逃げよう
『監視室、何かあったのか』
「こちら監視室。セレフィアム様が街の外へ出ている。どうやってかは分からないが、一緒にいる少年が唆したようだ。至急セレフィアム様を保護してくれ」
『了解した、すぐに向かう』
連絡を寄越した兵士長の声が緊張する。
「頼む」
頼む、急いでくれ。
どういうわけか気が焦る。
モニターを見ると、2人の子どもは岩の上に並んで座っている。
見つめ合い、固く握られた手。
事情が違ったなら、それはとても微笑ましい光景に違いないのに。
「セレフィアム・ターニャ・ソーリャ。ソーリャの聖女」
ため息をつくように、ウォーダンはその名をゆっくりと口にした。
「うん……驚かないの?」
「だいたい予想はしてたから」
「そうなの!? すごい!」
「転移魔法が使える人なんて、滅多にいないなからな」
ウォーダンはわずかに眉間にしわを寄せる。
なんだろう、褒められても嬉しくない。
「そっかあ……じゃあ怒ってる?」
「怒ってる? なんで?」
「黙ってたから」
「別に怒ってないよ」
「ちゃんと名前言わなかったのに?」
「セレはセレだよ。聖女じゃなくて、俺の友達」
セレフィアムはその言葉に嬉しくなって笑み崩れる。
友達。
俺の友達って、ウォルが言ってくれた。
でもどうしてだろう、もっともっと、と欲張りな心が出てしまう。
何が欲しいのかよく分からないまま、セレフィアムは体を前に倒してウォーダンの胸に額をつけた。
あたたかい。
あたたかくて、安心する。
「それで、聖女アナスタシア様の跡をつぐって、なに?」
ふわふわと幸せな気分から一気に現実に引き戻されて、セレフィアムの顔から笑みが消えた。
それは本当は言ってはいけないこと。
神殿の秘密なのだ。
でも、言わないとウォルはどこかへ行ってしまうかもしれない。
「あの、あのね。お母さんはね、もうすぐ死んでしまうかもしれないの。そしたら、次はわたしがこの街を守るの」
「聖女が死ぬ……?」
「うん。聖女は『聖女の間』に入って祈ってることになってるんだけど、本当はちょっと違って、『聖女の間』の中で、聖女は街とひとつになるの。そうしたら、もう死ぬまで眠り続けて、外には出られない」
「は?」
死ぬまで眠り続ける?
外には出られない?
なんだそれ。
部屋から出ないんじゃなくて、出られないのか。ずっと眠ってるから。
それも、死ぬまで?
「それって、セレ、つまり……」
「会いたくても会えなくなるの。『聖女の間』に入れるようにはできるけれど、きっとウォルはわたしの声が聞こえない」
お母さんの姿も見えないし、声も聞こえなかったから。
「でも、それでもいいからわたし、ウォルに会いたいの。ウォルに街にいて欲しいし、時々でいいから会いに来て欲しい」
懸命に願ってくるセレフィアムの言葉の、半分もウォーダンには聞こえていなかった。
セレフィアムは今、自分は死ぬと言ったのではないか?
