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第三話

 罪を犯した人間は罪悪感と戦わなければならない。受け入れてはいけない。人間が人間らしくある為に必要な事だ。それをやめて仕舞えば、人間は悪魔にでも悪鬼にでもなってしまう。

 僕は、美涼が作り置いてくれたハヤシライスを、温め、彼女達を起こさない様に、音を殺して口に含んだ。だが、飲み込めず、口を抑え、トイレに駆け込んだ。

「ぐぅえっ……うっ、……」

 口に含んでいた物以上は何も出なかった。朝も昼も何も食べていなかったので、腹は空いていた。美涼が作ってくれたのだ、美味しかった。だが、嗚咽は止まらなかった。僕は、右手の人差し指と中指を口の中に入れた。

「ぅうづぁ……」

 僕は何も吐けず、ただ喘ぎ、肩を揺らしながら、トイレの地面に座り込んで、天井を見上げていた。

「……俺は、いつになったらそっちに行って良い? やっぱりダメか? 俺は地獄か?」

 僕は笑顔を作り、消し、天井を見上げたまま、瞼を下ろした。

 彼女達がみんな死んだら、死んで良いのか? なぁ、お前、いや、僕か……どうして僕は捨ててしまったんだ……どうして。

「あぁ……いつから呑んでねぇんだっけ。昔みたいに、呑みてえなぁ……」

 僕はいつしか涙を流していた。妻の声を思い出して、言葉を思い出して、辛いなぁ、と言っていた。

 その日、ずぶ濡れの妻が玄関にいた。

 僕は、タオル持ってくる、と彼女に背を向けた。だけど、直ぐに足は止まった。

「私は産むよ。お母さんだもの……自分の子供を殺せる母はいないよ……」

 僕は何も言わず、言えず、彼女にタオルを渡した。彼女は涼花を産んで、死んだ。

 その数日後、僕はりょうという女の子に出会った。彼女の事を僕はその日まで知らなかった。

 僕は瞼を開けた。トイレの電球は意外にも真っ白で眩しく、手で目を覆った。

 昔に戻れる技術があったとしても、僕は何処からやり直したらいいんだ? 何処に戻れば、誰もが幸せになれたんだ? 無くていいや……。

「うぅうぅぅぅぅぅ……」

 僕は、壁に頭を当て、小さな声で泣いていた。

 ポケットから九月分と書かれた封筒が落ち、僕はそれを拾った。


 私は談話室の天井を眺めて、母の寝顔を眺めて、院内の売店で購入したコスパの悪いパンを食べながら、帰路を歩んでいた。

 世の中は不平等でしかない。嫌いだ。全部嫌いだ。けれど、平等にするなら、どこを基準にすれば納得出来る? 私か? 私よりも上か? 下か? どうでもいい。いや、やっぱり、下だ。みんな自分より不幸になれば良い。けれど、それじゃあ、自分が一番上になってしまうから、平等じゃない。結局、みんな自分が可愛いから、「平等」を口にはするけど、誰も望んじゃいない。

「人類滅びろ、ばぁか。幸せだった奴は代償で苦しんで、もがきながら死ね‼︎」

 私は、スマホを握ったまま、小石を蹴り、立ち止まった。自分の蹴った小石が、別の小石を川は押し落とし、水面に波紋をつくった。そんな光景を呆然と眺めながら、昔を思い出していた。

「りょうちゃん凄いよ。ほんと才能だよ‼︎」

 私にとって、褒め言葉は当然のものだった。

 私は頑張ってる。みんなのナンパーセントも頑張ってる。辛くても、しんどくても、練習してる。サッカーは、もうあんまり別に好きじゃないけど、頑張ってる。頑張れば良いことがあるから、頑張ってる。頑張ってるから何か良い事が起こる。

