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夕焼けのトリックスター  作者: 豊柴りく
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王都アステロト

 つつがなく旅程は終了し、馬車は王都へ入った。


 ゴエティア大陸きっての大国デカラビア王国。

 その王都アステロト。朽ちかけた城壁に囲まれたこの都市は12の区画に分けられており、そこではおよそ50万人が生活しているという。

 トラモントさん曰く孤児や浮浪者を含めればもっと多いらしい。


「城壁ボロボロだね」

「ずっと昔、異民族の襲撃を受けていた時代の遺物だからな。今はもう整備する必要はないから放置されてんだよ」


 特に西側の城壁はほとんど消失していて、一部は貧民窟と化しているらしい。

 100年後くらいに貴重な観光資源になりそうなんだけどなあ。勿体ないと思うけど、維持費が馬鹿にならないから実用性に乏しい現在は放置する他ないのだろう。


 ストラスも人通りの多い町だと思ったけど、流石王都は格が違った。

 馬車が人混みをかき分けるように進んでいく。これ絶対事故が起きるよ。実際、毎日あちこちで交通事故が起きているという。


「最近、馬車鉄道が整備され始めたから馬車同士の接触事故は減っていくだろうが、歩行者が危ねえのは変わらないだろうな」


 トラモントさんが通りの往来を眺めながら言った。

 王都内の大通りにはレールが敷かれていて、馬がその上を走り箱型の車両を牽いている。まるで路面電車のようだ。



 駅馬車の停留所はオンボロの城壁を通り抜けた少し先にあった。

 王都に入る際、兵士から軽く審査が入ったけど、フォラス村の村長に持たされた通行証を見せると何故か“頑張って”と笑顔で励まされた。

 馬車を降りて身体を伸ばす。ああ、なんて開放感。

 ここまで2日間共に旅をした人達が散っていく。



 夕暮れの市街は買い物客や帰路に着く人々で混雑していた。

 トラモントさんも件の言語学者の家は1度行ったきりだそうで、おぼろげな記憶を頼りに探すという。


「もしはぐれたら自力で南の城門まで戻れ」


 ストラスでの反省を踏まえてあらかじめ集合地点を決めておいた。南の城門は今馬車で通過してきたけど、軍の憲兵隊の詰め所があった。兵士の恰好をした人が迷子の子供の相手をしているのを見かけたので、交番のような役割もあるみたいだった。

