誓い
兵士4人がかりで暴行を受けているさ中、ふっと意識が遠くなったと感じた直後、ウォーダンは突然真っ暗な場所に1人で立っていた。
意識を失ったあとどこかへ連れてこられたのか、と辺りを見回すが、誰もいない。
セレはどうなった。あいつらは。
「あの子は無事よ。今は、あなたは意識だけここへ来ているの。少しだけ、話をしたくて」
背後から響いた声にびくりと身を震わせて振り向く。
そこには栗色の髪を長く伸ばした、ウォーダンよりも2つ、3つ年上に見える少女がいた。
とても優しそうな、穏やかな目をしている。
「はじめまして、ウォーダン。わたしはアナスタシア。セレフィアムの母親、という事になっているわ」
にこにこと告げる少女に、ウォーダンは困惑した。
セレフィアムの母親なら、どんなに若くても二十代の半ばくらいのはずだ。
だが目の前の少女は、どう見ても十代の半ばくらいにしか見えなかった。
「ソーリャの聖女はね、機械の中で眠りにつくの。冷凍睡眠というのだけれど、詳しい事は説明するのが難しいから省くわね。それに、実の母親、というのとも違うし」
ウォーダンはこくりとうなずいた。
ソーリャは魔法の技術だけでなく、旧時代の科学技術をも利用している街だ。
学のない彼にはそもそもが分からない。
「今は、あなたの肉体から意識だけを切り離してここへ連れてきたの。訊いてみたい事があったから。あなたは、さっきセレフィアムに一緒に逃げようって言ったわね?」
「はい」
「あれは心から? それともあの子が可哀想で言っただけ? ああ、怒ってるわけじゃないのよ。ただね、あなたとおじいさん2人でも、旅は大変だったでしょう? そこに世間知らずの女の子……それもあれだけの綺麗な子を連れて、無事に帝国まで辿り着けると思う?」
ウォーダンはうなだれた。
帝国は遠い。
海を超えてその先の、大陸を統一した絶対の支配者、ミッドガルシャ帝国。
その祖は、このソーリャのある大陸にある国、アスガレイド王国から逃亡した王族であると言われている。
アスガレイド王国。それはウォーダンの祖父が冤罪で追放された国だ。
ウォーダンにとっては見たこともない国だが、時折、祖父が懐かしそうに微笑みながら話す。
彼はいつも、それを不快に感じながら聞いていた。
ウォーダンの祖父は帝国に行くことを良しとしていない。
軍事大国である帝国は、魔力のあるものは必ず一度は徴兵されるからだ。
孫を兵士にはしたくない。その思いから、そして海を越える困難さから、ウォーダンの祖父は帝国へ向かおうとはしなかった。
「まあ、普通に考えたら無理よね。それで、もしたどり着くだけの力があなたにあるとしたら? どう? あなたは帝国へ行く? 帝国へ行けば間違いなく軍に入る事になるわね。能力を示せば上に上がれる。でも、人を殺す戦争に加担することになるわ。顔も知らない、穏やかで優しい人々を戦争に巻き込んで、殺して、奴隷みたいに扱ったり、あなた自身が奴隷のように扱われる事だってあるかもしれない。それでもあなたは帝国へ行く?」
重ねて問われ、ウォーダンはしばし考え込んだ。
そう、普通に考えたら無理なのだ。
帝国へ向かう船は数が少ない。
海の魔物は強力で、無事に海を越えるだけの戦力を持つ船に乗ろうとするなら、今のウォーダンには手が届かないような金額を要求されるだろう。
そして行った先にあるのはけして輝かしい未来ではない。
だが、それでも。
「帝国へ、行きたい」
くすり、とアナスタシアは笑みを浮かべた。
子どもの衝動だ。
状況も何も分かっていない、バカな子どもの衝動。
しかしそれが人生を決定し、動かしていく事だってある。
「セレフィアムのために人を殺せる?」
「必要なら」
くすくす、とアナスタシアはまた笑った。
「あの子を決して裏切らないと誓える?」
「誓える」
「そう。ではこれは契約よ。ウォーダン・バイロン。お前はセレフィアム・ターニャ・ソーリャを生涯愛し、病めるときも健やかなるときも、変わらず守る事を誓うか」
「誓う」
「ではお前にその力を与えよう。その身、その一族に関わる呪いを全て解き、ソーリャの聖女を守る資格を其方に与える。お前にはソーリャへの自由な出入りの許可が与えられる。ソーリャの都市機能はお前を今後害する事はない。お前がセレフィアム・ターニャ・ソーリャの忠実な夫である限り」
「お、夫!?」
動揺するウォーダンに、アナスタシアは当たり前のことのように答えた。
「そうよ。一体なんの誓いだと思ったの?」
アナスタシアはウォーダンの驚きが理解できていた上で楽しげに笑う。
この聖女、実はひどく性格が悪い。
「い、いや、でも、俺まだ12だし、セレなんかまだ10才だし、それにあいつの気持ちとか、いないとこでこんな話、良くないっていうか」
