重さのない
その後、神殿側の調査で、議会から兵士の配置に手が入っていたことが明らかになった。
神殿の兵士、ルードゥ・ハストは監視室が録画していた一部始終により、その凶暴性と危険性が改めて指摘され、徹底した精神鑑定や魔法による尋問が行われた。
結果、異常なまでに肥大した自己顕示欲と他者への共感能力の低さ、自己の快楽の追求のためなら手段を選ばない歪んだ精神性が認められ、これまで審査をどうやって潜り抜けてきたのかが問題となった。
更なる調査により、神殿内部に多くの議会議員たちの手が入り腐敗が広がっていた事が判明、関係者のうち罪の軽い者は罪人の印を押され、魔法で消すことができないよう処置をされて街から追放された。
罪が重かった者のほとんどは終身刑、地下施設に収監された。
ただし、ルードゥ・ハストはセレフィアムを脅迫し、支配しようとしたとして死刑。
その部下については、班長であるルードゥとその親族に弱みを握られ、洗脳されていた事が分かり、罪は減じられた。
兵士として神殿に残ることはできないが、治療ののちリハビリを兼ねて仕事を与えられることになるという。
そして、ウォーダンとその祖父はソーリャから姿を消した。
不思議なことに、傷が治ってもウォーダンはしばらく目を覚まさなかったが、ある朝、テントがあった場所には何もなくなっていて、どこへ行ったのか誰もその行方を知らなかった。
エドガーはセレフィアムに頼まれて、監視室も使って彼らを探したが、都市の中にはいないという事しか分からなかった。
ソーリャ議会はその権限を大きく削がれ、何人かは追放されたり議席を失ったりしたが、上位者の顔ぶれが変わる事はなかった。
「忌々しい」
呟いたエドガーに、アナスタシアがくすくすと笑った。
『だから冤罪でもでっち上げればいいって言ったのに』
「そんな事はできませんよ。それをやったらソーリャも神殿も終わりです」
1人の執務室で、いつものように勝手に出入りする実体のない聖女へ答えを返し、エドガーは大きくため息をついた。
この聖女は日頃からあちこちへ好きに出入りし、べったりと背後霊のように誰かについて回ったり、かと思えば何週間も姿を見ないこともあったりと、考えや行動が読みづらい。
とりあえず自分のプライベートを守れればそれでいいと、極力気にしないようにしていたが、まさか地震とその後の結界の拡張で死の瀬戸際まで弱っていたとは思いもしなかった。
普段、ソーリャのことなどどうでもいいように振る舞っているだけに意外だったが、アナスタシアにはアナスタシアなりの愛情を持ってソーリャを守っているらしい。
『ほんとはわたしが殺してもいいんだけど』
冷めた目でそんな事を言われて、エドガーは頭が痛むような気がして額を押さえた。
「やめて下さい。聖女が気に入らない人間を殺して回っているなんて、噂が出ただけでもぞっとします」
『別にいいじゃない。気に入らない人間、じゃなくて悪党や犯罪者なんだから』
「それを証明できなければ、犯罪は犯罪とは言えません。悪かどうかなど、心象でどうとでもなることは特に」
『エドガー。だからあなたは聖女の代わりになれないのよ』
「よく知っています」
彼が高位の神官の地位についたとき、この街の聖女のシステムの真実を知った。
アナスタシアが次の聖女を選ぶつもりがなく、聖女たちは代々街の住人の魔力を吸い取り、強い魔力を持つ者が現れないように調整しているという事も。
ソーリャに魔力の高い人間が生まれなくなったのは偶然ではないのだ。
エドガーの妹は年齢的に安全だが、しかしそれではアナスタシア亡き後は街が滅びる。
代々の聖女の記憶や思いを受け継ぐアナスタシアは、できればあまりこの街の人たちを傷つけたくはない。
聖女たちの、自らの子孫への愛情や執着も、わずかながら理解している。
だが、同時に今も残る彼女たちの意識ですら、現在の聖女というシステムを受け入れることはできず、結界がなくなる事で滅びる街なら滅ぼしてしまったほうがいいと全員が納得してもいるのだ。
エドガーは、自分がアナスタシアの跡を継ぐ事で、昔のシステムに戻そうと提案したことがある。
そのときにも彼は言われたのだ。それだからお前にはなれないと。
ねえエドガー、あなた必要ならこの街の人間全員、なんの説明もせず殺せる?
そんな事はできるはずもないと答えた彼に、アナスタシアは笑った。
それができなければこの街の聖女にはなれないわ。
聖女たちは、必要とあればこの街を滅ぼす。その覚悟がいつでもできているというのだ。
そもそも初代のターニャ・ソーリャは、30人ほどしかいなかった生き残りの人類を守り生かすため、その人生の最後を聖女システムというものを作り上げ、自らを実験台にした。
破壊された世界から人々が立ち上がって、その勢いを取り戻すまでのやむにやまれぬ選択のはずだったのだ。
それが、まさか次々と代を重ね、人類が力を取り戻した今でもその性質を歪めて機能し続けるとは……、思いもしなかったわけではないだろう。おそらくは人を信じたかった。
聖女たちは冷徹な視線で観察を続けている。
ただの魔力の高い女子どもでしかなかった彼女たちが聖女と祭り上げられて。
『議会議員とその関係者全員、とかどう?』
「だからやめてください」
『神官ってほんと、みんな頭が堅いのよねえ』
ころころ笑うアナスタシアは、先ごろ大量の魔力を手に入れてご機嫌だ。
おかげで寿命が伸びたと楽しげにスカートの裾をひるがえしてくるくる回っていた。
その大量の魔力の元は、もちろん今回地下に収監された犯罪者たちだ。
都市機能とは繋がりがなく、魔力を吸い取るためだけの装置に入れられ、死ぬまで出られない。
議会の人間を全員片付けたら物事が上手く進むだろうか、と考えて、エドガーは軽く頭を振った。
やはりそれはどうしてもできない、と彼の良心が声を上げる。
幼少期に人の醜さを見た彼であっても、誰かの大事な存在であるだろう人間を、邪魔だからと殺すことはできなかった。
その心のうちを見透かすように、アナスタシアは目を細めて笑うと、エドガーの机の上に腰掛けて足をぶらぶらと大きく動かす。
『頭の堅いお人好しの神官なんて、利用されて食い物にされるだけよ』
エドガーは自嘲気味に微笑んで、立ち上がるとアナスタシアの前に回って手を差し出した。
「そうかもしれませんね。でもぎりぎりまで、この街を守る方向で頑張りますよ」
聖女たちは、そしてアナスタシアは、口でなんと言おうとこの街とこの街の人々を愛している。
だから、死の瀬戸際に追い込まれるまで守ろうとするのだ。
そんな事を言えば、『魔力が手に入る当てがあったからやっただけだ』と言い張るだろうが。
「行儀が悪いですよ、下りてください」
エドガーが言うと、アナスタシアはいたずらっぽく笑って、その手をエドガーの手の上に重ねる。
そこにはなんの感触もなく、重みもない。
けれどまるで彼の手を借りたように優雅に机から下りて、アナスタシアは微笑みを残して消えた。
『またね、エドガー』
静かになった執務室の中、エドガーはしばらく己の手を見つめていたが、気を取り直したようにまた仕事へと戻っていったのだった。
そして、10年の月日が過ぎた。
これで1部が終了となります。
次話から2部です。
あらすじは2部の最初のほうまでなので、このあと活動報告で少し説明します。
ネタバレに近いと思う方もいるかと思うので、ご覧になるさいはご注意ください。




