暗殺計画
ダイナはその日、結界の外に出ていた。
安定期に入ったばかりの妻は、この数日熱を出して寝込んでいた息子と一緒に家にいる。
1日の畑仕事を早々と終え、ダイナは息子に精のつくものを食べさせてやろうと考えたのだ。
普通の鳥や獣の肉でもいいが、やはり回復のためには魔力をたっぷり持った魔獣の肉がいい。
結界の外にしかいない魔獣を狩るため、ダイナは1人で結界の外の岩陰に隠れていた。
狙いは草食の魔獣、ツノウサギだ。
通常のウサギと比べると大型で、大人の半分ほどの大きさがあるそれを1羽でも仕留めることができればしばらく肉に困らない。
高く売ることもできるが、ダイナは近所と分け合うつもりだった。
少しでも誰かの助けになれば。
ダイナに深く刻まれた罪の意識は、今も彼を誰かのためにあれ、人のために生きろと強いてくる。
兵士として鍛えられた精神と肉体が、それを苦にしないまま可能にしていたが、その姿は事情を知る身近な人間からは痛ましく映るのだと、本人は気がついていなかった。
臆病なツノウサギの群れは集団で周囲を警戒していて、近づくのは難しいため岩陰で待ち構える他に手がない。
ダイナは岩陰でツノウサギが弓の圏内に入るのをじっと待っていた。
そこへ馬に乗った集団がやってくる。
その気配を察知して、ツノウサギは群れごと離れて行ってしまった。
ダイナは軽く気落ちしながら、群れを追おうと立ち上がりかけて動きを止めた。
馬に乗った男たちが近くでひそひそと話し始めたからだ。
ダイナは魔法を操る才に秀でた神殿の兵士だ。
中でも、エリートとして選び抜かれた優秀な兵士だった。
臆病なツノウサギにさえその気配や殺気を気取られないほど。
そしてその彼の存在に気づかないまま、男たちは計画を確認し始める。
「馬はここまでだ。俺が預かって陣へ戻ろう」
「頼む」
「殺す相手の確認はできたか」
「ああ。遠目にだが」
「レノス・リドルウッドだけではなく、その場にいる全員を殺せ。目撃者を残すな。ソーリャに行って将軍に会い、戻って来なかった、という状況を作る必要がある」
「全く、急な変更というのは困るんだがな」
「ああ。おかげで陣内では誰に聞かれるか分からんので打ち合わせもできん」
「こちらとしても対象者がソーリャに向かうのは予想外だったのだ。だがこれで上手くいけばレノス・リドルウッドの殺害と一緒にウォーダン将軍の責任追及もできる」
「上手くいけば、な」
「ウォーダンは殺せなくとも構わん。あれは化け物だからな。アスガレイドの先祖返りだそうだ。だがレノス殺害の罪を着せて解任できれば、アスガレイドのみならず、ソーリャもゴール大陸も全て雇い主のものになる」
「俺たち下々にも分けて欲しいもんだな」
「全くだ」
つまらなそうにぶつぶつと言いながらも、男たちは武器の最終確認をし始める。
ダイナも腰の剣を確かめた。
もうずっと人間相手には剣を振るっていない。
できるのだろうか。
何が正しいのだろうか。
あの男たちか? ソーリャにいる将軍か?
幼い聖女を守ろうとしていた無力な少年の顔が浮かぶ。
彼はかつてその少年を殴り、蹴飛ばした。
自分の判断が正しいかどうか、ダイナは今も自信がない。
正しいのは誰だ?
この男たちか? これから殺される男か? 罠にかけられようとしている将軍か?
1人が馬を連れて戻って行った。
残った男たちは草原の丈の高い草に隠れるように腰を落とし、ゆっくりと結界のほうへ進む。
おそらく、出てきたところを狙っているのだろう。
ダイナはまだ動けない。自分では判断できなかった。
隣人を助けるだけならまだいい。
だが何がソーリャのためになるのか分からない。
呼吸が乱れ、どくどくと心臓がうるさく響く。
いつの間にか男たちは遠くへ離れて行ってしまっていた。
どうしたらいい。
どうしたら。
一体、何がソーリャのために。
ああ、そうか。
ダイナはようやく答えを見つけた。
ソーリャのためになること。
自分で分からないなら、聖女のためになることを考えればいい。
聖女のため。
それはソーリャを守ることになる。
だから今、彼がすべきことは、『聖女がソーリャを託した人物を守ること』。
ダイナは岩陰から立ち上がった。
うるさかった心臓の音も凪いでいる。
結界のほうで剣戟の音がした。
ひとつ、大きく呼吸をすると剣に手をかけてダイナは走り出した。




