悪
暴力描写があります。
遠くから近づく何かの音に、先に気がついたのはウォルだった。
「何か来る」
そう言って、セレフィアムを背後に庇って警戒する。
セレフィアムには、それは耳にした事のある音で、兵士たちが乗って神殿の外へ出かけるのを時折見かける、ホバーバイクの駆動音だった。
だから、心配ないと笑ってウォルに声をかける。
「大丈夫、あれ、神殿の兵士の乗ってる機械の音だよ」
そしてそれがどんどん近づいてくるのを見て、ちょっと困った顔をした。
「ここにいるのが見つかったら、怒られちゃうかも」
バイクは猛スピードで迫ってくる。
ウォーダンは兵士たちから感じる敵意に顔を強張らせた。
すぐそばまでやって来て、2人を囲むようにして止まると、1人、兵の中でカラーの違う装備をした男がバイクから降りてセレフィアムに話しかけた。
「聖女様、お迎えにあがりました」
他の兵たちも同様にバイクから降りる。
セレフィアムは観念してウォーダンの背中に隠れるのをやめた。
少しばかりうなだれて足を一歩、前へ出す。と、ウォーダンはその腕をつかんで引き留めた。
「だめだ、セレ、行くな」
「でも」
「行くな、行ったら」
死んでしまう、と、ウォーダンは最後まで言えなかった。
迎えに来たと告げたリーダーらしき男が、素早い動きでウォーダンをセレフィアムから引き剥がし、殴り飛ばしたのだ。
「ウォル!」
駆け寄ろうとしたセレフィアムの腕を、今度はウォーダンではなく兵のリーダーがつかまえた。
その思いやりのなさに、セレフィアムは全身に怖気が走った。
これは何。
凶暴な愉悦、支配する喜び、破壊の快楽。
これは何。
このおぞましい気配は。
「離して!」
「聖女様、お静かに。騙されているのですよ、あれは流民、ソーリャを汚そうとする悪辣な輩です」
「違う! ウォルはそんな事しない!」
「聖女様は外の世界をご存知ない。外には聖女様を騙し、利用しようとする人間が多いのです」
「ふざけるな!」
ウォーダンが声を荒げた。
「お前らこそ、セレを利用してる! セレはお前らの道具じゃないぞ!」
立ち上がったウォーダンに、男は舌打ちして部下に命じる。
「おい! そいつを黙らせろ! 聖女様のお名を軽々しく愛称で呼ぶなど、厚かましいにもほどがある! 身の程を教えてやれ!」
「はっ!」
部下に兵士たちがじりじりとウォーダンに近づき、逃げられぬよう輪を作って狭めていく。
「くそっ……」
ウォーダンは両の手に拳大の炎を出す。
兵士はそれを見て身構え、警戒を強めたがそれだけだ。
ウォーダンの出す炎は、子どもにしては上出来だったがそれだけだ。
日頃から対人訓練を重ねている大人の兵士が4人もいるならば、手こずるほどではない。
そして彼らには微塵も油断はなかった。
「ウォル……、ウォル、逃げて! お願いやめて、ウォルに酷いことしないで!」
彼らが本来忠誠を誓っているはずのセレフィアムの声にも揺るぎはしない。
目の前の少年は、聖女に対し何事か企む許しがたい敵だった。
ウォーダンの斜め後ろについた兵士が先に動いた。
飛び掛かろうとして、ウォーダンの視線が向いた途端に後ろに下がる。
反対側、死角になった背中側から兵士がウォーダンの腕を取ろうと手を伸ばしたが、間一髪でそれをかわす。
が、ほぼ同時に右正面兵士が足払いをかけた。
それに気づかず地面に倒れたウォーダンの襟を1人が掴んで引き起こすと、あとは一方的な暴力が続く。
腕を捻られ、顔や腹を殴られ、血を流して様相の変わっていくウォーダンに、セレフィアムが悲鳴を上げた。
「やめて! お願いやめて、やめてよ!」
男が片手を上げた。
「やめ」
セレフィアムと比べると静かなひと言だったが、兵士たちはウォーダンへの暴行をやめる。
「おいガキ、なぜ聖女様に近づいた」
返事はない。ただ男を見上げてにらみつけている。
もう一度手を上げようとした男に、セレフィアムが叫んだ。
