午後の訪い
セレがやってくるのは、いつも午後遅くなってからだ。
たいてい3時の鐘の後。
だからウォーダンは、それまでに狩を済ませておくことにしている。
きっと、セレに生き物を殺す様は耐えられないだろうから。
きれいなきれいなセレ。
初めて会ったのは結界の端で、草原にぽつんと大きな岩の上に座って、ぼんやり風が草原を吹き抜けるのを眺めていた。
季節は春。
ソーリャの春は来るのが早い。恐ろしく厳しい冬をあっという間に追い払い、雪解けのあとの大地に魔法のように草の海が現れる。
その生命の強さに満ち溢れた光景を見つめるセレは、どこか寂しそうに見えた。
それともあれは結界の外を眺めていたのだろうか?
生きている人のようには思えなくて、幻を見ているのかとじっと見ていたら、彼女はこちらに気がついてにっこりと笑った。
その様子があまりに愛らしくて、やはりこれは人ではない存在なのだとウォーダンは確信したものだ。
話してみれば、無邪気で純粋なただの子どもだったが。
きれいな傷ひとつない小さな手が、ためらいなく自分の手を取るのが嬉しくて、ウォーダンは彼女の事を名前以外なにも訊かなかった。
訊いてしまえば、この夢のような優しい時間が終わってしまうような気がして。
他の地域よりも早くきて、他の地域よりも長くたゆたう春。
その春から穏やかに交代して輝く初夏。
美しい季節の中で得られた、初めての友人。
たった数ヶ月を過ごすうちに、ウォーダンとセレは分かち難く心が繋がれた。
それはおそらく、互いに頼るものの少ない子ども同士の、初めての他者との繋がりがもたらしたものだったのだろう。
だが始まりはどうであれ、2人はその短い間に互いをかけがえのない存在だと認識するようになったのだった。
「セレフィアム様はまだ聖女の間からお戻りにならないのか」
「はい。まだお小さいですから、お母様のおそばが離れがたいのでしょう」
微笑んだ女は、突然訪ねてきた男に不愉快になる事もなく、それを当然のこととして受け止め、茶を用意してもてなした。
男はこの街の議会の長である。
本来なら彼がわざわざ出向くような用など何もないのだが、これだけは違った。
現聖女であるセレフィアムの教育の状況を確認し、愛情をそそぐ。
これだけは、他の誰にも譲れない大事な仕事だ。
しかしそれも最近はうまく行っていない。
ここ数ヶ月、午後の勉強の時間のあと、セレフィアムは聖女の間に入ってなかなか出てこなくなっているからだ。
母親といっても血の繋がりなどないというのに。
男は表面上は穏やかな様子を崩さぬまま、しかし内心では苦々しげに吐き捨てた。
聖女の間。
ソーリャの中心、聖女ターニャ・ソーリャを祀る神殿の最奥には、そう呼ばれる場所がある。
そこには、透明なポッドの中に女性が1人、眠っていた。
街の住民に聖女として崇められる娘は、いずれそのポッドの中に入って街を守るための眠りにつく。
清らかな心を持つよう、人々を守り慈しむよう教えられ、聖女として育てられる彼女たちは、その力が尽きるその日まで眠り続けるのだ。
そしてその命が尽きると、次の聖女がポッドの中でまた眠りにつく。
彼女たちはポッドの中で夢うつつのまま、ソーリャの人々の幸福のために生きているのだ。
そんな彼女たちから好意を得、他の人間よりも少しだけ贔屓をしてもらう。
男の一族はそうやって代々、幼い聖女に取り入って、その地位を確かなものとしてきた。
聖女の間に入る権利を手にし、ときにポッドの中の彼女らに礼を言い、笑いかけ、外の様子を知らせてやり、助けてくれと泣きつき。
ものを知らない小娘を操るのは非常に楽な仕事だった。
だが最近は、セレフィアムが聖女の間で過ごす時間が長くなっていて困る。
彼の時間は子どもの甘えなどで使っていいほど安くはないのだ。
そのうち、少し厳しく躾けてやる必要があるな、と、男はどう小娘どもを言いくるめるか考えながら、出された茶の礼を丁寧に述べた。