第四話
夜空は好きだけど、夕焼け空は好きじゃない。暑苦しくて、それでいて儚いから、目を閉じたくなる。だけど、瞼の裏すら明るいから、この世の何処にも救いが無いんじゃないか、と思えてくる。
橋の下で、私は、昨晩の父との喧嘩を思い出しながら、小石を蹴り、瞼を手で覆った。
どうしてこんな事をされなきゃいけないんだって、思っているでしょ? 父親に聞いてみなよ。りょう、って名前出すだけで答えてくれるんじゃないかな?
りょうから送られてきたメッセージを読み、私は朝の四時まで、玄関に座り、父を待っていた。玄関の扉が開いた。静かに、ただいま、と言った父の背中に向かって、
「ねぇ、お父さん……」
と声を掛けた。
父は少し驚いた様子をだった。私は気にする事無く、首を傾げ、言った。
「……りょうって誰?」
父は俯き、震えた声で、ごめんな、と言うと、続けて、
「座って話そう」
と言い、怯えた様な眼を向けて来た。
父は枯れ声で、水も飲まずに、話し続けた。何の言い訳も含む事無く、彼女との接点について、説明を続けた。私は、父に侮蔑の様な目を向け続けていたと思う。私は話を聞きながら、父の目の前で、父に買っておいた寿司を手に取り、ゴミ箱に捨てた。
トンビの様な鷹の様な鳴き声を聞いて、私は目を開け、橋の裏を見上げた。
りょうの思い通りなんじゃないか?
私は、服の襟を指で摘み、口を覆っていた。罪悪感が濃く濃くなっていく感覚を味わいながら、何に罪悪感を抱いているのだろう、と考え始めていた。答えは直ぐに出た。脳裏に、父の顔と、寝た男の顔が浮かんだのだ。
若かった父は、元カノのお腹に、子供がいた事を知らずに、世界中の写真を撮る旅に出て、母さんと出会ったそうだ。冷静に考えれば、父は何も悪いことはしていないと思う。今もお金を送っているぐらいだし、あんなにも責めることはなかったはずだ。
だけど、昨晩の私は、一時的な感情に任せ、頭に浮かんだ言葉を、一方的に投げつけた。
「ゴム付けるとか、そういうのもしなかったんでしょ? ヤりたくてヤった、何、獣? 馬鹿でしょ。自業自得じゃん。キショい。あなたが父親なのが私の恥だ。全部、あなたが悪い‼︎ あなたのせい。あなたが、私を不幸にした。分かる? 私がどんな目にあってるか? 想像した事がある? 分かる?」
父は私の焼けた手を一瞥し、ごめん、と言った、その光景が脳裏に浮かんだ。
昨晩、父が帰ってくる前に、私は、好きでもない男と寝た過去、を後悔し、自分自身を嫌悪した。自分が醜く見え、獣の様に思えた。
彼は上辺とはいえ、頑張ってるね、君は偉い子だ、言ってくれていた。私はその事を少しは喜んでいたはずだ。お金も貰え、満足していたはずだ。だけど、それら全てを否定した。自分と彼を否定した。その上で、父を否定した。
私は、違う、と何度も言って首を振り、スマホを投げ、拾い、彼をブロックし、胸を爪を立てて掻いていた、その光景が後追いで脳裏に浮かんだ。
「帰りたくないな……」
そう言うと、私は、沈む夕日を一瞥し、首を振った。
「嫉妬は一番醜い感情だよ、馬鹿女が‼︎」
そう言い切ると、涼花の待つ家へ向けて、歩き出した。
橋の上には、川を見下ろす人影があり、覗くと、それは虚ろな表情を浮かべる謙也だった。
だけど、私は走り寄らなかった。彼が死ぬとは到底思えなかったのだ。
私は、速度を変える事なく、ゆっくり歩き、近づき、焦った様な表情を浮かべて、走り寄った。息を切らした演技をして、
「なにして、るの?」
と必死な様に声を掛けた。
彼の寂しげな表情を見て、私は笑みを溢すのを我慢しながら、静かに彼に抱きついた。
捨てられて、自分自身を無価値だと思う様になった謙也。可哀想な謙也。無関係なのに、りょうにも利用された私よりも可哀想な謙也。
私は、謙也をぎゅと抱きしめた。
「お願いします」私は、謙也の前で、膝を突き、媚びる様に、縋る様に、復縁を懇願していた。彼と別れて二日目のことだ。
私は何度も声を掛けるが、彼の表情は曇ったままで、目すら合わない。
けれど、そんな事は一切関係なかった。手に入れる。どんな手段を用いても、手に入れる。そこが曲がる事はない。
私は彼に抱きつき、唇を奪っていた。
もし、彼が拒絶したら、押し倒せば良い。それでも拒絶したら、脅せば良い。
「お願いだよ」もう一度だけ、縋る様に言った。
脳裏に彼の事など殆どなかった。
彼女が彼を好きなら彼を奪う。彼女が彼を諦めたのなら、可能性を与えて、奪う。彼女が他の人を好きになったのなら、その人を奪う。美涼、貴方は私にとって特別なの。