドラゴンは洞窟の中で窮屈そうにしているが、ここはさほど大きな洞窟ではない。
カンテラの灯りに時々光るように見える鱗が、赤くきらめく不思議な色合いにソウルは見惚れた。
『どうした、まだあるのか』
「ああ、いえ、あなたにはこの洞窟は狭そうだな、と」
『大きさなどどうにでもなる。今はさっきの小僧を脅かすのにこのサイズだがな』
言って、ドラゴンは大人と同じほどの大きさへと変化する。
便利だな、とソウルは感心したが、もしもトゥインがそれを聞いていたら「そういう問題じゃない」と頭を痛めることだろう。
「そうだ、それから、魔女の夫から魔女に伝言を頼まれているんです」
『伝言?』
「早く起きろ、と」
するとドラゴンはぐわらぐわらと笑った。
多分笑い声なのだろう。
ソウルは洞窟の壁に反射して響くそのひどい音に、耳をふさいで顔をしかめた。
『すまぬ。つい大声で笑ってしまったわ。目の前で魔女に言ってやれ。わしもあの女がなかなか起きてこないので飽き飽きしているのだ。いつもと違う事があれば起きるやもしれん』
言うと、ドラゴンはくるりと向きを変えて洞窟の奥へと歩き出した。
ソウルはこげ茶の首を撫でると、ケガがないかざっと確認し、ここで待つようささやいた。
「すぐに戻るからな」
「魔女はまだ目覚めそうにないんですか」
『まだかかりそうだな、迷惑な事に』
憮然とした様子で言うドラゴンに、ソウルは苦笑する。
『傷は治っているはずなのだが、なかなか目覚めん。まあ死んだ者を蘇らせるのだ、生半可なことではない』
「それは魔力があればどうにかなるのですか」
『魔力の問題ではない、実はな。おそらく心の問題だろう』
「心?」
『魔女ではなく娘のほうだ。父親の留守中、母親から離れて1人でいたときに攫われ、人質にされて殺されてしまった。それが心の傷になっているのだろう』
ソウルは黙り込んだ。
もし自分が、父や母のいないときにそんな目にあったら。
うまく言葉にできない苦いものが胸にわだかまって感じられた。
『ほら、あそこだ』
そこは洞窟の最奥で、広い部屋のようになっており、あちこちにいくつも灯りが置かれている。
視界に不自由しないため、ソウルはカンテラの灯りを消した。
ドラゴンが進む先にはベッドが置いてある。
その上には1人の女性が腕に何かを守るように横たわっていた。
「この人が魔女?」
『ああ。銀雷の妻、森を統べる魔女、エルフの友、様々な名前で呼ばれるが、わしにとっては大事な友人だ』
魔女の腕の中には布に包まれた小さな何か。
ソウルは布をほんの少しずらして、そこにいる小さな生き物を見た。
「猫?」
それは小さな黒猫だった。
子どもではないのか、と不思議に思ったソウルにドラゴンが説明する。
『魔女は様々な姿をとる。銀雷も元は人だが、今は肉体を持たない。どんな姿をしているかなど些細なことだ』
言われて、そういえばこのドラゴンも大きさが変わったな、とソウルは思い出す。
改めて見ると、それはとても小さな子猫だった。
いくつくらいだったのだろう、とソウルは悲しい気持ちになる。
こんなに小さな子猫を攫って殺してしまうなんて。
ソウルの身のうちに怒りが湧いた。
それはソウルにとって親しい感情だ。
「魔女、あなたの夫からの伝言です。早く起きてくれ、と」
そしてソウルは魔女の腕の中の子猫のひげにそっと触れた。
「君のお父さんが待ってるよ。早く起きておいで。怖がらなくていい。俺が守ってあげるよ」
ささやくように告げたそのとき、子猫の体が金色に光った。
「なっ……!」
目を開けていられないほどのまばゆい光。
腕で目を庇ったソウルを、ドラゴンが爪で引き寄せる。
洞窟の中に、ドラゴンのがなるような笑い声が響いた。
『よくやったぞ、小僧!』




