初めから
馬はしばらく村長に預けることになった。
ソウルの家には馬小屋がなかったからだ。
そのため、レノスは神殿に厩舎を建てるための寄付をし、その間、村長に世話を頼むこととなったのだ。
ソウルは、村長の孫と仲が良くない。
だが馬の世話などしたこともなかったので、これを受け入れる他はなかった。
レノスが去って、村の人々は手のひらを返したようにソウルと母を褒め称えた。
立派なご主人だったんだねえ。
帝国の公爵様とご縁があるなんて、今まで言ってなかったじゃないか。
今後もぜひこの村で暮らしておくれよ。
その全てに笑顔で対応する母のようには、ソウルはできなかった。
不機嫌な様子の彼を、部屋で休むよう下がらせてくれたのは義父だ。
父が死んで1年とたたないうちに再婚を申し込まれ、それを受けた母をソウルはよく思っていない。
それは義父に対してもそうだったが、けして認めていないわけではなかった。
軽く頭を下げて部屋へ引っ込むと、ベッドの上に横になる。
自分は、騎士になりたいのだろうか。
問うても答えは出ない。
考えてみた事もなかったのだ。
とにかくいつかソーリャへ行って復讐したいとそればかりで。
父が何を為したのかが周囲に知れて名誉が守られ。
誰が今まで自分たちを助けてくれていたのか、見ないフリをしていたそれを知って。
では今何がしたいか、将来どうなりたいかと突きつけられても分からなかった。
本当は、疑っていたのだ。誰よりもソウル自身が。
父は英雄ではなかったのではないか。
名誉の死などではなかったのではないかと。
ぼろぼろと涙がこぼれた。
父は、無駄死にではなかった。
誇り高い、立派な人だった。
喉がひきつれるように痛む。
うつ伏せになって、枕で声を殺した。
ソウルの父は、彼にとってだけでなく、本当に英雄だった。
それがとても誇らしかった。
朝になって、全身鎧の男は今日も洞窟の前の石に座っていた。
彼は眠る事がない。
眠らなくとも疲れる事がない。
そうして常に愛する妻と子の眠る洞窟を守っていた。
ソウルは、朝日の中でじっと動かない師の姿が胸に迫るようだった。
それが感動なのか、同情なのか分からない。
ただ、自分にはできないとそう思った。
近づいていくと、男はソウルのほうへ鎧兜の顔を向けた。
「どうした。今日は早いな」
「相談が、あって」
短く答えて、自分のこれまでの物言いが恥ずかしくなった。
この人は、自分に剣を教えてくれているのに、自分は周囲の大人への怒りに満ちた態度と同じものをぶつけてしまっていた。
「でも、その前に」
己の情けなさを感じながら、ソウルは頭を下げた。
「今まで、申し訳ありませんでした、先生。これからも、どうかご指導よろしくお願いいたします」
深く深く頭を下げられて、男は首をひねった。
「む? いやもちろん、嫌だと言っても途中で見捨てたりはしないが……何かあったのか?」
訊かれて、ソウルは真っ赤になる。
「昨日、父に命を救われたという貴族が村にやってきて……」
「ほう?」
「父を英雄だと、感謝していると言ったんです。帝国の公爵様で、馬と剣をもらって、騎士になるなら訪ねてこいと言ってくれて」
「なるほど。それで?」
「そしたら村のみんなの、みんなじゃないけど、ほとんどみんなの目が変わって。でも変わらない、良かったなって言ってくれるやつもいて……。なんていうか、くだらないなって思ったんです。俺、今までくだらない事で怒ってたんだなって。そうしたら、師匠みたいになりたいと思った。師匠みたいな強さが、本当の強さなんじゃないかって」
黙って聞いていた男は、ソウルの頭を撫でた。
「お主なら、わしより強くなれるよ」
泣きそうにへの字口になったソウルに、男は明るい声で続ける。
「それではまず、初めからやり直しといこうか」
そして右手を前に差し出した。
「わしは魔女の夫にして守護騎士。名前は色々あって、全部はもう思い出せん。好きなように呼ぶがよい。して少年、そなたの名は何という?」
ソウルは差し出されたその手を強く握った。
「ソウル・フーセ。ソーリャの農夫、ダイナ・フーセの息子の、ソウル・フーセです」
「ダイナの息子ソウル。そなたは剣で何を求める?」
「俺は……」
騎士になりたい?
兵士になりたい?
それとも農夫? 治癒者?
答えが出ないまま、彼は今の自分のあるがままを口にした。
「俺は、強くなりたい。人に左右されず、人に支配されず、真実を正面から受け止められるような、そんな強い剣士になりたい」
男は兜の中で笑ったようだった。
握っていた手を離すと、ソウルの肩をがっしりと掴む。
「お前はすでに強い。強さは果てのあるものでも高みにあるものでもない。日々生きる心の中にこそあるのだ」
ソウルがうなずくと、男はいつもの訓練をする広場へと歩き出した。
「だが、物理的な強さもまた、絶対に必要なものではある。でなければ愛する者を守れぬからな。剣、心、筋肉、金、権力。全てだ。全ての強さが尊い。その全てを手にして初めて、ようやく守れるものも存在する」
金と権力、と言われてソウルはわずかに顔をしかめたが、金があったからこそソウルの家族はこの村で守られた。
権力があったからこそ、公爵はソウルの父に名誉を与えられた。そしてそれはソウルたち家族を救った。
それは否定できない事だった。
「全ての力は使いようだ。そして、正しく使える者が持つことで世界は救われる」
ソウルの若い清廉さを求める心にはまだ腑に落ちない。
けれど、頭から否定していくことはうもうやめよう。
そう考え、ソウルは力強くうなずいたのだった。