「子どもの結婚は親が決めることも多いものよ。それにあの子、さっき『結婚する』って言ってたじゃない」
「いやあれは! その場の勢いっていうか、本気じゃないかもしれないし……」
「なに、じゃあさっきの誓いなし?」
冷たい目でアナスタシアがウォーダンをにらむ。
「なしじゃないけど! 誓うけど! でもセレがなんていうか分かんないし……」
「めんどくさい子ね。誓うの? 誓わないの? 誓わないなら他の相手を探してあの子をあげるだけよ」
「駄目だ! 誓う! セレは他の奴には渡さない!」
とっさに叫んだウォーダンに、アナスタシアはつまらなさそうに腕組みをし、ふん、と鼻を鳴らした。
「最初からそう言えばいいのよ。こっちは時間がないんだから。じゃあ次はこれからの事ね。まず、あなたは帝国を目指しなさい。そしてそこで将軍になるのよ。将軍になったら、アスガレイドへの侵略戦争を皇帝に献策しなさい。必ずあなたがトップとして派遣されなければダメよ。その途中、ソーリャを王国への橋頭堡として押さえるの。王国や他のものは全て皇帝にくれてやりなさい。でも、ソーリャだけはダメ。ソーリャに関わるものは全てあなたのものよ。できるわね?」
できない、とは言えなかった。
無茶苦茶だ、と思いながらもウォーダンは悲壮な決意でうなずく。
なんとしてもどんな手段を使ってでも成功してみせなければ。
それにアナスタシアはやはり笑う。
「大丈夫よ。あなたにはその力がある」
言いながら、アナスタシアはウォーダンの胸を指でぴたりと指した。
ウォーダンは常からの癖で、手で胸を隠そうとかばい、身をひねって後ろへ下がった。
「その呪いを全て解くわ。封じられた力を解放し、さらに眠っている始祖からの才能を開花させる。忘れないで、ソーリャの都市王。ソーリャの街はあなたの前にひれ伏す。けれど、人々だけは別よ。1人では、このソーリャの住人全てとは戦えない。ソーリャの最初で最後の王、ウォーダン・バイロン。帝国へ行きなさい。あなたが王であると知られないうちに。あなた1人ではソーリャに巣食う悪意の前に斃れてしまう。だから、帝国を使いなさい。アスガレイドを餌に帝国を呼び込み、この街を手にするのよ」
途端、ウォーダンは胸に焼けるような熱さを感じた。
胸の中心、そこにある魔力封じの印が熱を持って、まるで燃えているようだった。
「ううっ……!」
「その印は、魔力を封じるだけではないわ」
淡々とアナスタシアが言う。
ウォーダンは胸を服の上から掻きむしり、布を引き裂いた。
そこに現れる、白い光を放つ魔力封じの印。
それがひときわ強く輝き、そして光が消えたそこには別の紅く輝く印があった。
いや、印ではない。それは、
「アスガレイド王家の紋章。魔力封じの印でも完全には封じる事のできなかった強い魔力。魔力を封じる印は、その紋章を隠すためにつけられたのよ」
驚きでウォーダンは言葉が出ない。ただ手を震わせて胸の紋章を見ている。
それに構わず、アナスタシアは続けた。
「しばらく、体を癒して魔力を馴染ませるため、あなたは眠り続けるわ。目が覚めたらすぐに帝国へ旅立ちなさい。わたしはこれからエネルギーを大量に補充するから、もうしばらくはあの子も眠りにつく事はないわ。多分、10年くらいは大丈夫。でも何が起きるかわからないから約束はできない。バカがバカな事をするかもしれないし」
そう忌々しげに言って、アナスタシアはずい、とウォーダンに顔を寄せた。
「だから急ぎなさい。帝国は遠い。将軍の地位はもっと遠いわ。手の甲に印をつけておく。ソーリャにフリーパスで入れる印よ。人に見えるようにしておくから、それを利用しなさい。急いで。必ず、あの子を助けに来るのよ。そしてこの街を、この街の結界を滅ぼして……」
再び、意識が遠くなる。
目を開けると、セレフィアムが彼を覗き込んで泣いていた。
「セレ」
体中が痛い。
目もほとんど開かない。
けれど、セレフィアムから温かな魔力が流れ込み、ゆっくりと痛みが遠のいていった。
「ウォル。ごめんなさい、ごめんなさい、どうしてこんな事……」
ウォーダンはセレフィアムの治療で少しだけ動くようになった唇から息とともに言葉を吐き出す。
「泣くな、セレ……」
セレフィアムはしゃくり上げながら涙を止めようとする。
ウォーダンは続けた。
「お前は悪くない。……一緒に街を出よう」
言って、『ああ、今はまだダメなのだ』と思い直す。
まずは力が必要だ。
彼女を連れ出して、誰にも奪われない、守り抜く力が。
それは今の自分にはない。
セレフィアムがウォーダンの手を握った。
俺の、セレ。
俺の大事な、大事な、きれいでかわいいセレ。
「いつか、必ず」
ウォーダンはその手を握り返す。
「いつか必ず、助けに来る」
そして気を失った。




