旅立ち、迷子、もう一つの運命(?)
旅立ちの日の朝だ。
この世界に来てから朝起きるのが苦痛ではなくなった。規則正しい生活を送っているからだろうか?今日もパッと目が覚めた。
身支度を整えて部屋を出て1階に降りると村長さんの奥さんが朝ご飯作っている最中だった。
手伝おうとするとやんわり断られた。
「今日はこれから大変なんだから、ゆっくりしてなさい」
そう言われたので台所の椅子に座って料理をする奥さんの背中をぼんやり眺めた。
朝の柔らかい日差しが窓から差し込んでいる。
「昨日の晩、夫がトラモントさんを晩酌に付き合わせたみたい」
いつも私より先に起きているトラモントさんがいないのはそのせいか。
「滅多に飲まないんだけど、トラモントさんと2人で話したい事があったんでしょうね。ずいぶん遅くまで起きてたみたいよ」
スープのいい匂いがする。
「アカネちゃん」
トントンと規則正しいリズムを刻んで野菜を切っていた手を止め、包丁を置いた。
「いつでも帰ってきていいからね」
椅子を蹴飛ばして立ち上がり、奥さんに抱き着いた。
奥さんが優しく抱きしめ返してくれる。
奥さんとの別れが悲しい。母を思い出してつらい。
トラモントさんが起きてきたのは私の涙が収まってからだった。
赤い目を見たら泣いたのは一目瞭然だったろうけど、トラモントさんは私の顔を見ても何も言わないでいてくれた。
つばの広い帽子、膝下までのワンピース、茶色の革製のリュック。
私の装備品となったこれらは全て村長夫妻の娘さんのお下がりだ。
勝手に貰っていいのかと悩んだけど、出費を考えると馬鹿にならない額になるので貰っておいた。
それと、都市間の移動に必要だからと通行証を渡された。書いてある文字は読めないけど、通行証ってそんな簡単に作れるものなんだろうか?
靴だけは日本から履いてきたローファーだ。
見た目重視で選んだ靴なので旅には向かないのだけど靴はちゃんと自分に合ったものを履いておけ、さもないと泣くはめになるぞと旅のプロフェッショナルであるトラモントさんに言われたので、取りあえずはこれを履いて行って大きな靴屋で新しく購入しようという事になった。
制服は置いていく事にした。着る機会はないだろうし荷物になるだけだから。
日本に帰る方法が見つかったら取りに戻ろう。
ただ、制服のスカーフはヘアバンド替わりとして持っていく事にした。
ずっとポニーテールにしていたが少し前にヘアゴムが寿命を迎えて千切れたのだ。
アンシーたちが紐で結ぶやり方を教えてくれたけど難しくて上手くいかないので練習中だ。
「今までどうやって束ねてたの?」と聞かれて「ヘアゴムって言う安価なゴム製品があってね」とは言えずとっさに「トラモントさんがやってくれてた」と答えてしまった。
三人共顔に『ありえないでしょ』と書いてあったけど追求しないでくれた。感謝だ。
トラモントさんの使い古された外套は村長の奥さんに何度も洗われて、いくらかマシになっていた。
その下には簡素な黒い筒型衣のシャツと丈夫そうなズボン、そして腰には刀。足元は黒いブーツだ。
トラモントさんの格好を見て戦争映画で見たスナイパーを思い出した。
森に潜伏されたらすぐそばにいても気づかない自信がある。
荷物は巾着袋と同じ形状の袋が1つだけのようだが、あれに全ての荷物が入っているのだろうか?