 目当ての言語学者の家は今私たちがいるアネモニ区にあるらしい。


「あいつの家はここからそう遠くなかったはずだから歩いていくぞ」





 人通りの多い大通りを外れ、入り組んだ路地に入り右へ左へ。

 この時点で私は悟った。もう南の城門には戻れない。完全に自分の現在位置が分からなくなった。

 さりげなくトラモントさんの外套の裾を掴む。


「確か仕立て屋の2階に住んでたはず………」


 ブツブツ呟きながら歩くトラモントさんを必死に追いかけていると、静かな住宅地の中に鋏の形をした看板を見つけた。


「トラモントさん、仕立て屋さんってあれじゃない?」


 息を切らせながら言う私をトラモントさんが不思議そうに見た。


「ん?ああ、あれだ。もっと目立つ派手な看板にすりゃいいのに」


 オシャレで可愛い看板なのに、トラモントさんには地味で目立たない看板に思えるようだ。



 お店の脇の小道を通って裏手に回ると外階段があった。2階には2つドアがあり、トラモントさんは奥の部屋の前に立った。

 ノックする。返事は無い。

 強めにノックする。やはり返事は無い。

 ドアノブを握って開けようとしたが鍵がかかっている。いや、勝手に開けちゃダメでしょ。


「おいスペルドル!出てこい!」


 トラモントさんがドアを蹴ろうとする。


「それは乱暴すぎるよトラモントさん!」


 2人で騒いでいると、隣室のドアが開いた。


「あなた達どちら様?クリフならいないわよ」


 出てきた人物は言語学者のクリフ・スペルドルさんの知り合いのようだ。

 淡い金髪の上品そうな女性で、30歳くらいかな?女の私でもドキッとするくらいの色気を感じた。服も化粧も洗練されていて、庶民の住宅地にいるのが場違いに感じる。


「いないってどういう事だ」

「そのままの意味よ。1年くらい前からずっと帰ってないわ。ナフラ湾の孤島に住む少数民族の言語が消滅寸前だとかで、その調査に行ったきりよ」


 目的の人物はいつ帰ってくるか全く予想がつかないらしい。

 アランさんもそうだけど、学者って意外とアクティブな人が多いのかな。

 しかし困った。それではハツユキさんの日記が読めない。


「あんた、スペルドルと親しいのか?」

「それなりにね」

「それなら合鍵を預かってないか?あいつの持ってるもんに用があるんだ」

「そう言われたからって鍵を渡すと思う?」


 女性が眉をひそめて聞き返した。当然の反応だ。


「トラモントさん、かってにはいるの、よくないよ」


 女性にも分かるようにデカラビア語で言った。

 常識人として私がトラモントさんを止めなければ。そして女性の警戒を解かなければ。


「何言ってんだ、師匠の日記が読めなきゃ困るのはお前だろ」

「ごもっとも」

「うーん、何だか訳ありみたいねえ。事情を聞かせてくれたら場合によっては鍵を渡してもいいわよ」


 事情の説明。

 何をどこまで話すべきか。

 困ってトラモントさんを見ると、彼は少し考え込んでから口を開いた。


「スペルドルに風変わりな外国人の知り合いがいたのは知ってるか?この剣の持ち主で、何度かこの家を訪れているはずなんだが」


 トラモントさんが外套の裾を払って腰の刀を指し示した。


「クリフはデカラビア人より外国人の知り合いの方が多いわよ。でも、そうねえ。その変わった剣は見た事があるわ。確か持っていたのは小柄なお爺ちゃんだったわね」

「その人は俺の師匠で、スペルドルは師匠の日記を所有してるんだ。それを読ませてもらいたい」

「何故?」

「そいつが師匠の孫なんだ。祖父を探して異国から旅してきた」


 !?


 トラモントさんが話を合わせろと言いたげに視線を寄越した。


「師匠には故郷に妻子が居たんだ。でも事情があって故郷には帰れず、この国で死んだ。こいつはそんな祖父の情報を求めてはるばる旅してきたんだ」

「あら、あらあらあら。確かに言われてみれば少し似てる気がするわ。デカラビア語が拙いのも異人さんだからなのね」


 女性は頬に手を当て私の顔をまじまじと見た。まあ、同じ日本人ならこの国の人達よりは似ている所が多いかもしれない。


「ここまで大変だったでしょうね」

「そう思うなら鍵を」

「その話が本当ならね」


 おっとりした印象のわりになかなか手ごわい。

 言葉を遮られたトラモントさんが女性を睨んでいる。


「あなた、本当にあの人のお孫さんなの?」

「うん」

「私、お祖父さんの故郷の話を少しだけ聞いた事があるの。クリフとの会話がたまたま耳に入っただけなんだけど」


 女性がウインクして試すように笑った。


「有名な合言葉があるそうね。山と言えば?」

「川」






 クリフ・スペルドルさんの部屋の床には足の踏み場が無いほど本が積まれていて、今にも雪崩を起こしそうだった。しかも埃っぽい。


 私の迷いの無い即答に満足そうに頷いた女性は「これ以上疑う理由は無いわね」と言って鍵を渡してくれた。

 窓から夕陽が差し込んでいる。薄暗い室内に足を踏み入れると久しぶりに室内の空気が動いた気配がした。

 見渡す限りの本や紙の束。まさかこの中から探さなきゃいけないのか。

 トラモントさんも顔を顰めて「こりゃ長丁場になるな」と呟いた。


「勝手に入って家探しして、スペルドルさん怒らないかな」

「俺も数回顔を合わせただけでよく知らないけど、そういうの気にするようなタイプには見えなかったな。あのオバサンもそう思ったから鍵を寄越したんだろ」

「オバサンて。ロザリンドさんはお姉さんて呼ぶべきだよ」


 鍵を貸してくれた隣人ロザリンドさんはこの建物の所有者で1階の仕立て屋の店主だそうだ。


「いや、あの人結構歳いってるぞ。俺のカンがそう言ってる」


 最初は他愛ない事を話しながら日記を探していたが、次第にその元気も無くなった。

 夜になってランプを灯して作業していたが、リビングの一角を調べ終わった時点で私は疲労困憊していた。

 リビングの他にもう2つ部屋あって、そこにも本が山積みされているのだ。

 これは住居と言うより書庫と言った方が正しいだろう。キッチンがあるものの使った形跡は無いしそもそも調理器具はおろかお皿すら無い。


「今日はもう終いにしよう。飯食いに行くぞ」


 トラモントさんに声をかけられ中心街へ繰り出した。安そうなお店に入ったけど、同じようなメニューでもフォラス村より値段が高い。

 ただ、王都に来て良かった事もある。公衆浴場があるのだ。

 と言っても無数の小さな穴が開いたパイプからお湯が出るだけで、浴槽には浸かれなかったけど。

 それでも温かいシャワーを浴びれるだけマシだ。これまでは川で水浴びしたり井戸水を頭からかけていた。今は温かい時期だからともかく、冬もああする他ないのかと思うと涙が出そうだ。