「理由なんてない! 友達なの! 一番大事な友達なの!」
その言葉に、男はにやりと顔を歪めて笑った。
この流民のガキは、聖女の弱点だ。
このガキを手にしていれば、俺は何をしてもいい。
それはとてつもない快感だった。
溢れてくる全能感。ソーリャを、世界に名だたるこの街を、何もかも自分のものにできる。
彼を見下し、暴れる以外に能はないと神殿へ送り込んだ一族を見返し、この手で操るのも潰すのも自由。
思わず声を上げて笑い出しそうになった。
だがそれを抑えてセレフィアムを見下ろす。
「聖女様、流民を友達などと、ましてや一番大事などと、間違っても言ってはなりません。聖女さまにとっての一番は我々、ソーリャの民でなければならないのです」
冷たい、鋼のような声だった。
とりつく島もない。
そこに、自分は人間だと思われていないのでは、とセレフィアムはぞっとする。
セレフィアムから答えが無かったことが少しばかり気に食わなかった男は、片方だけ口の端を上げて、セレフィアムの耳元で彼女にだけ聞こえるように楽しげに言った。
「あれが生きていると、聖女様はソーリャを大切にできないのですねえ」
違う。そうじゃない、違う。
セレフィアムは小さく首を振るが、恐ろしくて声にならなかった。
男が顔を上げる。
「連れて行け、殺して結界の外に埋めてしまえば行方不明で済む」
「やめてえっ! 何でもする、何でもするから、ウォルを殺さないで!」
男は部下に背を向けると、腰を屈めてセレフィアムにささやいた。
「何でもする、と、そう仰いましたか? 聖女様」
蛇のようだ、と絡みつく視線を感じながらもセレフィアムがうなずこうとしたそのとき、ウォーダンが叫んだ。
「だめだ!! セレ、だめだ! そんなヤツの、こんな街の連中の言うことなんか聞くな!! 俺が助ける、必ず助けるから、だから絶対に諦めるな!!」
ちっ、と男は忌々しげに舌を打つと手で再開の指示を出した。
兵士たちが再びウォーダンをサンドバッグのように殴り始める。
血が飛び散り、くぐもったうめき声が時折漏れる。
「いやああああああっ!!」
セレフィアムは声も枯れんばかりに泣いた。
肉を殴る音、何か硬いものが折れる音。
ずっと、穏やかに、平和に暮らしてきた彼女には想像もつかない、理解できない出来事。
「やめて、やめて! ウォルを殴らないで! お願い、やめてったら!」
力がない。弱い。届かない。
力がない弱い者たちは、踏み躙られるしかないのだろうか。
そのとき、魔力の乗った声が辺りに響いた。
「やめなさい!」
紫の神官であるエドガーの、その命じることに慣れた力に兵士たちの動きが止まる。
セレフィアムはエドガーのほうを見ることもなく、ようやく男の手から逃れてウォーダンの元へ駆け寄った。
「ウォル! ウォル! ごめんなさい、ごめんなさい、いま治してあげる、しっかりして、ウォル」
顔は赤や紫に腫れ、口元には血を吐いた跡がある。
セレフィアムは震えながら回復魔法をかけた。
「ウォル、ウォル、お願い、目を開けて……」
「セレ」
「ウォル。ごめんなさい、ごめんなさい、どうしてこんな事……」
ウォーダンはセレフィアムの治療で少しだけ動くようになった唇から息とともに言葉を吐き出す。
「泣くな、セレ……」
セレフィアムはしゃくり上げながら涙を止めようとする。
ウォーダンは続けた。
「お前は悪くない。……一緒に街を出よう」
声にならず、また返事もできないままセレフィアムはウォーダンの手を握る。
「いつか、必ず」
ウォーダンはその手を握り返す。
「いつか必ず、助けに来る」
そして気を失った。
泣きじゃくるセレフィアムに、紫の神官服を着たエドガーが近づいてきた。
「彼を、家まで送り届けましょう。彼らにはもう手出しできないようにします」
セレフィアムはその言葉に、何度も何度もうなずいた。




