夫、すっぽかす。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
「お帰りなさい、リセちゃん。さぁ、着替えるわよ!」
週末、ヴァルディア家の屋敷をいつもの格好で訪れたリセを侯爵夫人がすぐに捕まえてまずはお風呂場へと連行していった。挨拶もそこそこに連れていかれたリセを侯爵とアーダルベルトとディアナは手を振って送り出したのだが、ちょっとだけリセが『助けて…』と言っていた気がするのはきっと気のせいに違いない。
「お義母様!私はこのままでも構わないんですが」
「何を言っているのリセちゃん!ドレスは女の戦闘服よ。お肌磨いてきっちりお化粧して髪の毛も艶を出すわよ。その上で正装してこそ女の第一戦闘態勢が整うんだから。時間がかかる?そんなの待たせておけばいいのよ。騎士だって自分の剣や防具を磨いて手入れするのにやたらと時間をかけるでしょう?女性の戦闘態勢が整うまでにはそれなりに時間がかかるものなのよ。雑な仕事なんて以ての外。さぁ、気合い入れてやるわよ」
「「「はい!奥様!!」」」
遠くから聞こえてくる妻(母)の声と侍女たちの綺麗に揃った返事に父と息子と娘は苦笑するしかなかった。
「うーん、そんなに剣の手入れに時間かけてたかなぁ。ま、女性の身支度に時間がかかるのは仕方ないことだね。アーディも女性陣相手に時間がかかるとか文句を言ってはいけないよ。彼女たちの戦闘態勢が整うのをじっくり待つのも良いものだからね」
にこにこと笑っている父が余計に怖い。でも言われてみれば剣や防具の手入れには時間をかけてやっている。自分たちの武器の手入れに時間をかけるのは当たり前だと思っていたので、女性の戦闘態勢に時間がかかるのは仕方のないことだと思う。騎士は生き死にのかかった戦場に立つが、女性陣もまた社交界という名の戦場に赴くのだ。彼女たちの情報戦は凄まじいものがある。
「ディアナもいつかはああなるのかなぁ。ちょっと複雑」
「まぁ、アーディ兄様、私たちの年齢でももう始まってますわよ」
「……複雑…」
アーダルベルトに婚約者はまだいないが、妹のディアナの年齢でもう始まっているのならこれから出会う女性たちは皆すでに歴戦の勇者達かも知れなかった。
「お帰りなさいませ。坊ちゃま」
レオンハルトが実家の扉を開けたのはすっかり夜の帳が下りた時間帯だった。出迎えてくれたのは昔から家にいる執事だった。
「あぁ、ただいま。…遅くなってしまったな。父上や母上は?」
「皆様、お待ちかねでしたが…」
「怒られるな。昼に帰って来いって言われていたのに」
レオンハルトは父から「本日は家族会議をするので、必ず昼には帰って来ること!」と厳命されていたのだが、帰ろうとした時に王女に捕まりそのままずっと付き合わされていた。それもあまりにも王女が近くにいたせいで、家に知らせることも出来なかった。ようやく隙を見て知らせを出した時にはすでに約束の時間を軽く3時間は過ぎていた。
「お兄様!!」
ばたばたっという足音と共に突進してきたのは末の妹だった。淑女がそんな風に走るんじゃありません、と注意しようとしたところ、ディアナは兄の胸をポカポカと両手で殴りだした。全く力がないので別に痛くはないのだが、突然こんなことをされる意味が分からない。
「ディアナ、突然何なんだ?」
「お兄様のバカ!どうして今日、早く帰って来て下さらなかったの!?お義姉様がずっと待っていらしたのに!!」
「…?は…?お義姉様??」
「そうですわ!お兄様、酷い!!」
またもやポカポカと殴り始めたディアナに困惑していると、父と母、それに弟のアーダルベルトも玄関に集まってきた。
「お帰り、レオンハルト。今日は家族会議だって言わなかったかな?」
「あ、いえ、聞いてはいましたが、申し訳ありませんでした」
「事情は一応聞いたけれど、王女殿下にも困ったものだね」
父は苦笑してくれたが、母の顔は割と怒っている時の顔だ。
「レオン、今日は家族会議だったのよ。貴方の家族は私たちだけなのかしら?」
母の言葉にレオンハルトははっとなった。そうだ、今日は『家族』会議なのだ。レオンハルトの家族はもう一人いる。
「そうですよ、兄上。兄上の家族はもうお1人いますよね?」
兄をポカポカ殴っていた妹を止めたアーダルベルトに止めのように言われて、レオンハルトは手で顔を覆った。
「しまった。そうか、彼女も家族か」
書類上とは言え結婚している以上、エセルドレーダもまたレオンハルトの家族であり、父母から見たら義理の娘で、弟と妹からしたら義理の姉にあたるのだ。
「お義姉様、すっごく綺麗な格好をしてお兄様を待っていらしたんですからね!なのにお兄様はちっとも帰って来られないし!!」
「そうよ!わたくしが力の限り飾り立てたというのに!!」
妹の言葉に母が参戦した。と言うか、父と母はともかく、弟と妹までエセルドレーダに会っているのに未だに夫である自分だけが顔を合わせたあの時以来、会っていないとはどういうことだろう。それに弟も妹もずいぶんと彼女を慕っている感じなのだが、それは何度も会っているということでいいのだろうか。
「アーディ、ディアナ、2人ともエセルドレーダに会っているのか?」
「「あ」」
そういえばそうだった。本人の希望でレオンハルトとは結婚書類に記入したあの時以来、エセルドレーダとしては会っていなかった。アーダルベルトもディアナもエセルドレーダことリセが兄と学生時代を共にして、今も総務局で働いている関係で接点を持っているのを知っていたので、そのことをすっかり忘れていた。
「その通りだよ。他人に触れられることが苦痛だった彼女に幼い子供から徐々に慣らしていこうと思ってまだ子供だった2人から始めたんだ」
言葉に詰まった2人の援護射撃として父がそう言った。上司から聞いた話の限りでは確かに大人に怯えていたのかも知れない。少しずつ慣らすために子供からスタートした、も納得しよう。だが、それはそれだ。夫である自分が探していても全然見つからず、本当に実在している人物なのかも怪しんでいたのにまさかの身内全員が妻と大変仲の良い関係を築いているとは思わなかった。
「少々疎外感は否めないが、父上、母上、今一度彼女に会う機会を下さい」
「…わかったわ…と言いたいところだけど、本人からの伝言を預かってるわ。ついでに書類一式もね。貴方が望めばすぐにバツイチの年頃優良物件が出来上がるわよ」
「なんだろう…母上に言われると生贄感が満載なんだけど…」
「はい。これがエセルドレーダから預かった書類ね。それから伝言なんだけど『長い間、お名前をお貸し頂いてありがとうございました。好きな方が出来たとお伺いしましたので、どうかその方とお幸せになって下さい』ですって。貴方、好きな女性が出来たの?知らなかったわ」
「は??好きな女性って」
「え?出来たのでしょう?あの子、貴方がそう言っているのを直接聞いたって言っていたわよ」
直接?聞いた?何を?自分に好きな女性がいることを、だ。
どくん、と心臓が鳴った。
いつ?どこで?自分がそのことを口にしたのはたったの二回だけだ。
一度目は上司に。そして二度目は……リセに、だ。
「………母上、エセルドレーダは……リセ、ですか?」
「あら、ようやく気が付いたの?貴方がエセルドレーダをリセって呼び始めたんじゃない」
母の肯定にレオンハルトの心臓はどくどくと鳴りっぱなしになった。