フォラス村~彼ら彼女らのあれこれ~
日が沈み切る前に村長さんと共に丘を下ると、村の入り口でトラモントさんが待ち構えていた。
「私は先に家に帰りますね」
村長さんと別れトラモントさんと二人で歩く。
「村長と話してたのか」
「うん。ハツユキさんのこととか、いろいろきいた」
「あの人の事は俺は師匠から聞かされた。この世界に来て最初に世話になった相手だと」
トラモントさんの視線が、小さくなっていく村長さんの背を追う。
「師匠が息を引き取ったのは王都だったんだが、そこに墓は作れなくて、火葬して残った遺骨をどうしようか一緒に師匠を看取った連中と相談してた時、その事を思い出したんだ」
そうして村を訪れると、話に聞いた少年は村長になっていたという。
「師匠の墓を作りたいと言ったら二つ返事で許可をもらえて、資金も提供してくれた。ヴィネア教の墓地は居心地が悪いかもって、師匠がこの世界で1番最初に立った場所に墓を作ったんだ。きっとあそこは師匠が帰りたがっていた故郷に1番近い場所だから」
周りに何も無くて寂しい場所だと思ったけれど、なるほどそういう事だったのか。あのお墓はトラモントさんと村長さんのハツユキさんへの思いが溢れているんだ。
トラモントさんと初めて会った時、鬼のような形相をしていたのは私がそのお墓に腰かけていたからだろう。彼はハツユキさんのために怒っていたのだ。
「トラモントさんてやさしいね」
「はあ?優しくねえよ。なんだよいきなり」
本人は認めないだろうけど、彼は優しいのだ。
命日に合わせ、故人を偲んであんな辺鄙な場所までお墓参りに来た。
そこで泣き崩れる見知らぬ女に戸惑いながらも傍を離れなかった。
この世界で初めて迎えた朝、彼は先に起きていたけれど私が自然に目覚めるのを待ってくれていた。
食堂で自分の好みで注文したと言っていたけどあれは嘘だ。パウンドケーキは私のために頼んだのだろう。
彼は甘いものを好んで食べようとしない。一カ月以上食事を共にしていたらそれくらい気づく。
休日も私のために時間を使ってくれるし、今だっていつもの広場に来ない私を心配してここに探しに来ていたのだろう。
一人になりたい時、私があの丘で過ごしている事を彼は知っていて。
心配して私の動向を注意深く見守ってくれていたのだ。
王都への旅路も当たり前のように共にするつもりでいる。そんな義理ないだろうに。
「トラモントさん、どうしてそこまでしてくれるの?」
「そりゃ師匠には世話になったし、弔うくらい当然だろ」
「ハツユキさんのことじゃなくて、わたしのこと」
トラモントさんが黙り込んだ。
「わたしはとても、たすかってる。ありがたいよ。でも、これいじょう、つきあうひつようない」
「まだ見返りを貰ってない」
「え?」
「デカラビア語を教える代わりに見返りを貰う。忘れたとは言わせねえぞ」
「………」
そういえばそんな話だった。
「お前にかけた労力に相応する見返りを貰うまで逃がさねえぞ」
本気で言っているのか、はぐらかされたのか。いまいち判断がつかない。
これ以上追及しても本当の事は教えてくれないだろう。
彼が何を考えているのかわからない。ハツユキさんの事は饒舌に語るのに自分の事は教えてくれないし、他にも隠している事がたくさんありそうだ。
でも、彼の心根の優しさだけは知っている。今はそれだけでいいとも思う。
「トラモントさん、これからよろしくおねがいします」
私から手を差し出す。この世界にも握手の文化があると教えてくれたのは彼だ。
「ああ」
握った手は大きくて暖かかった。
収穫祭の日。
この日を境に手伝いに来ていた人々が自分の村へ帰っていくという。
トラモントさんと連れ立って広場を訪れると、そこかしこで村人たちが別れを惜しんでいた。
「今年は晴れの日が多くて良かったな」
「秋になったらお前んとこの村の果樹園の手伝いに行くよ」
「その時はまたお茶っぱを持ってきてくれ。代わりに好きなだけリンゴを持って行っていいから」
村人たちの会話を何の気なしに聞きながら歩いていると足しげく通った大衆食堂の女性店員、アマンダさんが目に入った。毎年この日は店を休業して無料でお茶とお菓子を振る舞うそうだ。彼女は私と目が合うと手招きした。
「こんにちは」
「こんにちはアカネ。はい、これどうぞ」
小さなお盆を渡された。お茶とクッキーが添えられている。
「ありがとうございます。いただきます」
クッキーには茶葉が練り込まれていた。紅茶クッキーなら日本でよく食べていたが、緑茶に近い茶葉だとどうなのだろう?恐る恐る齧ってみる。
「おいしい!」
「そりゃ良かった。ほら、トラモントも食べな」
お盆を受け取ったトラモントさんがクッキーだけ私のお盆に乗せてきた。
「あんたたち王都に行くんだって?」
「ああ」
お茶を飲みながらトラモントさんがそっけなく答える。
