夫、謝る。妻、許すから逃げたい。
読んでいただいてありがとうございます。まだ決着はつかないです。
真っ直ぐにこちらを見ているリセの姿は凛としていて美しくて、レオンハルトは再度惚れ直した。
リセに何度も惚れ直しては、自分的に一生懸命アプローチしたつもりでも綺麗にスルーされて友人たちに慰められ、仕事に生きると宣言されてしまってしばらく手が出せなくなり、仕方がないのでリセを狙っていた者たちを排除する日々だった。
今度こそ、と思っていたら自分に妻がいることが発覚して落ち込み、それがリセだと知って喜んだのもつかの間、離婚しますと言われて……まあまあひどくないか、俺の人生。
だからといって、リセを諦めるなんてことは絶対にない。
家族と友人と人生の先輩方の力を借りて、ようやくここまでこぎつけたのだ。
リセ、もう逃がさないから。
バラの花束を持ったレオンハルトはそう決意して、逃げられないように後ろと左右をがっちり固められたリセのもとへとたどり着いた。
「やぁ、リセ」
「こんばんは、レオンハルト様。すごい花束をお持ちですね」
「ああ、そうだね。リセはすごく綺麗だね。いつもの君もいいけれど、ドレス姿の君も美しい」
レオンハルトが微笑んで言った言葉にリセの顔が引きつった。
……本当にどうしてしまったの?この方は。こんな台詞を私に向かって言う方じゃないでしょう??
学生時代からいつも軽口を言い合っていた仲なので、こんな口説き文句のような言葉に戸惑いが隠せない。
いや、多分、アレだ。貴族の美辞麗句というやつだ、きっと!
リセはそう思って乗り切ろうと思ったのだが、レオンハルトはさらに言葉を続けた。
「ドレスも装飾品も本当によく似合っているよ」
「…ありがとうございます。これはお義母……ヴァルディア侯爵夫人が選んでくれたんです」
「ああ、母上にも助言はいただいたが、そのドレスと宝石を選んだのは俺だよ。母上曰く、俺は君のドレスを選ぶにはまだまだセンスが足りないそうだ。君のことをしっかりと見ていれば自ずと分かると言われたから、これからは毎日、きちんと見ることにするよ」
「はぁ…って、えぇ??」
「君のその姿をあまり他人には見せたくないかな。ああ、でも、本当は俺だけが見ていたい気持ちと君を見せびらかしたい気持ちがある。困ったな」
……えーっと、私の目の前にいる方はどなたでしょうか?
リセはどうしていいのかわからず、とりあえず助けてほしいと思って視線を友人に向けたが、ルーチェリエはレオンハルトに呆れたような目を向けていた。
あれは、くだらないことを言っていないで、早く用件を言え、という学生時代からの変わらぬ冷たい視線だ。
よく考えたらこのタイミングで出てきて、あんな感じでレオンハルトを見ているということは、ルーチェリエは絶対に今回のことに一枚噛んでいる。
「リセ」
「は、はい」
ルーチェリエに意識を向けたせいで目の前のレオンハルトのことを一瞬、忘れていた。危なかった。
「リセ、友情を育むのもいいけど、今は俺との時間だろう?」
「……すみませんでした」
意識を逸らしてしまったので、一応、謝っておく。
「仕方ないな。いや、違うな。先に謝るのは俺の方だった。すまない、リセ。10年前、君と結婚したのに、そのことをずっと忘れていた。俺が君を守って、支えなくてはいけなかったのに」
いつの間にか音楽が止まり、誰も言葉を発することもなく静かになった広間にレオンハルトの言葉が響いた。
「10年前、俺たちがまだ子供だったとしても、夫として傷ついた妻の傍にいるべきだった。なのに、俺はそのことをずっと忘れていて、今まで好きなように生きてきた。すまなかった、エセルドレーダ」
レオンハルトはそう言って頭を下げた。
そして静かになった広間に響いた10年前と「エセルドレーダ」という名前に、一部の者たちはすぐにあの出来事を思い出した。
「エセルドレーダって、ソルトレイ子爵家の?」
「あの、悲劇の娘?」
「確かに、今、旧ソルトレイ子爵家の領地を管理しているのはヴァルディア侯爵だ」
「義娘の領地だから、侯爵家で管理していたのか。なるほど、それなら他の誰も手は出せない」
ざわついているのは、あの時のことを知っている大人たちだった。
ソルトレイ子爵家をその血を引かない夫人の弟一家が乗っ取ろうとしたのは有名な話だった。その時、助けられた子爵家の一人娘が虐待されていたという話も。
レオンハルトの言葉で大人たちはその事件のことを思い出したが、若者たちの反応は違っていた。
「え?うそ、レオンハルト様、ご結婚されてましたの?」
「いや!レオンハルト様が結婚されてたなんて、そんなのいやよ!!」
結婚市場でも有望なレオンハルトの妻になりたいと望んでいた令嬢たちが、悔しさの滲んだ声を出していた。
「……えーっと、つまり、リセの旦那はレオンハルトで」
「レオンハルトがそのことを忘れてたくせに、リセに惚れた、と」
「相思相愛?」
「いや、今までとあのリセの態度から見るに、レオンハルトの片想いだ」
「まて、ルーチェリエが絡んでるんだぞ」
「リセ以上にリセのことを分かっているルーチェリエがああやって後押ししているんだ」
「なら、まだ目はある」
「いけ、レオンハルト」
学生時代からレオンハルトとリセのことを見守ってきた友人たちは、ちょっと鈍いところのあるリセをいつもさりげなく助けていたルーチェリエがレオンハルトの味方(?)をしている以上、おそらくリセの中にもレオンハルトを慕う何かがあると信じて、静かな応援に力を入れた。
「あ、あの、頭を上げてください、レオンハルト様。10年前、私もレオンハルト様も、その、いわば押しつけられた結婚だったと思うので、レオンハルト様は悪くありません。ある日、突然、紙一枚で見知らぬ少女と結婚させられたレオンハルト様がそのこと自体を忘れてしまっていても、それは仕方のないことだと思います」
みすぼらしい傷だらけのやせっぽちの少女と、当時から将来騎士となるために修行をしていた王子様のような少年。
自分でも釣り合っていないのは十分に分かっていた。
ただ、義理の家族が優しくて、ずっとこのぬるま湯に浸かっていたくて、今までレオンハルトとの離婚を引き延ばしてしまった。10年は義娘でいてほしい、という侯爵夫妻の願いだって、きっとリセに気を遣わせないために言ってくれたのだ。
だから、レオンハルトが自分に頭を下げる必要なんてない。
「いいや。どんな事情があれ夫婦になったんだ。結婚届にサインをしたのは俺自身だ。それを忘れていたのは、許されることじゃない」
あー、まぁ、それは確かに。
さすがにそれに関しては、誰もレオンハルトをかばえない。
友人たちに至っては、つーかそれをきちんと覚えていたら、もっと前からリセと堂々とイチャつけたんじゃねぇーの?と思っていた。そうしたら俺たち、余計な気を回さなくてよかったのに、というのが本音だった。
「忘れられていた張本人である私がいいと言ったらもういいんです。レオンハルト様の誠意は伝わりましたから」
「…そうか、ありがとう」
まずは許してもらえた。問題はこの後だ。なぜならレオンハルトは、妻であるエセルドレーダを口説いてプロポーズを成功させるために、今日この場に来たのだから。