夫、置いていかれた。
のろのろ更新ですが、読んでいただいてありがとうございます。
グッと握りしめた手に感じるのは固く冷たい感触で、間違っても妻のあたたかで柔らかな肌の感触ではない。
「……はぁ……」
レオンハルトが剣を握りながらため息をつくと、友人が心配そうに声を掛けてきた。
「どうしたんだ、レオン?まさか、もうリセに離婚されたのか?」
「そんなわけあるか!リセは一生、俺の奥さんで、離婚なんて絶対にしない」
せっかく夫として色々と許してもらえたのに、手放すなんて有り得ない。
「じゃあ、どうしてそんなため息をついてんだ?家に帰ったらリセがいる新婚生活満喫してんのに、ため息なんてつくなよ」
「……いないんだ」
「は?」
「だから、家に帰っても、リセはいないんだ」
「お前!!もう振られたのか!?何をやり過ぎたんだ?」
ついこの間、夜会でおおっぴらにプロポーズしたくせに、振られるのが早すぎる。絶対レオンハルトが何か悪いことをしたのだと、決めつけた。
「そんなんじゃない。両親と領地に行ってるんだ」
「お前抜きで?」
「そうだ。リセにこの間の蜜月休暇の分、きちんと働いてこいって言われたんだよ」
リセ自身は、次期侯爵夫人として覚えることが多くなったので、総務局を退職することにした。
何でも、レオンハルトとは別れるつもりで今まで特に勉強してこなかった分野なので、集中して覚えたいそうだ。
レオンハルトとしては、リセがそれをやりたいというのなら、応援するだけだ。幸い両親がまだ健在なので、教師役には事欠かない。
その一環として領地の見回りに同行し、ついでにリセの両親が眠っているお墓にお参りに行ってくるそうだ。リセの両親が治めていた土地はそのままヴァルディア侯爵領として管理し、レオンハルトとリセの間に子供が生まれたら、その中の誰かに引き継がせようと思っている。
「今、この手で触りたいのは剣じゃなくて、リセなんだけどなぁ」
「おう、重症だな」
重篤な恋の病だが、治せる薬なんてない。特効薬は今、レオンハルトの手を離れている。
……離れているから余計に募らせるのか。
こんなレオンハルトは久しぶりに見た。学生時代に、リセに異性として全く相手にされていなかったのを見た時以来だ。あの時もひどかったが、当時はまだ一度でもその手に入れていなかったのでよかったのかもしれないが、今はその感触を知ってしまっているので、余計に重症化している。
「父上も母上も、いくらリセが可愛いからってすぐにかっさらっていくこともないじゃん。俺、まだ新婚だぞ」
「期間的には新婚なんて超えてるけどな」
十年結婚してりゃあ、新婚どころじゃない。
「十年間は白い結婚で、今は本当の新婚だ」
「はいはい」
呆れたような友人を一瞥すると、レオンハルトは蜜月期間を思い出していた。
触れ合った肌と肌の感触。
初めて見たリセの寝顔。
明け方にふと目を覚ますとリセが寝返りを打ったので、引き寄せて抱きしめた。
うっすらと目を開けたリセが、寝ぼけながら「れおん…」と舌っ足らずな感じで名前を呼んで、ふにゃりと微笑みながらもう一度眠りに入る姿は、それはもうよかった。
あれは、夫であるレオンハルトだけが見ることが出来る姿だ。
起きたら起きたで、ちょっと恥ずかしそうにしている姿もよかった。
「あー、レオン、声に出てるから」
「はぁ?」
「いや、お前の考えてること。っつーか、俺はもう胸焼けしてきた」
何が悲しくて、こっそり惚れてた女性の夫に、蜜月の様子を垂れ流しされなくちゃならないんだ。
しかも十年も放置していた旦那に。
リセが今は幸せそうだからいいが、そうでなければ、決闘してでも奪っていた。
「で、いつ帰ってくるんだ?」
「今夜だ」
「お前、今日は当直だったな」
「ああ、だから、明日にしか屋敷に帰れない」
「ならいいじゃん、明日には会えるんだろう?」
何の問題もないじゃん。今夜には帰ってくるのに、どうしてそんなに深刻そうなんだ。
「今夜は帰れない。つまりまた、弟と妹がリセと先に会って色んな話をするんだ。そしてまた、俺に自慢してくるに違いない」
「……あっそ」
聞いた話によると、実はヴァルディア侯爵家はレオンハルト以外、リセとそれはもうどっぷり深い絆を築いていたらしく、特に弟と妹は、リセと一緒に毎晩寝るくらい懐いていたそうだ。その時の話を自慢されて、ものすごく悔しかったと言っていた。
もうそれは仕方ないだろう。むしろレオンハルトが相手だったら、その時のリセの様子を考えると、保たなかったと思う。
リセを慕う純粋な年下の子供たちだからこそ、一緒に寝れていたのであって、邪な思いを感じさせる同級生なんて論外だ。
「あほらし」
しょせん惚気かよ。今からやる打ち合いは全力でやってやる!と思ったところでふと思いだした。
「そういえば、王女殿下の話、聞いたか?」
「何のことだ?」
あの王女のせいであやうくリセを失うところだった。王太子に正式に抗議して護衛からは外してもらったし、もう関わり合いになりたくない。
ルーチェリエからの情報によれば、予想通り取り巻きの令嬢たちがあちこちの夜会で密かに噂し合っているらしい。
「何でも、新しい恋に目覚めたんだとさ」
「早いな。で、新しい犠牲者は誰だ?」
「王太子殿下が留学してた国の第二王子だそうだ」
「ふーん。あれ?確か、あそこの王族って……」
王太子が留学していた国の王族といえば、呪われた王族と言われているはずだ。
「あぁ、例の女神の娘に恋する一族だよ」
一族の中から、必ず月の女神の娘と呼ばれる存在に恋い焦がれる者が現れるという王家。
彼女たちを手に入れるために、全てを費やすとまで言われている。
幼い頃は、そんなことあるもんか、と思っていたが、もし女神の娘と呼ばれる存在がリセだったとしたら、自分だって絶対に諦めなかっただろうから、今ならその王族の気持ちが分かる。
「婚約するのか?」
「いや、まだそこまでの話にはなってないらしい。あそこの王様はおっかないらしくて、うちの陛下もすっげー慎重になってるんだってさ」
「まぁ、俺たちに害がなければいいや」
リセが一度は行ってみたい国だって言ってたから、今度、長期休暇とれたら行ってみようかな。
妻が喜ぶことなら何でも叶えるつもりのレオンハルトは、のんきにそんなことを考えて仕事をこなしていった。
例の国の王様は怖いんです。