「初めてあんたたちがうちの店に来たとき、誘拐犯と世間知らずのお嬢様かと思ったよ。村長があの二人は悪い子たちじゃないって言うから通報はしなかったけどね」
「そんな風に見られてたのか」
トラモントさんが心外そうに呟いた。
「ここまでどんな経緯があったのかは知らないけど、自分たちで決めたのならそう簡単に別れちゃだめだよ。きっと後悔することになる。長い人生、色々あるさ。でもどんな困難もいつかは思い出話に出来るようになるよ」
トラモントさんが怪訝な顔をしている。きっと私も似たような表情をしているだろう。
アマンダさん、何か重大な勘違いをしてるんじゃないだろうか。私とトラモントさんの関係について。
「おっ駆け落ち夫婦じゃん」
衝撃的な言葉が投げかけられた。
「キールお前!」
トラモントさんは問題発言をした青年と知り合いのようだ。
この青年には見覚えがある。確かトラモントさんと同じように茶葉の運搬をしていた人だ。
そして、酔って村長さんにゲロをぶちまけた人だ。
「何怒ってんだよ。あ、彼女との時間を邪魔したからか?ヒューヒューお熱いねえ!」
「絡むなよ。どっかいけ」
邪険にされても青年は全くへこたれなかった。むしろ生き生きとして「お二人の出会いは?式はいつにしますか?」なんてしつこく絡んでくる。
トラモントさんがキールさんと追いかけっこを始めた。
捻くれ者で斜に構えたような態度の彼も同年代の男性と絡んでいる時は男子高校生のように子供っぽい事をするんだな。何だかほほえましい。彼は彼でこの村の人々と関係を築いていたのだろう。
そこにアンシー達がやってきた。
「お母さん、手伝いに来たよ。やっほーアカネ」
アマンダさんはアンシーのお母さんだった。仲良くなって少ししてからアンシーに言われて知ったが、確かに2人の赤毛はそっくりだ。
「ちょっとキール、何してんのよ」
エミリが走り回るキールさんの首根っこを掴んで止めた。
「やあ遅かったじゃないかハニー!なかなか姿を現さないから寂しくて。トラモントをからかって遊んでたんだ」
キールさんの背中にトラモントさんの蹴りが入った。
地面に膝をつくキールさんをエミリが呆れた目で見下ろしている。
エミリに恋人がいるのは知っていたけど、この人だったんだ。小さな村だから世間も狭いな。
「おい、俺は先に戻ってるぞ。お前は別れが済んだら帰ってこい。明日は朝一で村を出るから挨拶回りしてる時間ないからな」
トラモントさんが私にそう言って踵を返すと、アンシーが行く手を塞いだ。
「何だよ」
「おい、とかお前とか、そんな呼び方ってないんじゃない?」
トラモントさんが痛いところを突かれた様な顔をした。
「ちゃんと名前で呼びなよ。失礼でしょ」
以前アンシーたちにトラモントさんとの関係を聞かれた事がある。
彼女らは恋人なんじゃないかと訝しんでいて、それは無いと否定したけど納得した様子ではなかったからこう言ったのだ。
『じじょうがあっていっしょにいるけど、トラモントさん、わたしのこと、あんまりすきじゃないとおもう。なまえをよばれたこと、いちどもないし』
「お前には関係ないだろ」
仏頂面で呟いたトラモントさんに尚もアンシーが食い下がる。
「また言った!私にはアンシーって名前があるの!まあ私の事はいいよ、ほぼ赤の他人だし。でもアカネの事はちゃんと名前で呼んであげなよ。アカネが嫌いなわけじゃ無いんでしょ」
トラモントさんがチラリとこちらを見た。助けを求められているようだ。私のために怒ってくれるのは嬉しいけれど、トラモントさんを困らせたくはない。アンシーを宥めようと思ったら
「もしかして照れ臭くて呼べないんじゃね?」
キールさんが言った。
沈黙が落ちた。
猛然と食って掛かっていたアンシーも勢いを削がれてトラモントさんの顔をマジマジと見つめている。
アンシーの言葉にそうだそうだ、とこぶしを握って頷いていたエミリとアメルも顔を見合わせてトラモントさんの様子を窺っている。
アマンダさんは生ぬるい目を向けていた。
気づいたら私たちの周りの人々がやれやれ、といった顔でトラモントさんを見ていた。
「うちのおじいさんも昔は恥ずかしがって私のことを“おい”だの“こいつ”だの呼んでたねえ。きっとそのうち素直に呼べるようになれるさね」
通りすがりのおばあちゃんがトラモントさんの背中を叩いて励まし去っていった。
私の位置からはトラモントさんの顔までは見えないけど、耳が真っ赤だ。
彼は肯定も否定もしなかった。違うならはっきりそう言う人だから、つまり、そういう事なのだろうか。
「あいつさあ、今まで同年代の女の子と深く関わる事って無かったんじゃないかな」
キールさんがクッキーを食べながら言った。
あの後なんだか居たたまれなくって「わたし、きにしてないよ」と声をかけると、トラモントさんは無言でその場を走り去った。その様子が何だかおかしくて、彼には悪いけど笑ってしまった。