もし現代の日本にいたら、ポケットに財布とスマホだけ入れて鞄を持たず出歩くタイプに違いない。
王都までは遠いので、まずは途中の町まで茶葉を運ぶという荷馬車に乗せてもらう事になった。ハツユキさんと同じ方法だ。私たちは隠れたりする必要はないけど。
見送ると言う村長夫妻と町の出入り口へ向かう。ハツユキさんのお墓がある草原とは逆の方角にある出入り口だ。
そこには大勢の人がいた。
アンシー、エミリ、アメルがお揃いのブレスレットを付けて手を振っている。私も同じブレスレットを付けた腕を振り返した。
「おはよう」
いつも通りの朝の挨拶をした。
うんちく合戦のおじいちゃんおばあちゃんが日課の朝の散歩のついでに見送りに来たと笑っている横で、井戸端会議のおばさん達が「若い2人にエールを送りに来たわよ」なんて言ってはしゃいでいる。
アンシーたちとはハグをした。最初は馴れなくて戸惑ったけど、最近はこういうのも悪くないなと思えてきた。
トラモントさんは男性たちに囲まれ肩パンされていた。
1人一発づつ、もちろん本気ではないけど、キールさんだけ何発もしつこくするのでトラモントさんにヘッドロックをかけられている。キールさん嬉しそう。
茶葉を積んだ荷馬車と共に御者さんが現れた。タイムリミットだ。
手紙書けよ、とか体に気を付けろよ、とか。
色んな言葉をかけられながら荷馬車に乗り込んだ。
別れの言葉を口にする人はいなかった。
それが嬉しくて、走り出した馬車の荷台の後ろから大声を張り上げた。
「いってきます!」
ガタゴトと揺れながら、太陽に背を向け荷馬車が走る。
荷台には幌があるので日差しや砂埃は防げるものの、人が乗る事を想定して作られていないので予想以上の衝撃が来た。いっそ茶葉を詰めた麻袋にダイブ出来たら楽だろうけど、売り物にする商品には乗れないな。
私が座り方やポジションをあれこれ試行錯誤しているとトラモントさんが「リュックを尻に敷いとけ」と助言してくれた。
そのトラモントさんは直に胡坐をかいて座っている。
「おしり、いたくならないの?」
「慣れてるから」
慣れるようなもんじゃないと思うけど。
「…あんな風に賑やかに送り出されたのは初めてだ」
トラモントさんが後ろに流れていく景色を眺めながら呟いた。
彼もあの村には思う所があるのかもしれない。
家を持たないトラモントさん。それは、帰る場所が無いって事だ。
ハツユキさんには帰りたい家があった。でも彼は?
この世界で生まれ育った人なのに、この世界の何処にも居場所が無いみたいだ。
「そういえば、それどうしたんだ」
それ?首をひねる。
「その手首のやつ」
「ブレスレットのこと?きのうアンシーたちとつくった。ゆうじょうのあかしってかんじ」
「女ってそういうの好きだよな」
そんな知ったふうな口を利けるほど女の子の事知らないくせに
と思ったけど言わないでおいた。藪蛇になりそうだし。
荷馬車を牽く馬を休ませながら進み、村長の奥さんが持たせてくれたお弁当を食べて荷台で一泊し。
町には翌日の朝、到着した。
フォラス村はほとんどの建物が木造だったけど、この宿場町ストラスは石造りの背の高い建物が目立つ。
交通の要所として古くから栄えていた町だ。
町の目抜き通りは広く馬車が走れるように整備されていて、近隣の町や村から多くの行商人や旅人が集まり賑わっていた。
一緒に荷台で雑魚寝した仲の御者のおじさんに心ばかりのお礼を渡し別れると、トラモントさんは勝手知ったるという風に歩き始めた。
駅馬車というものがあるらしい。
決まった駅の間を決まった時間に運行する馬車。つまり電車やバスと似たようなものだ。
まずこの町の駅に行き、王都方面へ向かう馬車の時間と空席を確認する。
トラモントさんはこの町も何度も訪れたそうで主要施設の場所は大体把握しているらしい。
ぶっきらぼうだけど旅慣れしているだけあって優秀なナビゲーターである。
であるのだが。
「少しは私の存在を気にしてよ!!」
思わず日本語で叫んでしまった。はぐれてしまったのだ。
さっさと駅に向かって歩くトラモントさんを必死に追いかけていたけど、如何せん人が多い。
馬車が通る時に立ち止まって脇に避けたり、人にぶつからないように周囲に気を配っていたら見失ってしまった。
お金はトラモントさんが持っている。
この国の通貨単位はフラメルという。紙幣と硬貨の種類を覚える所から始まり、アマンダさんを相手に幼児のように買い物や金銭のやり取りの練習はしたのだけど、簡単にスられそうという理由でほぼ全額彼に預けたのだ。
手持ちは500フラメル硬貨1枚。
アマンダさんの食堂のパウンドケーキが500フラメルだった。
遭難した時はまずはその場から動かないのが鉄則であると聞いた事がある。
むやみに歩き回ったりせず、冷静になる事。
大通りからは離れない方が良いだろう。トラモントさんが私がいない事に気が付いて戻ってくるかもしれないし。
近くの大きな街路樹の下で、通りを行きかう人々を観察した。
フォラス村の住人はフランスの画家ミレーの『晩鐘』に描かれている人物のような服を着ていたが、この町では異国情緒溢れる服装の人を見かける。思ったより開いた国なのかもしれない。
トラモントさんも村の人々と比べると一風変わった格好だし、案外セーラー服でも奇異な目で見られないのでは?
