恩
「やあ、ウォーダン。これからはなんて呼べばいいのかな。都市王様? それとも将軍様のまま?」
どうせ好きなように呼ぶのだが、レノスはにこにこと腕を広げて機嫌良くウォーダンに近づいてくる。
ウォーダンはそれに答えずにソファを勧めた。
「今忙しい。そこで待っててくれ」
「ああ、もちろん。突然押しかけてきたわけだしね。酒は誰に預ければいいのかな?」
ウォーダンが視線を向けると、そばに控えていた部下が動いて受け取る。
一本を残して他を運び出すと、帰りにはメイドを連れていた。
メイドの淹れてくれたお茶をひと口飲んで、レノスは微笑んだ。
「これはなんのお茶だい?」
お茶を淹れ終えたあとは壁際に控えていたメイドはそばへやってきて答えた。
「ツワァイ産の紅茶です。香り高くクセが無いので飲みやすいかと思ったのですが、お口に合いませんでしたでしょうか」
「いや、美味いよ。そうか、これがツワァイの紅茶か。ぼくの祖先にはお茶好きな人物がいてね。ツワァイの紅茶を飲みたいと向こうの大陸で色んな茶葉を試していた人がいるんだ。結局似た味は出せてもツワァイには及ばないと書き残していたが、なるほど。これは確かに忘れ難い香りだね、ありがとう」
メイドはほんのり頬を赤らめて壁際へ下がる。
それをウォーダンは呆れたように見ていた。
「グラスを出したら全員下がっていい」
キリのいいところまで確認を終えるとウォーダンは立ち上がってソファへと近づく。
そしてレノスの土産の酒を取り上げた。
「ファーシャの火酒か」
つい頬が緩む。
リドルウッド侯爵領で生産されているその酒は、ファンが多いにも関わらずそのほとんどが販路には乗っていない。
造られた全てが侯爵家で管理され、こうして社交でのみやり取りされるのだ。
あまり人付き合いを好まないウォーダンでさえレノスを受け入れてしまうほどなのだから、リドルウッド家の先祖の作戦は成功している事は間違いない。
「祝いにはぴったりだろう?」
「ああ」
ウォーダンが渋々認めると、レノスはソファにゆったりと背を預けてふんぞり返った。
「さあ、せっかくの機会なんだ。ソーリャのご馳走で歓待してくれたまえよ」
「図々しい奴だな。安心しろ、しばらくしたら運ばれてくる」
「いつも食事はここでなのか? 美人の神官とか巫女は一緒にディナーの席に着いてくれないわけか?」
「男でいいなら神官たちが喜んでやってくるぞ」
「うん、久しぶりだし君と2人がいいかな」
扉が開いて使用人たちが入ってくると、次々とテーブルに酒のつまみが並べられる。
レノスはそれを楽しそうに眺めていた。
「温かい料理か。いいね。でも大丈夫なのか?」
「ああ。この街で出されるものは心配ない」
「へえ。それは君が都市王だから?」
「そうとも言える」
料理に毒など良くないものが入り込まないよう、都市機能がしっかりと監視している。
そしてそれはウォーダンに出される料理に限らず、ソーリャでは誰の口に入るものであってもそうなのだ。
レノスはソースがかかった塊肉を口に入れて満面の笑みを浮かべた。
「美味い。ここを離れたくなくなるな、これは」
「食ったらさっさと陣地へ戻れ」
「つれないなあ。夜じゅう語り合おうとか言ってくれないのかな」
「その体力はアスガレイドで使え」
「そうそれ、アスガレイドだよ」
それそれ、とレノスは持っていたフォークを振る。
ウォーダンはそのフォークの先を見て顔をしかめた。だがやめろとは口にしない。
「アスガレイドがなんだ」
「戦後処理だよ、アスガレイドの」
「まだ開戦してもいないのにもう戦後の話か」
「こういった事は早め早めじゃないとね。それに皇帝陛下はどうするかとっくに決めてるだろう?」
「ああ」
「多分大部分は君のものなんだろうけど、そのうちの幾らかをぼくに回してほしい」
「なぜだ」
「餌にするんだよ。バカな連中のね」
レノスは片手を振り、へらへらと笑った。
レノスの軍の大半は公爵家からだ。血の気の多い人間が、先祖の恨みを晴らそうとやってきている。
そしてミッドガルシャでは財産にあぶれた連中が、こちらで土地や権利を手に入れようと考えているのだ。
だが皇帝が考えているのは正確には戦後処理ではない。
戦争による処理だ。
ウォーダンが片眉を上げてにらむと、レノスは悲しげに両手を大きく広げた。
「みんな、我こそはと手柄を取りたがる。でも先陣は切りたがらないんだな、これが。だけど確実に手に入るものがあれば、彼らを説得しやすい。頼むよ、助けると思って。侯爵家の人間っていうだけじゃ、公爵の親族の皆様方は言う事を聞いちゃくれないんだ」
ウォーダンはため息をついた。
彼はこのうるさく付きまとう軽薄な男が嫌いではない。
他人に見せる顔の大半が嘘で塗り固められていると分かってなお、嫌いになれないのだ。
時折、自分はこんなにも他人との触れ合いを求めているのかと驚くことがある。
そしてそれは大体、この男と会ったあとだった。
「やっても構わんが、餌にして本当にくれてやるのか」
「まさか! 餌がなきゃ言う事を聞かない知能の低い獣はいつまでも飼っておけないよ。可愛らしいペットならまだしも、あいつらに可愛げなんて期待できないからね」
そう言って笑うレノスの目は、だが冷え冷えと光って笑ってはいない。
本当ならここにいるのは公爵家の次男のはずだった。
公爵は自分の息子を戦には出さず、しかし他の親族たちが参戦して発言権を増すことも嫌がった。
リドルウッド侯爵軍が編成されたと聞いたときウォーダンは、次男のほうが軍を率いているのだろうと思っていた。
皇帝の養子になって8年。脇目も振らずここまでやってきた彼は、あいにく帝国の貴族に詳しくない。
その詳しくない中でも、この目の前のレノスという男はけして悪くない貴族ではないのかと考えていた。
だからレノスの姿を出陣式で見て目を疑ったが、理由は貴族のくだらない跡継ぎ問題だった。
彼がウォーダンの思っている通りの人物ならば、必ず生き残るだろう。そう思うからこそさして心配もしていないが、予想は大きく外れていないようだった。
「おまけに、戦争が始まればどさくさに紛れてぼくを殺すつもりのやつがいるんだ。あっちこっちにね。どうにかしてそいつらを前線に出さなきゃぼくの身が危ない」
「自分でどうにかできるだろう」
「ぼくもまあまあ腕に自信はあるけど最強じゃないからね。暗殺者まで雇ったようだし、ぼくを殺せる人間なんていくらでもいる。そしてぼくはここで死ぬつもりはないんだ。絶対に生きて帰って侯爵になる」
レノスの笑みが初めて消えた。
「だからどうだろう、ぼくに恩を売る気にはならないか、ウォーダン」
そしてウォーダンの答えはもう決まっていた。