 しかし、都会と田舎でこうも違うとは。街灯に照らされる夜道を歩きながら思う。

 物価もインフラも同じ国なのにまるで違う。数十年も時代が離れているように感じた。

 フォラス村では茶摘みの後、アンシーたちと川で水浴びをした。温かいシャワーを浴びたら彼女たちはどんな反応をするだろうか。


 スペルドルさんには申し訳ないけれど、宿代節約のためしばらく彼の家に泊まらせてもらう事にした。

 私は寝室へ。トラモントさんは完全に物置と化している小部屋へ。

 寝室と言ってもベッドは無く、古びたソファーがあるだけだ。そこに横にならせてもらって目を閉じた。

 明日中に見つかるといいな。でも、日記が見つかったからって日本に帰れるわけじゃないんだよな。どちらにせよトラモントさんとの旅もこれで終わりなのかな。そういえばハツユキさんて古い時代の人っぽいけど彼の字が読めなかったらどうしよう。

 何だか目が冴えて眠れない。早く朝が来ればいいのに。






 翌朝、寝不足の頭を抱えてリビングへ行くと既にトラモントさんが発掘作業を始めていた。

 この人いつも早起きだな。


 朝食は近所のパン屋さんで購入したトーストとゆで卵だ。

 持って帰ってスペルドルさんの家の外階段に座っで食べた。室内にパン屑を落としたり本を汚したら申し訳ないし。


「寝泊まりしといて今更気にする事か?まああんなカビ臭い部屋で飯を食う気にはなれないからいいけど」


 言わなかったけど、それが1番の理由だったりする。


「あら、ピクニックみたいで良いわねえ」


 今日も美しく着飾ったロザリンドさんが階段を下りてきた。


「すみません。じゃまだよね」

「いいのいいの。どう?日記は見つかった?」

「それが、あまりにもほんがおおくて、じかんがかかりそう」

「すごい数の蔵書ですものね。頑張って」


 ロザリンドさんはそう言うと颯爽と仕事場へ向かった。






 今日も今日とて本の海を泳ぐ。そんな気分だ。


「あ!」


 思わず声を上げてしまった。


「見つけたか!?」

「ううん、ごめん。違うけど、知ってる文字を見つけたからつい」

「知ってる文字?」


 そう、私はこの文字を知っている。顔文字でよく使われてるやつだ。

 デカラビア語の本に挟まっていた紙片にキリル文字が書かれていた。


「俺は見た事の無い文字だが、読めるのか?」

「読めないなあ。たぶんロシア語だと思うんだけど」


 紙片の経年劣化が激しいから書かれたのは相当昔だろう。

 でも、これは新たな発見だ。ハツユキさんの他にも私と同じ世界から来た人がいたって事だ。

 紙片が挟まっていた本の表題をトラモントさんに読んでもらった。


「そうだ、フェネクス行こう~愛犬と行く七日間~」

「………」

「フェネクスってのはこの大陸の最西端にある国だ」


 観光ガイドかな?

 一応後で詳しく調べるために分かる所によけておいて、日記の発掘作業に戻った。


 リビングでの作業を終え、トラモントさんは物置部屋、私は寝室の方に取り掛かった。

 お腹が鳴ったのでもうお昼頃だろうか。

 天井付近まで高く積み上げられた山を崩すと、その中に1冊だけ異質な本があった。

 いや、本というよりはノートか。ストラスで購入した筆記帳に似ている。

 紐で綴じられていているけど、今にも崩壊しそうだ。

 表題は何も書かれていない。

 慎重に持ち上げて表紙を開くと、見慣れた文字がある。


 日本語だ。


 思わず歓声を上げてトラモントさんを呼ぼうとしたけど、知った名前が目に映り私の思考はしばし停止した。




 秋仲初幸




 “ひいおじいちゃんは空を見上げるのが好きでね、特に秋の夕焼け空がお気に入りだったの。いつか私に世界で1番綺麗な茜色の空を見せてやるって約束してくれたのよ”


 かつて曾祖母が思い出を語ってくれた。

 私が生まれた時、曽祖父は既に故人だった。祖父も自身の父の事を覚えていないと言う。

 曽祖父は妻と生まれたばかりの赤子を残して亡くなってしまったからだ。

 戦闘機に乗っていて南方の海で米軍機との格闘戦の末撃墜されたのだと、後に戦友だという人から聞かされたという。当然、遺骨は戻ってこなかった。


 ハツユキ、初幸。確か、曽祖父はそんな名前ではなかったか。

 曾祖母の名字は秋仲(あきなか)

 こんな偶然があるだろうか。


 癖のある行書体で書かれているため少し読みにくいけど、単語を拾っていけば意味は分かる。

 1ページ目には家族や故郷への思いが綴られていた。

 生きて日本の地を踏みたい。

 両親や妻は元気に過ごしているか。

 生まれたばかりの息子は健やかに成長しているか。

 早く会いたい。

 日本の空が見たい。

 約束を果たさなければ。




 間違いない。秋仲初幸は私の曽祖父だ。




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