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第一話

 高校二年の春、(ようやく)く、私は、現実は物の様なもの(・・)だと知った。恐れて、壊れて、作られ、造られ、変わり行く物だと知った。「りょう」と呼ばれる女に、知らされた。

「あっ」私は喘ぐ時の様な吐息を吐いた。

 昨日と同じ様に、私は屋上から、西校舎裏の日陰陰った木椅子の上を眺めていた。私は初恋の相手の唇が奪われる光景を、茫然自失と興味津々の混ざった感覚に襲われながら、覗き見ていた。

 噛み溶けた米粒を舌で混ぜ、そろそろとペットボトルの口を唇に当て、穴に舌を入れ、ザラザラした米水を飲み込む。頬に垂れた残し汁を人差指で拭い、舐めた。

 胸が苦しい。息が上がる。だけど、無垢な彼が壊されていく光景から目を離せない。自分が好きだった絵が有名アーティストの手で破られる様な、嫌悪と興奮の混ざった奇妙な感覚を味わった。唾と殆ど原形を留めない米粒の混ざった液体を飲み込み、彼等を眺める自分を、見届けた。

「涼ちゃんには青色が似合うと思うからね。これ、あげる」

「良いの?」

「良いよ。でも、みんなには内緒だよ。恥ずかしいから……」

 小学生の頃の会話を脳裏で掠ませた。その時に貰った髪留めを、りょうより貧相な胸の前で握り締めた。

謙也(けんや)……」私は、彼の名前を溢していた。

 彼の唇から引かれた白糸が途切れた。

「あっ……」私はいつの間にか、また眺めていた。手を伸ばしそうになっていた。私は嫉妬を自覚した。

 私が目を逸らした瞬時、りょうの目が向いていた気がした。彼女が笑っていた様にも思えた。

 予鈴を聞いた。

 時間だから仕方がない。逃げてはいない。違うよ。……違わない。考えるな。

 私は罪悪感と恐怖心と羞恥心で感情を殺す。二時間に、目教室を抜け出して脱いだ下着を、ポケットの中で握り締めた。

 綺麗な人間様をやめても、お前みたいな女には私はなれない。気持ちが悪い。

「鬱陶しぃ……」舌を打った。

 階段を下る時の私の顔には、歪んだ笑みが浮かんでいたと思う。

 映画の紳士が、胸ポケットからハンカチを見せてる程度、ほんの少し、スカートのポケットから下着を見える様にして教室へ戻った。


 私は、土曜の煩い夕焼けを睨んだ。

 カーテンを閉め、電気を落とす。部屋を真っ暗にして、ライトを燈したスマホを机に置き、琉球グラスを逆向けて被せると、ガラスの世界の中にいる様な幻想的な気分になる。紅色の世界になった。

 私は二日前の帰路を思い出し、

「見られた……」

 と吐息の様な声を出していた。

 遅れて頬が火照るのを感じ、誤魔化す様に、ボールペンで机を叩いた。

 二日前、私は、横断歩道の先に、謙也を見つけた。信号を待つ間に、私と謙也との間の道路をトラックが通った。トラックが通り過ぎる、その瞬間、私は風でスカートが捲られた様を装った。自らスカートを捲ったのだ。勿論、下着を着けていない事は覚えていた。

 彼に見られた気がした。見せたのだから、見られていても問題は無かった。だけど、痴女とは思われたくなかった。

 私は顔を真っ赤にして、走って逃げた。

 もう犯罪者でしかない。私は汚れている。彼に愛される資格はない。

 私は、振り替えらず、家まで走った。

 手元を見ると、インクが滲んでいた。泣いてはいない。涎も鼻水も垂らしていない。グラスを眺めながら綴った結果だ。

 私は真っ黒になった手の甲を一瞥すると、熱いな、と言い、スマホで温度を調べた。

「はぁ……」二五という数字を見て、額に手を当てた。汗は殆ど出ていなかった。


 あなたは知らないでしょうが、私は昨日書いた手紙をあなたに渡せておりません。それどころか一昨日に書いた手紙も、その前の日に書いた手紙も渡せておりません。どうか引かないで下さい。私が半狂乱なのは自覚していますから、どうか引かないで下さい。

 それ程までに、あなたを愛している健気な奴だと思って下さい。あなたを思っているのです。どうです、愛おしくはないですか?