 私は、自分が他者より優れていると思った事は、一度として無かった。周りが自分よりも努力をせず、遊んでいるから生まれる差だと、子供なりに思っていた。

 八歳のある日、久しぶりに試合を観に来てくれた母に応えようと、私は奮闘した。その日の帰路、なぜそんな話をしたのかは覚えていないが、私は母に質問をした。疲れていない母と話せる機会があったから、ここぞとばかりに聞いただけなのかもしれない。

「ねぇ、なんでみんな嫌な事してくるの? 私頑張ってるよ? みんなの為にゴールもいっぱいしたよ?」

 母は少し困った顔を浮かべたが、答えようとしてくれた。

「みんな、りょうちゃんが凄くてビックリしてるんだよ」

「ビックリしたら嫌な事するの?」

「うーんとね、りょうちゃんは凄くていいなぁ、って思うの」

「思って、嫌な事するの?」

「りょうちゃんは欲しいものとかないの?」

「え、な……あ、ある……でも……」私は俯き、溢れそうになる数々の物の名前を、唇を噛み、消した。

「お母さんはいつも、一つしか勝ってあげられないよね。ごめんね」

「ううん。いい……」私は首を何度も横に振っていた。

「でも、幾つも買って貰ってる子もいるよね。その子にいいなぁ、って、ほんとは思うでしょ?」

「……」

「えっとね、その子達もね……えっと……」

 顔を上げて、母を見ると、母は優しい笑顔を作った。私は母を見る直前に、友達の父を眺めていた。

 数日後、私は練習中に足を挫いた。

 次の試合に、私は出られなかった。母が観に来る試合では無かった為、何も抱かなかった。けれど、惨敗した帰路で笑っている彼らを見て、

「私が出ないだけで、勝ててないじゃん……」

 と私は呟いていた。

 その日から、私は、いいなぁ、という言葉を、眼差しを、無意識の内に嫌っていた。

 中学に上がっても、私は男子に混ざって、地域のクラブチームでサッカーを続けていた。

 ある日の交流試合、仲間の一人が、ドフリーでゴールを止められた。その試合は負けた。

 彼は焦っていた。彼の父が観に来ており、更にはレギュラーもかかっていたそうだ。

 彼は、その日の次の試合で、一緒に前に出ている私にパスを回す事をやめた。自分のミスを挽回しようとしたのだ。結果、彼はベンチへ戻され、残ったメンバーも噛み合わず、その試合は惨敗した。試合中、試合後、私は彼に睨まれている様な気がした。

 その夜、私は、彼からの視線を思い出し、

「……嫉妬してんじゃねぇよ。ふざけんな。てか、つまんね……死ね」

 と呟いた。

 私は、その日以降意欲を失っていった。毎日練習に顔を出す事はなくなり、いつしか全く行かなくなり、気が付くと、母の前で無理に笑顔を作る様になっていた。

 カップルで楽しそうに帰路を歩む二人組の学生から、私は目を逸らし、握ったままだったスマホを一瞥した。いつの間にか、既読の跡がついていた。けれど、美涼からは、何の返答も来ていなかった。

「つまらないなぁ……」呟き、屈んだ。

 私は小石の混ざった砂利を握ると、川に向かって投げた。

「もっと私にあの顔を見せろよ。もっと私を羨めよ、もっと私に嫉妬しろよ。もっともっともっと……私を肯定しろ。……私は羨まれる人間なんだよ‼︎」

 私は、彼女に送った動画を音を出さずに再生し、スマホを耳に当て、音量をほんの少しだけ上げた。

「美涼、美涼……」動画内の謙也の声を聞き、笑みを浮かべた。

 あぁ、美涼(あいつ)はどんな顔してるんだろ。自分の名前を呼ばれながら、私に犯されている好きな人の動画を見て、どう思う? 壊れちゃう? けれど、まだ壊れちゃダメだよ。

「あはっ‼︎」笑顔で、夜空を見上げた。

 私は、スマホ内の既読の跡を再度眺め、顎に人差指を当てた。

「う〜ん、うざいわ。……うん、やっぱ壊しちゃお」

 私は、美涼の泣き崩れる顔を期待しながら、一件のメッセージを送った。

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