そんなことばかりが頭の中でぐるぐる回っている。
「セレ、それって、おまえは死ぬってことか?」
するとセレフィアムはきょとんとして返した。
「ううん、違うよ。眠ってるだけ」
「じゃあ、途中で誰か他の新しい聖女と交代すれば、部屋から出てこれるんじゃないのか?」
ウォーダンは期待を込めて訊いてみる。
しかしセレフィアムは笑って答えた。
「ううん、一回眠るともう起きれないの。一度試してダメだったから、もうしない事になってるんだって」
何を、何を言っているのか。
ウォーダンは寒気がした。
セレフィアムはまだ子どもだ。
自分よりも2つも年下の、世界を何にも知らないただの子どもだ。
それに、生きる事を何も教えず、生き方を選べる事も教えず、生贄のように都市の守りに捧げる。
『助けて』
『子どもがいるんだ』
『お願い、魔物に、魔物に襲われているの』
『助けて』
『助けて』
『助けて』
『タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ』
頭の中で冬の間聞こえ続けていた悲鳴がこだまする。
この街は、ここに住んでいる人たちは、どこか歪んでいる。
ウォーダンはセレフィアムの手を強く掴んで引き寄せた。
「逃げよう」
「え?」
「逃げよう、セレ。こんなとこにいちゃダメだ」
「え、え、でも」
「大丈夫だ、俺もじいちゃんも、少しだけど魔法が使える。魔法使いはどこに行っても大事にされるんだ。帝国へ行こう。あそこなら、きっと何とかなる」
「だ、だめだよ。わたしがいないとみんなが困る」
「こんな、子ども1人に何もかも押し付けて、何が困るだ! 困らせればいい! どうしても必要なら大人がやればいいだろうそんな事!」
「お、怒らないで、ウォル」
ウォーダンは怒りが目から迸らないよう、またそれがセレフィアムを傷つけないよう、視線を逸らして目を閉じた。
「ごめん、怒ってるわけじゃないんだ。ただ、すごくムカついて……」
「うん、ええと、あのね、怒ってくれたのわたしのためだよね、ありがとう。でも大丈夫だよ。わたしね、ずっと見てるから。ウォルがおじいさんと幸せになって、毎日笑って暮らしてるの見てる。時々わたしのこと思い出して会いに来てくれたら、それだけで充分だから、だから……」
あわあわと言葉を並べるセレフィアムに、ウォーダンは痛ましげに顔を歪めた。
「何言ってんだよ」
思わず、手を伸ばしてセレフィアムの赤らんだ頬を撫でる。
と、笑顔だった彼女の瞳から涙がこぼれた。
「我慢ばっかりすんなよ。いっつもあれしたいこれしたい、あそこ行きたいってワガママばっかのくせに、一番大事なところで自分の気持ち隠してどうすんだよ」
「え、でも、お母さんのあとつがなきゃ……」
「んなわけないだろ、母親なら娘に死ねって言うわけない」
「ええとね、死ぬんじゃなくてね、眠るだけでね」
「だから!!」
ウォーダンが声を荒げ、セレフィアムはその声の大きさに身を縮める。
「俺からしたら、会えないのは死ぬのと一緒だよ!! おまえ平気なのかよ! 俺がおまえが眠ってる間にもっと別のやつと仲良くなって、おまえのこと思い出さなくなって、会いに行かなくなっても、全然平気なのかよ!」
セレフィアムは言い返せなかった。
ウォルのそばにいるのは自分がいい。
ウォルと誰より仲がいいのは自分がいい。
他の人と仲良くするウォルの姿なんて本当は見たくない。
でも、会えなくなるのは、どこでどうしているか分からなくなるのはもっと嫌だった。
ああ、そうだ。
彼とずっと一緒にいて、いつか結婚して、普通の夫婦みたいにキャベツ畑に赤ちゃんを産みに行きたい。
セレフィアムはとうとう泣き出した。
「やだあ。ウォルの一番はわたしじゃなきゃやだあ。ずっと一緒にいたい。いつも一緒にいて、大きくなったら結婚して、一緒にキャベツ畑に行くの」
慰めようとしたウォーダンは、セレフィアムの言葉に赤くなったり訳が分からなくなったり。
「け、けけけ、結婚っておまえ、いいけど、いいけどさ、キャベツ畑って一体なんだよ?」
セレフィアムは泣きながら答える。
「赤ちゃんもらいに行くの。ウォルとわたしの赤ちゃん。他の人と結婚しちゃいやあ」
「いやしないよ、他のやつとはしないけど、あれだぞ、赤ちゃんはキャベツ畑でもらうんじゃないぞ?」
「うそ。赤ちゃんは夫婦で夜、キャベツ畑に行くと生まれるのよ」
ぐずりながらも言い張るセレフィアム。
何やってんだよ神殿、とウォーダンは頭を抱えたのだった。




