好き。
「お母さん、今日もウォルのところにお願い!」
セレフィアムは聖女の間に1人入り、扉を固く閉じると聖女アナスタシアの眠る透明な柱に近づいて願った。
途端、セレフィアムの足元が輝いて、白い光が立ち上がる。
わずかな浮遊感。一瞬めまいに似た感覚を覚えた、と思ったら、セレフィアムはもう街の外にいた。
そこは結界の端近く。
いつもの岩の上にウォルがいた。
「ウォル!」
声をかけるとウォルが振り向いて、眩しそうに目を細める。
セレフィアムは彼のその表情が好きだ。
笑うときに大きく口を開けて、声を上げて笑うのも好き。
セレフィアムよりも大きい、けれど骨ばった手で彼女の頭を撫でてくれるのも好き。
木登りを手伝ってくれるのも、疲れたと言ったら背中におぶってくれるのも好きだった。
ウォルは本当はウォーダンという名前だ。
昔読んだ絵本に、ウォルという騎士が出てきて囚われのお姫様を救ってくれる話があった。
少しだけ名前が似ていたので、『ウォルって呼んでもいい』と訊いたらぶっきらぼうに『別にいい』と言ってくれた。
ときどき口を尖らせて話すのも好き。
黒髪がお日様であったかくなるのも好き。
伸びた前髪を邪魔そうにかきあげるのも好き。
ウォルの何もかもが全部、不思議なくらいに好きだった。
本当はずっと一緒にいたい。
朝も昼も夜も、ずっとずっと一緒にいたい。
遠くまで一緒に旅をして、一緒に大人になって、物語の騎士とお姫様みたいに恋人どうしになって。
そしたらいつか、お母さんがわたしを産んだみたいにわたしも子どもを産むのだろうか。
そんなことはあり得ないと分かっている。
セレフィアムはそのうちお母さんの代わりにあの透明な柱の中に入る。
そうしたらきっと、もうウォルとは会えない。
だから今はできるだけ長くウォルと一緒にいたかった。
最近は議長様がしょっちゅう会いに来て、1人であんまり長く聖女の間にいるのは良くないって言って、一緒におしゃべりしようとセレフィアムに部屋から出てくるように言う。
けれど、セレフィアムはそれよりもウォルと一緒にいるほうが好きだった。
聖女の間に入る前のおやつの時間を長くしてもらって、その時間に議長様と話をするようになってからは、慌てて帰るようなことはなくなった。
でもやっぱり前に比べるとウォルといる時間は短い。
一緒に過ごす時間は楽しくて、そしてあっという間で。
セレフィアムは時々思う。
このまま。
このまま時が止まってしまえばいいのに、と。
セレフィアムが隣を歩くウォルの手にそっと自分の手を滑りこませて繋ぐ。
と、ウォルは驚いた表情で彼女を見た。
「どうしたんだよ」
「ううん」
セレフィアムは首を振る。
「ただ繋ぎたかっただけ」
「変なやつだな」
言いながら、ウォルはしっかりと手を握り返してくれた。
大好き。
セレフィアムの中には口にしない言葉がたくさんある。
大好き。
一番好き。
他のどんな人より一番好き。
たくさんお喋りして、たくさん笑って、でも口にしない言葉が。
あの絵本の騎士様みたいに、わたしを……。
それは大勢の不幸と引き換えになる言葉。
口にすれば、ウォルを誰よりも不幸にする言葉。
だから、セレフィアムは最後のその日までウォルとこうしていられれば、それでいい。
ウォルの腕にぎゅっとしがみついてみようかな……、ドキドキしながらそう考えたその瞬間。
どん、
下から大きな衝撃が突き上げてきた。
その日、ソーリャを巨大な地震が襲った。