妻、決意する。
旦那様とお話する。
そうリセが決意したのは良いが、何となく会わない日々が続いてしまい、そうなるとその決意も揺らいでくるというものだ。
本日も書類を持って王宮内をうろうろしていたリセは、何となく近衛騎士団の練習場の方を覗いてみた。若いお嬢様方がけっこう見学していて、騎士の動きを見てきゃあきゃあ言っている。皆、それぞれにお目当ての騎士がいるのか女性達の見る目が眩しく輝いていらっしゃる。
いやー、もうそんなきらきらしたお目々は持ち合わせてないなぁ、若いっていいねぇ。
そんな風に思ってしまう。よく聞いてみるとそれぞれ騎士の名前を言っているのだが、その中でもレオンハルトの名前がダントツ一位で聞こえてくる。
やはり端から見ても格好良い方なのだ。それに加えて次期侯爵でもあるので身分も申し分ない。王女殿下が夢中になっているのも納得出来るというものだ。リセが結婚出来たのは、母親同士の繋がりがあったから。そうでなくてはとてもじゃないが、あのお嬢様方に勝てるとは思えない。
そうっと練習場のある区画から出てため息をつきながら総務局へと戻り、残っている仕事を淡々とこなしているとまたもや書類不備を発見した。しかも第一近衛騎士団の書類なのであそこの詰め所まで行かなくてはいけない。見なかったことに…と思ったのだが、局長がしっかり見ていたようで目が合うと頷かれた。
『……行って来いってことデスヨネ』『うん、そう』
目での会話を訳すとそんな感じだ。またもや大きなため息をついてから意を決して席から立ち上がった。
目指す場所は第一近衛騎士団。理想は旦那様に会わずに必要事項だけを団長に確認!余計なおしゃべりはせずにちゃちゃっと帰ってくること!!
大きな目標を立ててリセは戦場へと繰り出していった。
そして、運良く夫に出会うことなく目的を果たして行きと違って軽い足取りで歩いていた帰り道にその目標は消え去った。
第一近衛騎士団の詰め所に近い場所の廊下で、彼女の夫は壁に身体を預けて疲れ切っていた。
「……あの、レオンハルト様?」
「…やあ、リセ。今日も良い天気だね」
「はぁ」
確かに本日はとても良い天気で、とっても洗濯日和だろう。リセだって仕事じゃなかったら家中の掃除をしてシーツとかも洗って干しておきたいくらいだ。だが、レオンハルトの周りのみものすごく曇っている気がしてならない。
「レオンハルト様は何やらどんよりなさっているご様子ですね」
「そうだな。探し人は見つからないし、王女殿下はうるさいし…今だってやっと逃げてきたところなんだ」
レオンハルトをどうしても諦めきれない王女が、父王に止められていても何度も会いにきては口癖のように「離婚して!」と迫ってきたので、事情を知らない同僚たちもどうやらレオンハルトが結婚しているらしい、ということを察したようだった。ただ、今までそんな噂の1つも聞いたことがないので何が真実なのか分からず戸惑っている者が多い。学生時代からの付き合いのある同期の騎士たちは、「お前、あの子はどうすんだ?」的なことを言ってくる。挙げ句の果てに「お前だから諦めたのに、いらんなら俺が貰う」そう言ってくるやつもいたので、そちらは物理で黙らせた。
「リセ、リセはその…俺の結婚についてはどう思う?」
「どうって…」
「俺は…好きな人がいるんだ。だから妻とはちゃんと話し合ってから別れて…告白したいんだ」
いつもと違いちょっと困って弱々しい感じで言われて、リセははっとなった。
レオンハルトに好きな女性がいる。
よく考えたら当たり前のことだ。
これ以上、レオンハルトに迷惑をかける訳にはいかない。結婚していることでこんなに困らせるつもりは無かったのに。
レオンハルトの辛そうな表情を見たリセはすぐにレオンハルトの手をぎゅっと握った。
「レオンハルト様、申し訳ありませんでした」
「…は?リセ??」
それだけ言うとリセは急いで廊下を走って去って行った。
後に残されたレオンハルトが呆然とリセが消えた方向を見ていると、同期の騎士がそっと肩を叩いたのだった。
「お義父様、今度のお休みの日にレオンハルト様をお屋敷まで呼んでいただけませんか?」
「おや、リセ。えらく急な話だね。でも君がそう願うのならレオンを呼び出しておくよ」
急に屋敷内の執務室に現れた義理の娘の願いを何も聞かずに笑顔で叶えようとするヴァルディア侯爵に同じ執務室で仕事をしていた従者の方がどん引いた。噂には聞いていた。主である侯爵夫妻が義理の娘に激甘だ、と。ただし滅多に義理の娘が屋敷に来ず、わがままも言わない若奥様なので今までそんなシーンを見る機会に恵まれなかった。初めて目の前で見た激甘っぷりに従者が内心「それでイイの?」とか思っても仕方のないことだった。
「ありがとうございます。私、ようやく決意しました。レオンハルト様をずいぶんと困らせてしまったので、大変申し訳なく思っています。ちゃんと話し合って離婚します!!」
「うん、全くあの子の思いが届いていないようで安心したよ。ちゃんと言わなかったあの子が悪い。リセ、思う存分、心行くまで話し合いなさい」
「はい」
一部会話が噛み合っていない。笑顔の侯爵は当然ながら息子の想い人のことは承知していた。そんなもの、学生時代から見ていれば分かる。「いや、お前達、夫婦なんだけど」と内心、何度かツッコミを入れていたし、人間不信をこじらせていたリセはともかく息子はちゃんと自分のことを調べてさえおけば、周りの目を気にせず遠慮なくいちゃつけたのに、残念な息子は時間をずいぶんと無駄にしている気がする。早い内に告白しないからだ、自業自得だな、と妻とは話し合った。
夫婦の基本は話し合い。これ、大事。
侯爵家の夫婦円満の鍵はそれだ。何でも言葉に出さなくても態度で分かるだろう、と妻ときちんと話し合わなかったがゆえにすっげーこじれて離婚寸前までいったご先祖様の家訓なのだそうだ。ちなみにご先祖様はこじれたあとはすっごく頑張って年齢を重ねてもラブラブな夫婦だったらしい。
まあ何にせよ、ようやく義理の娘がその気になったのだ。この機会を逃さず息子と話し合ってもらおう。
…一応、場所は息子夫婦が一度も使っていない夫婦の部屋にして部屋の中から行き来できる夫婦の寝室はいつでも使えるように整えさせよう。同じく続きの間にあるお風呂の用意もしておいて…薔薇の花びらとかも浮かせておこうか。新婚夫婦に相応しい飾り付けでもしておこう。そのあたりは奥様と要相談だな。
リセを本当の義理の娘にしたい侯爵夫妻は、この後大いに話し合い、息子がリセを口説けたらやれる男、逃がしたらヘタレ認定しようと決めた。