 私はあなたに乙女にされました。恋を覚えさせられました。苦しいです。毎日が地獄の様で、何処を見ても何も美しいと感じないのです。何を食べても美味しいと感じないのです。あなたは知るよしもないでしょう。罪悪感など抱いているはずもないでしょう。それでも、あなたが例え知らなくても、あなたは十二分に罪深いのです。

 あなたは卑怯者です。臆病者の私を乙女にして、迎えに来ないのですから。


「痛っ‼︎」頬杖がズレ、私は、顎を叩かれた様な感覚を貰った。

 元凶の肘の下の便箋を、私は、三〇通以上ある手紙の上に載せた。

「見え辛いっ」

 薄暗い事に苛つきを覚えて、電気を付け、スマホが眩しい事に苛つきを覚えて、ライトを消した。舌を打つと、書き殴り始めた。


 あなたは私と同じ程汚れた人間なんです。あぁ、書いてしまいました。この手紙はもう渡せませんね。それでも、いつか渡すかもしれませんので、書き連ねます。もし、呼んだ場合は謝罪を要求してもらって一切構いません。

 私は先述した通り、臆病者なのです。卑怯者なのです。この手紙を、渡した場合を幾度も考えては、渡すのをやめてしまうのです。

 あなたに嫌われたらどうしよう。返事がなかったらどうしよう。そんな事を考えると、連夜眠れないのです。

 毎朝勇気を振り絞って、学校に持って行ってはいるのです。健気でしょう?

 私が乱れたのはあなたのせいです。二日前の私がああいう風になっていたのもあなたのせいです。全部全部あなたのせいです。いいえ、違いました。あなたと、あなたの彼女のせいです。

 責任を取る気は無いのでしょうか? 私の気持ちを知らないから、出来ないのでしょうか? では、お伝えしたら、取ってくださるのでしょうか? 私を得てくださるのでしょうか?

 私は、彼女を作ってしまったあなたに話しかける事すら出来ないのです。目を見て挨拶する事すら出来ないのです。この辛さがあなたにはわかりますか。いいえ、わからないでしょう。

 辛いです。死にたくなります。あなたは私が死んだら泣いてくれますか?

 やはり、これを読ませてみたいです。あぁ、明日の私、お願いします。明後日の私、ごめんなさい。


 壁の鳩時計は一八時〇〇分を指しており、夕食の用意を始める時間になっていた。

 私は換気を行い、部屋を後にした。

「ふぅ、生き返った……殺そうとしたのは私だけど……」肌に触れた追い風は、とても心地の良いものだった。

 私は階段を下ると、風呂場でブラを投げ置き、スマホで顔を仰ぎ、止め、台所に立った。

 あの日、彼が告白されている場を見たのは偶然ではなかったのだろうか。いいや、必然だな。

 私は人参に包丁を叩き下ろした。料理が出来ない訳では無い。どちらかと言えば出来る方だ。飲食店二店でバイトを掛け持ちしているのだから、当然と言えば当然だ。

 だけど、台所の私は猫指はしなかった。

 もし、切れたら、謙也に心配して貰えないかな。無いか……。

 私は、いつしか耽りながら、料理をしていた。

 その日、私はりょうと初めて会話をした。

「えっと……私ですか?」

「うん、そう。あなたにお話があるんだけど。放課後、七時間目あるよね? それが終わって、だから、うーん、そうだな、四時四〇分頃、西校舎裏に来てくれる? あぁ、違うよ。虐めて食おうとかそんな野蛮人じゃないから、ホント警戒しないでね。少し、恋バナ、ね、聴いてほしいの」

「え、あ……はい……」

 初絡みのその会話を取っても、隠と陽だった。どうして私なんですか? と敬語口調すら出なかった。

 髪質も肌の艶も違う、同じクラスではあったが、別世界の住人だと思っていたのだ。

 その時、私は憧れを抱いていたのかもしれない。私もそちら側に属せると期待を抱いていたのかも知れない。スポーツと読書、サラサラロングとパサパサ短髪、沢山の友達と沢山の本。月と鼈である事に気付くべきだった。

 どんな理由でも良い、行かなければ良かったのだ。判断が逆であれば、狂っていなかったのかもしれない。手紙を書き連ねる事も、羞恥心を煽り罪悪感を得ようとする事もなかったかもしれない。

 純粋無垢を具現化させた様な幼女の、私の癒しだった妹の、涼花(すずか)のキャッキャした笑い声を聞いて、私はルーを置優しく鍋に入れた。

「ねぇねぇ、晩御飯なに?」

「今日の晩御飯は〜、なんとねぇ。涼花が大好きなシチューです」

「ふぇ? ほんと? ほんとにほんと?」

「ほんとだよ」

 涼花が机を拭きに行った時、私は嘆息し、ルーを投げ入れていた。

「はぁ……しんど」溢れた言葉を後悔し、振り返る。聞かれていなかった事に安堵して、皿の用意を始めた。

 自分の事を慕う人が居るのは、苦痛にも成り得る。その不安と恐怖は潰しても潰しても、沸いてくる。

 神様は、どんな時でも笑顔は作れる様に、私を作ったらしい。

「はぁい、出来たよ」

 もう涼花の前で包丁を握るのが怖い……。

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