アンシーがお母さんの手伝いをするというので私たちも一緒にお茶の用意や使い終わった食器類を洗ったりした後、ゆっくり話しておいで、とアマンダさんがお店の鍵を貸してくれたのだ。
それから私たちは閉店中の食堂でお喋りに興じている。
「なんであんたがいるのよ。女子会の邪魔なんだけど」
エミリが冷たい事を言うとキールさんは何故か嬉しそうに笑う。この2人の関係って一体……いや、深く考えるのはやめよう。
「アカネちゃんはともかく、エミリ達はトラモントとほとんど話した事無いだろ?」
「そうね。特に話すような用事もないし」
「近寄りがたい雰囲気ですし」
「話しかけるなオーラが出てるんだよね。よく見るとまあまあイケメンなんだけどなあ」
上からキールさん、エミリ、アメル、アンシーの台詞である。
「女の子たちには誤解されてるみたいだけど、俺たちといる時は結構喋るよ。付き合いも悪くないし」
俺たち、というのは村の若い男性たちだ。広場やこの食堂でよくたむろしている。
「物心ついた頃からずっと旅をしてるんだってさ。同行人はずっと年の離れた男だけだったらしいから、女の子との接し方が分からないのかも」
「同行人って、お父さんとか身内の方でしょうか?」
「さあ?そこははぐらかされたな」
「アカネは知ってる?」
エミリに聞かれたけど首をかしげておいた。トラモントさんが言わなかったのなら私から話す事ではないだろう。
「アカネちゃんに素っ気ないのも君の事が嫌いだからじゃないと思うよ。嫌いならそもそも関わったりしないと思う」
キールさんは真剣な顔で私に言った。トラモントさんをからかっていた時とは違う、真摯な目だ。
「短い付き合いだけどトラモントの事は友人だと思ってる。心配なんだ。あいつ、どこか不安定な感じがする。君が傍にいた方が良いと思う」
キールさんはそれが言いたくて付いてきたらしい。クッキーご馳走様、と言うとさっさと出て行った。
「キールさんてふざけてるけど、いいひとだね」
私がそう言うと、エミリは少し照れくさそうにまあね、と呟いた。
「アカネ、どうしてトラモントさんと二人でこの村に来たの?彼と二人で王都まで行って何するの?」
アンシーが言った。私はああ、ついに来たか、と思った。いつかは聞かれるだろうなと覚悟はしていた。
「お母さんたちが詮索するなって言うから今まで聞かずにいたけど、知りたい」
エミリとアメルも神妙な面持ちでじっと答えを待っている。
「いえない」
「どうして?話せないような悪い事なの?」
「ちがう。でも、きかないほうがいいこと」
「私たちのために黙ってるって事?」
「そう」
異端者と知りながら親しくした者にも処罰を。
本当はそれだけが理由ではない。
私は臆病だ。異世界から来たと打ち明けた時の彼女たちの反応を考えてしまう。
怪物扱いするだろうか?99%しないだろう。でも1%の可能性が頭の隅から離れない。
出会ったばかりの頃だったら、仕方ないな。そんなものだろうな。そう思えたかもしれない。
でも、もう私たちは傷が浅くて済むような薄っぺらい関係じゃなくなっている。
彼女たちに拒絶されたら私は立ち直れないかもしれない。それくらい大好きになってしまっていた。
だから言えない。でも適当な嘘をついて誤魔化したくもない。
「………何でも話せる関係だけが友達ってわけじゃないと思います」
アメルが寂しそうに言った。
「大切な存在だからこそ言えない事もあると思うんです」
深い、深海のような青い瞳が揺れている。泣きだしそうだ。
「言わない、じゃなくて言えない、だもんね。私たちのためってのは分かるよ。分かるけど…」
エミリが悔しそうに唇を噛みしめた。
「力になれないのが悔しいよ。何か事情があるなら助けたい。そう思うのも大切な友達だからだよ」
彼女たちの友情に、私はどう応えればいいのだろう。
「このままお別れなんて嫌だな」
アンシーがポツリとつぶやいた。
「こんな気まずい別れ方したら、私ずっと引きずるよ」
そう言うと突如立ち上がり奥の階段を駆け上った。
店内奥にある階段は関係者以外立ち入り禁止で、2階には従業員の休憩室がある。
アンシーがまだ幼い頃は、お母さんの仕事が終わるまでそこで時間を潰していたらしい。
上階でガタゴトと何かをひっくり返したり動かす物音がしていたが、数分後アンシーが何かを持って降りてきた。
小さな木製の編み機だ。小さい頃私も似たような器具でミサンガを作ったことがある。
「これでお揃いのブレスレット作ろう。いつかまた会えますようにって祈りながら」
そしてまた四人揃って集まれたら、その時は全てを話してほしい。
その言葉に頷いた。
この世界に来て初めて出来た友人と約束をした。
それが今できる、私の精一杯の誠意だ。