どこからか鐘の音が響いた。10回鳴ったから今は10時だ。
朝ご飯(リンゴ1つとビスケット1つ)の時間が早かったから少し小腹が空いてきたな。
大通りには数々の露店が立ち並んでいる。美味しそうな匂いを漂わせる屋台もあった。
なけなしの500フラメル、今使うべきか否か。
「お腹を空かせて漂うパルーパーみたいな顔をしてるね」
悶々と悩んでいると突如上から声が降ってきた。
驚いて見上げると、街路樹の木の枝に器用に腰かける男の子がいた。結構長い時間木の下にいたけれど、全く気が付かなかった。
「そんなところでなにしてるの?」
「え~?秘密」
彼はにんまりと笑った。人を食ったような態度だ。
自分から話しかけておいて彼はもう私の存在なんて忘れたかのように大通りに視線を移した。こちらには見向きもしない。
何だか馬鹿らしくなって、私も彼の事は忘れてお腹を満たすことにした。腹が減っては何とやら、だ。
すぐそこにある屋台で肉まんのようなものを買った。
厚い皮の中には甘辛いひき肉と細かく刻まれた野菜が入っている。
「おいしそうだね」
「うわあ!」
樹上にいたはずの少年が後ろから私の手元を覗き込んだ。いつの間に。
「少し頂戴」
「いやだよ」
「え~ケチ。何なら力尽くで奪ってもいいんだけどな」
ヘラヘラ笑いながら私の周りをぐるぐる回り始める。
なんだこいつ!?
ヤバイ人に絡まれてしまった。
分ければ気が済んで何処かに行ってくれるだろうか。
肉まん(仮)を断腸の思いで2つに割り片方を少年に渡すと「え、くれるんだ。ありがとう」と驚きながら肉まん(仮)を頬張った。そして早々に食べ終えると私の食べかけをじっと見つめる。ちょっと嘘でしょ。
その時救世主が現れた。
トラモントさん!と思ったら違った。
20代後半くらいの男性だ。とても背が高いけど細身なので威圧感は無い。
「リュラ!◯※&▲○×=!!」
リュラ、と呼ばれて少年が振り向いた。
私の知らない言葉で何か話している。デカラビア語ではない。二人ともこの国ではあまり見ない褐色の肌と異国風の服装なので外国人なのかもしれない。
救世主さんはリュラと呼ばれた少年を私から引き離すと彼の代わりに謝罪した。
「すまないな、常識のないやつで。犬に噛まれたとでも思ってこいつの事は忘れてくれ」
少年もこの男性も流暢にデカラビア語を話す。凄いな、バイリンガルってやつだ。
申し訳なさそうな男性の横で当の本人はヘラヘラしている。
少年には腹が立つけど申し訳なさそうにしている男性を見ていたら文句を言う気にはなれなかった。いつも彼の尻拭いをしているのだろうか、妙に謝り慣れている気がする。
「そうすることにします。もうきにしてません」
「本当にすまなかった。少ないがこれ」
男性は重ねて謝罪すると私に500フラメル硬貨を握らせ、少年を促して2人でこの場を立ち去った。
去り際少年が「美味しかったよ。さよなら、パルーパーちゃん」と言って手を振った。
男性に頭を引っ叩かれていた。
リュラ少年も迷子で、木の上からあの男性を探していたのかな。彼の保護者っぽかったし。
「アカネ!」
ふいに名前を呼ばれた。反射的にそちらを見た。
見慣れた外套に身を包んだ男性が人ごみを縫ってこちらに走ってくる。ああ、私の保護者だ。
安心感と驚きと喜びと気恥ずかしさで感情がジェットコースターのようだ。
彼は今、初めて私の名前を呼んだ。
「トラモントさん」
置いていかないでよ、とか変な人に絡まれて大変だったんだよ、とか。
色々言いたい事はあったけど全部吹き飛んでしまった。
そういえば身内以外の同年代の男の子に名前を呼び捨てされたのは初めてだ。
今まで特別仲の良い男の子っていなかったし、同級生の男子には名字で呼ばれていた。
「何ニヤついてんだよ」
トラモントさんが息を切らせながら言った。走り回って必死に探してくれていたのか。
「べつに、なんでもないよ」
「迷子になって半べそかいてるかと思ったら、全然平気そうだな」
焦って損した、と呟く彼に一層笑みがこぼれそうになるが怒らせてしまいそうなので顔を引き締めた。