妻、自分が蜜月に突入したことを知る。
読んでいただいてありがとうございます。もう少しだけお付き合いください。
今夜は、今までの人生の中でも一二を争うほどの長い夜だった気がする。
帰りの馬車の中で、リセはどっと疲れが出てきた。
この馬車はレオンハルトが乗ってきたもので、今は二人しか乗っていない。
「どうした?」
ため息を吐いたリセを、隣に座ったレオンハルトが優しい目で見ていた。
「いえ、少し疲れてしまって」
「あぁ、そうだな。俺も正直、疲れたよ」
「レオンハルト様がですか?」
「レオン、そう呼んでくれ。もちろん、呼び捨てでかまわないよ」
実は学生時代にも何度かレオンと呼ぶように言われていたのだが、あまり深入りするのも何だと思って今まではその愛称で呼んでいなかった。けれど、もう一度プロポーズを受けた身としては、もう呼んでもかまわないだろう。
「レオン」
「うん。何だい?」
レオンと呼んだだけで、とろけるような笑顔を見せてくれた。
こんな顔を見せたらますます女性たちからの人気が上がり、リセを見て、なんであんな女と結婚したの?、と言われるまでがワンセットな気がする。特に王女とかがうるさそうだ。
「ずっと黙っていて、すみませんでした」
「いいよ。むしろ夫婦なのにずっと放置していた俺の方が謝らないと」
「いいえ。レオンはあの時、お義父様とお義母様に言われて仕方なくサインしただけですから。私も縛り付けるつもりはありませんでしたし」
「でも俺の奥さんのことだよ。それに、もしきちんと向き合っていたら、学生時代から堂々とリセと一緒にいられたかと思うと、悔しくてしょうがない。すぐそばで、リセが大人になっていく姿が見られたはずなんだよな」
いや、でもそうなると、どのタイミングで手を出していいものか迷った可能性もある。
ただの友人関係の時でさえ我慢していたのに、少女から大人の女性に変わっていく過程を間近で見せられたら、手を出さない自信はない。むしろ出す自信はある。そして両親にものすごく怒られそうな気がする。特に母はリセを実の娘のように可愛がっているから、下手なタイミングで手を出していたら絶対に激怒した。弟妹にも白い目で見られたかもしれない。
そう考えれば、今のタイミングで良かったのかもしれない。
お互い、障害となるものは何もない。
むしろ、周囲から早くくっつけとせっつかれていた状態だ。
今なら、何をしても許される気がする。
「リセ、これからは色々なことをきちんと話し合っていこう。俺は職業柄、どうしても隠し事は出てくるし、リセだって言いたくないことはあると思う。でも、それでも出来る限りきちんと話そう。もうすれ違いはごめんだ」
「……はい」
隣に座るリセを抱き寄せて言うと、腕の中でリセが頷いた。
「あの、確認なんですが、王女殿下のことは……」
「あー、そうだよな。本来、王女殿下の護衛は俺の仕事じゃないんだが、殿下に甘い陛下がたまに命令してくるんだよ。ま、それも終わりだろう。今日の夜会には殿下の友人とやらも出席していたから、そこからすぐに話がいくだろうし。ルーチェリエ曰く、殿下お可哀想、とか言いながら、内心では殿下ざまぁ、とか思っている子が多いってことだから、取り巻き連中は、下手なちょっかいをかけてはこないんじゃないかな。殿下の方は誰かが止めるだろうけど、もし殿下が何か言ってきたらすぐに教えてくれ。俺からきちんと言うから」
仕事だと散々言ったにもかかわらず、王女は自分の都合の良い話しか聞かない。一国の王女としてその程度の人間だと周囲にまき散らすのはどうかと思うが、幸い今は平和な時代だ。あの程度の王女でも何らかの役には立つと信じたい。そこら辺は、兄の王太子にぶん投げておけばいい。
「リセ」
「はい」
「俺はしばらく休暇を取っていなくてね。上司からまとめて取っていいって言われたから、明日からゆっくり出来るんだ」
「……すみません。私の方が……」
「リセの上司も休んでいいって言ってたよ。休暇の申請はやっておくから大丈夫だって」
「……はい??」
え?何勝手に休暇の申請をしてくれてんの、あの上司。本人不在の間に夫と結託するとは何事か。
「俺がプロポーズからやり直したいからってお願いしたんだ。リセを泣かせたら容赦しない、って言われた」
リセには言えないが、言葉と同時に腹に一発くらった。全然そうは見えないのに、総務局の局長はなかなか良い拳をお持ちの武闘派だった。後で上司に聞いたら、局長は「いざという時に文官も武官もあるか」と言って普段から鍛えている方らしい。
「そういうわけで、リセもしばらくお休みだ」
「……いいんでしょうか?」
「いいんじゃない?許可も出ているし。そもそも、もっと前に蜜月状態に入っていても良かったんだから」
「み、蜜月……!」
その言葉にリセの顔が引きつった。
確かに、一般的に新婚のことを蜜月と言うし、蜜月休暇というのが認められてもいる。ただ、ついさっきまでそういうのとは生涯無縁だと思っていたので、言葉の威力がダイレクトに心に突き刺さる。
「ねぇ、リセ。さっき俺、言ったよね。プロポーズからやり直したし、リセの言う通りデートからもやり直すけど、夫婦だから寝室は一緒だよって」
た、確かに言っていた。そう思ったら、引きつった顔が急に赤くなってきた。
「あ、あの、私は、その」
「一応言っておくけど、もしリセにそういう意味で触れた男がいるのなら、俺、今から決闘を申し込みに行くけど」
「いないです!私を好きになる方なんて、いませんでした!!」
いや、本当に。一応リセも、レオンハルトと別れた後のことを考えて、こんな自分でも良いと言ってくれる方はいないかと探したことはあった。だが悲しいことに、誰一人として存在しなかった。
同級生や少し良いなと思った男性は、気が付くと友人という枠の中に収まっていた。だから、本当に蜜月は一生来ないと諦めていたのだ。
真相は、レオンハルトと友人たち(たまにこそっとヴァルディア侯爵夫妻とその友人たち)がせっせといろんな工作をしてリセのことを諦めさせていたのだが、そうとは知らないリセは、自分に女性としての魅力がないのだろうかと悩んでいた。
「良かった。じゃあ、こうやって触れるのは、俺が初めてだね」
「……う、は、はい……」
レオンハルトにさらに抱きしめられて、もう本当に顔から火が出そうだ。
「ゆっくり、と言いたいところだけど、許してほしい。リセと早く本当の夫婦になりたいんだ。だから、いい?」
何を?なんて言えない。さすがのリセも何を言われているのかは、分かる。
「…………お手柔らかにお願いします」
レオンハルトを抱きしめ返して彼の耳元でそっと囁くと、「ありがとう」という言葉と同時に唇を塞がれた。
初めて触れたレオンハルトの唇はあたたかくて、その腕の中はどこよりも熱くて安心出来る場所だった。