安全な街
ウォーダンは祖父と一緒に旅をしている。
出身はどこなのか、よく分からない。
ウォーダンは旅の途中で生まれたらしいし、祖父と父、母はそれぞれ別の国で生まれた。
その両親も旅の途中、ウォーダンがまだ赤ん坊の頃に死んだらしい。
らしい、というのは祖父はそう話したからだ。
ソーリャについたのは昨年、寒さが厳しくなる前で、できればここで落ち着きたいと最近めっきり体力の落ちた祖父は言う。
ソーリャにはそうした土地を持たない旅人が多くやってくる。
それはつまり、その日暮らしの仕事を取り合うほど人が多いという事だ。
彼らのような人間は、たいてい街に宿を取る事ができずに街の外、結界の内側でテントを張る。
数が増えすぎると衛生的に良くないと言われて、少人数で肩を寄せ合うようにして過ごしているが、それ以上に増えると結界内にすら入れてもらえなかったりする。
結界の外には野生の獣や魔獣がいた。
魔族や魔物といった存在も恐ろしいが、普通の人間には大型になれば獣ですら致命的だ。
冬の間、結界の中に入れなかった人々の悲鳴が吹雪の間を縫うように聞こえてくる事があり、人々はそんなときどうしようもなく、ただ互いに身を寄せて耳をふさいだのだった。
「ウォル、ヒナを連れて帰るのはダメかしら」
楽しげにそんな事を言うセレに、ウォーダンは無表情で返す。
「母親が悲しむかもしれないぞ」
「そっか……そうだね、じゃあやめる!」
ウォーダンの手を借りて木に登り、鳥の巣を覗き込んで目を輝かせたセレは、迷う様子も見せずに諦めた。
ウォーダンが奇妙に感じるのはこんなときだ。
あまりに諦めが良すぎる。
貴族や大商人の大切に育てられた子どもがこんなに物分かりがいいだろうか?
まるで普段から諦めることを当たり前として躾けられているかのようだ。
彼のようなその日暮らしの放浪の民の子どもならいざ知らず、大事に大事に屋敷の奥で育てられたような少女が?
その違和感は気味が悪いほどの不協和音を彼の中にもたらす。
何か大事なことを見落としているような、そんな感覚。
ウォーダンはそれを無視して、木から下りると近くの低木に咲いていた鮮やかな黄色の花を摘んでセレの髪に挿した。
「かわりに今度、花冠を作ってやるよ」
「ほんと? 約束ね! ありがとう!」
セレの笑った顔がどうにも落ち着かなくて、ウォーダンは視線を逸らして約束したのだった。
ソーリャの周辺は豊かな草原で、春から夏にかけては食料に困ることはない。
寒さが厳しい秋と冬は、それでも森へ出かければ、飢えずに済むくらいはなんとかなる。
結界の外まで出てしまうと、逆に森の生き物に殺されなければ、という条件がつくが。
ウォーダンは幸い、わずかながら魔法が使えた。
まだ成人もしておらず覚醒前だが、魔獣を相手にするくらいなら1人でもどうにかなるくらいには強かった。
ここで、街の外でかまわないから結界の中で過ごすことができれば、祖父と一緒に静かに暮らせるかもしれない。
そんなことを考えていた。
「じいちゃん、今日は卵があるんだ。しっかり食べて精をつけてくれよ」
「森へ行ったのか? 結界の外には出ていないだろうな」
「出てないよ。心配性だな。ここは街の近くの森や草原でも、鳥や兎がたくさんいる。これまでと比べたら楽なくらいだよ」
「そうか。ならありがたくいただこうか。わしだけじゃなく、お前の分もちゃんとあるんだろう?」
「大丈夫だって! 俺育ち盛りだぜ? 自分の分はちゃんと確保してるよ」
笑って言ったウォーダンに、祖父は安心したように破顔した。
そう、ここはとても暮らしやすい。
まるで何かの魔法がかかっているかのように森も水も全てが豊かだ。
周辺の国家はこの街を含む一帯をどうにかして手に入れたいと思っているが、街の結界がそれを阻む。
通常では考えられないほど安全で幸福な街。
それが無防備都市ソーリャだった。