静かな祈りの時
神殿はソーリャの結界を広げるにあたって、まず近辺にいた避難民を結界の内部へと招き入れた。
結界を広げるための装置が草原に等間隔に配置され、神殿関係者は儀式の準備を始める。
セレフィアムはその支度には関われないが、神殿の門を入ってすぐの広場で、人々の前で祈る仕事を任された。
聖女とともに祈りを捧げるため、都市の住民も、避難民も、時間を作っては広場に訪れる。
わずかに透けて影が見えるだけの薄い垂れ布の向こうで、セレフィアムは祈り続けた。
彼女が人々の前に顔を出すのはほんのわずかな時間だけである。
それ以外は、形ばかり祈るだけでいいと言われているものの、セレフィアムは侍女たちに止められるまで祈った。
嬉しかったのだ。
ソーリャが、神殿が、傷ついた人々を見捨てなかったことが嬉しかった。
自分の家族は愛とまごころを知る人たちだと、そう思えたことが嬉しかった。
わたしの家族はウォルを見捨てない。いつかそう言えることが嬉しかった。
あれから5日、神殿は今、儀式のために忙しくて、セレフィアムもささやかながら手伝っているため会いに行けていないが、街の土地が広がれば、ウォルやウォルの祖父、テント村の人たちもきっと安全に、幸せに暮らせる。
そしたらまた、一緒に森や川、草原のあちこちへ出かけて遊ぼう。
ウォルがこの街にいてくれるなら、眠りについて聖女としての務めを果たすこともきっと楽しく感じられる。
「セレフィアム様、そろそろお部屋へ戻りませんと」
「大丈夫、もうちょっと」
「ですが、お疲れでしょう」
「ううん、平気。もう少しだけ」
もう少しだけ、祈っていたかった。
みんなの幸せを。
そしてできれば、もう少しだけでいい、セレフィアム自身も幸せな時間を過ごせるように。
「それで、セレフィアム様は今日もお出でではなかったのか」
「はい、議長様」
「それは何よりだ。街に入り込んだ流民など、あの方に近づけるわけにはいかんからな」
「はい」
ソーリャの議会は神殿の近くの一番高い建物を与えられ、議長はその最上階で仕事をしている。
生活の場も、復興の頃から都市の住人であり、かつ長く特権階級に属している彼らは街の中心、神殿にほど近い塔の一室を手に入れている者ばかりだ。
街の中心に住むという事は、安全が担保されると同時にステイタスでもある。
アラゴンは執務室だけでなく家族との住居もまた、塔の最上階を手にしていた。
ソーリャの議長アラゴンは、議員の中でも特別な地位を手にしていると感じられる、この最上階から見下ろす景色が好きだった。
この場所からは、神殿さえも見下ろす事ができる。
いずれあの場所の権利も自身の一族のものにしてみせると、そして神官どもにはできない方法でこのソーリャを世界一の都市に、そして世界一の大国に育て上げるのだと考えていた。
今のソーリャでは、食料も文化も何もかもが帝国に劣る。
「しかし、セレフィアム様はどうやって神殿から抜け出されたのか……」
「どこかに抜け穴があるのやもしれません」
「いずれ徹底的に調べなければならんな」
困ったものだ、とアラゴンはあごを撫でた。
神殿には秘密や穴が多すぎる。
それが弱点となるなら解決しなければならないし、何よりソーリャ議会のトップである彼の一族が知らないことなどあってはなかった。
気を取り直してアラゴンは部下に命じる。
「いいか、次、その流民の子どもがセレフィアム様と会うような事があれば、神殿の兵士に通報して、ある事ない事吹き込むのだ。狂信者どもがその子どもを危険人物と判断するようにな」
「心得ております」
「できれば殺してくれると後が楽なのだが……」
「近くの警備には若い兵士を充てるように指示を出しております。経験のある兵士や能力の高い者は神殿に回すか、結界の外を巡回させるようにと」
「それはいい。しかし上手いタイミングで神殿も結界の拡張を決断してくれたものだ。準備に忙しくて神殿は何も手につかん」
「急な決定でしたから」
「一部では結界の外に壁を作ろうなどと言う輩もいたが、結界そのものが広がるなら、当分そんな話も出なくなるだろう。大助かりだ」
アラゴンは楽しげに窓に近づくと、そこからの景色を眺め下ろした。
ここ数日、人々が神殿で祈りを捧げているからだろうか、ソーリャの都市自体がやけに静かに感じられる。
そしてこんな静かなときは不思議と物事が上手く行くのだと、幼い頃に祖父が話していたことを、アラゴンは思い出していた。
しばらく、1日1回更新となります。




