レノス・リドルウッド
侯爵家には2人の息子がいた。
レノス・リドルウッドとドノバ・リドルウッドである。
レノスは侯爵の最初の妻の子どもで嫡男だが、この妻とは政略結婚であり、またレノスを産んですぐに死んだため、侯爵は直後に次の妻を迎えた。
この妻は地方豪族の娘で侯爵の幼馴染みでもあり、侯爵は彼女と念願叶ってようやく結婚できた事を喜んだ。
2人は長年の恋人同士であったのだ。
日陰の身であった恋人を妻に迎え、妻となった彼女は男の子を産み、順風満帆だった侯爵だがひとつ問題があった。
そう、長男のレノスだ。
最初の妻は公爵家の出身で、その忘れ形見で嫡男でもあるレノスをないがしろにもできない。
これが愚かな問題児であれば良かったが、あいにく文武両道に優れる神童と呼ばれるような子どもで、そのまますくすく育って見目麗しい、評判の良い青年へと成長した。
侯爵は悩んだ。
跡継ぎとするならレノス以外にない。
血筋も順番も力量も何もかも。
だが彼は最愛の妻との間に生まれた次男が愛おしい。
1人心のうちでどうするかと考えを巡らせている最中、レノスの祖父である公爵が死んだ。
レノスの伯父が跡を継いだが、間を置かずに帝国はゴール大陸へ侵略を決める。
先代の公爵は父祖の恨みを強く引き継いでいたが、レノスの伯父はそうではなかった。
彼の子どもは息子が1人と娘が2人。
嫡男をわざわざよその大陸へ送り込んで、妄執の犠牲にはしたくなかった。
親戚中から派兵を求められてうんざりしていると耳にした侯爵は、彼にレノスを差し出した。
前公爵の血を引くレノスならば、親戚どもの声も抑えられる。
しかもレノスは武芸にも秀でて軍を率いるにも実力は十分だ。
そしてこの新しい公爵は甥への愛情はさほど無かった。
こうしてレノスは侯爵家を代表し、母の実家である公爵家とその親族の支援も受けてこのゴール大陸にいる。
「レノス様、将軍から返事が届きました。挨拶は不要、このままアスガレイドへ向けて進軍せよとの事です」
「そうか。彼は相変わらずガードが固いなあ」
笑みを浮かべたまま彼は考え込むように腕を組む。
「まあいい。馬と酒を用意してくれ、将軍閣下の好きなやつだ」
「いいのですか?」
「着いたから入れてくれと言えば、彼は追い返しはしないよ。まあ他の奴はどうだか分からないけどね」
レノスは帝国で何度もウォーダンと顔を合わせている。
手合わせをした事もあれば、皇帝の孫や貴族たちに絡まれているのを助けてやった事もある。
もちろん、恩に着せていずれ返してもらおうと思ってやった事だが、いつも淡々とした態度の彼は、この程度どうとでもなったというような様子で恩に着たようでもない。
それでも気にせず繰り返しあれこれ手を貸しているうちに、他の者に対するよりは幾分受け入れてもらえるようになったと……、レノスは少しだけそう感じていた。
結界の近くまで来ると、どこから見ていたのか機械に乗った兵士がやってきて声をかけてくる。
ミッドガルシャ帝国のレノス・リドルウッド、リドルウッド侯爵家の者だと伝え、ついでにウォーダン・エヴァンズ・グリュプス将軍の友人だと付け加えると、兵士は慌ててどこかへ連絡を取った。
しばらくして、兵士がレノスに小さな端末を差し出した。
「お話しください」
「どうも」
手渡された端末から、間違いなく仏頂面をしているだろうウォーダンの声がする。
「いつお前と友人になった」
「いつだろう。一緒に朝まで飲んだときかな。それとも君が初めて高級娼館へ行ったとき? ああ、初めて皇宮の兵舎で剣の稽古をして、教官にボコボコにされてるのを助けたときかもしれないな。それとも……」
「もういい。何の用だ。さっさとアスガレイドへ行けと伝えたはずだが」
「ひどいなあ。通りすがりに陣中見舞いに寄ったんじゃないか。友人の出世は祝うものだろう? 都市王就任、おめでとう!」
端末の向こうからあからさまなため息が響く。
レノスはそれを笑顔で受け止めた。
「祝いなどいらん、帰れ。そしてさっさとアスガレイドへ向かえ」
「いやいや、言葉だけじゃなくてしっかり行動でも表さないとね、こういう事は。君の好きなうちの領地で造ってる酒を持ってきたんだ。一緒に飲もう」
返事はない。
しばらく沈黙が続いて、それからそばに待機していたソーリャの兵士がレノスに話しかけた。
「リドルウッド様とお付きの皆様、神殿へご案内いたします。そのまま馬で前へお進みください」
言われてゆっくりと結界へ向かう。
すると結界は彼らを拒む事なくするりと受け入れた。
空気が変わった。
暖かで穏やかな、汚れのない平和な空気。
それは結界の外のどこか殺伐とした満たされない乾いた空気とは全く違う。
柔らかな風が吹いて、レノスは目の前の風景が輝いているような気さえした。
兵士が笑顔で言う。
「ようこそ、ソーリャへ。帝国の皆様」
敵意のない歓迎の言葉。
侵略された側の、侵略者側へのものとも思えない言葉に、レノスと部下たちは何度も目をまたたいた。




