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夕焼けのトリックスター  作者: 豊柴りく
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安らぎの村~緑茶の香り~

 

 春も終わりが近づき、新芽がすくすく成長し緑が濃くなっていく季節


 朝晩は涼しい風が吹くものの日中は少し汗ばむ陽気だ。

 無心でひたすら獲物をもぎ取っていく。

 プチプチという音がそこら中から聞こえてくる。

 後ろの木の向こうから日焼けしないよう完全防備したおば様方の賑やかな笑い声が響いた。

 雑談に興じながらも彼女らの手は驚くべき速度で動いている。籠の中の収穫物は私の3倍以上だ。


 私は今、茶畑でお茶を摘んでいる。


 ハツユキさんの日記を読むため王都の言語学者に会いに行く。

 そのための路銀を稼ぐのに私でもできる仕事がこれだった。


 トラモントさんは何度かこの村を訪れているようで、村で1番の地主であり権力者、つまり村長と知り合いだった。

 小さな村とはいえ村長さんと知り合いとは一体彼は何者なのだろう?そう思って聞いてみたら


「師匠がここの村長と知り合いだったんだ。師匠がこの世界で1番最初に降り立ったのがあの墓のある場所で、自力でこの村に辿り着いた所を色々面倒見たのが村長らしい」


 異世界人が降り立つスタート地点は決まっているのだろうか?


「お人好しだからきっとお前の事も詮索せず助けてくれる。仕事を紹介してもらおう」


 突然訪れた私とトラモントさんを嫌な顔一つせず家に招き入れた村長さんは確かにお人好しだった。

 トラモントさんは私の事を“詳しい説明は出来ないが訳ありで言葉が不自由、ついでに体力も常識も無い”という最悪の印象を植え付ける紹介をしたようだけど、村長は大丈夫大丈夫、と言うように笑顔で私の肩を優しく叩くとお湯と着替え、さらに寝床を用意してくれた。

 昨夜は温かいタオルで体を拭きお湯で足を洗ってから清潔な服を着てベッドで眠れる喜びを噛みしめたのだ。





 そして今に至る。

 この区画の畑の責任者だという女性から身振り手振りでレクチャーを受けて作業していると、少し離れた場所でお茶を摘んでいた村の若い女の子たちがこちらを見ながらヒソヒソ話している事に気が付いた。

 何だろう。私何か変な事してるかな?

 じりじり距離を詰めてくる。相手は3人だ。囲まれて殴り合いの喧嘩になったら勝てる気がしない。


「$#&@*+◇※▲」


 話しかけられた。意味は分からないけど表情や声音からして敵意はなさそうだ。


「コンニチハ」


 覚えたてのデカラビア語を使ってみた。簡単なあいさつは昨晩教わったのだ。発音が下手くそでトラモントさんに何度も矯正されたけど。


「!”#%&’()=?」

「▽♪>?+*‘P」

「○×△☆♯♭●□▲★※!!!」


 矢継ぎ早に何か質問されたけど聞き取れず、困っていると背の高い子が私の頭に大判の布をかぶせた。

 そして自分たちの頭を指さす。三人とも頭と首を隠すように布で覆っている。日焼け対策かな?

 真似をしろという事だろうか。私が布の位置を調整していると見かねた赤毛の子が手伝ってくれた。


「ア、アリ、アリガトウ」


 拙いお礼だったけど、3人はパッと花が咲くように微笑んだ。





 夕方、仕事を終えてからこの村唯一の広場でトラモントさんと落ち合った。


「よう、お疲れ」

「お疲れ様です。遅かったですね」


 トラモントさんは摘んだ茶葉を村まで運搬する作業をしていて、遠目に村と茶畑を往復する姿を何度か目にした。


「若いからってこき使われた。さっさと飯にしようぜ」


 昨日と同じ大衆食堂に入る。昼とは雰囲気が変わっていて、酔っているのだろう、赤ら顔の男性達がそこかしこで大きな笑い声を上げている。


「友達ができました」


 今日一番のグッドニュースを報告するとトラモントさんは胡乱げな目をして顔を上げた。


「友達?言葉通じねえのにか?」

「自己紹介くらいならできますよ。背が高いのがエミリで、赤毛がアンシー、青い目の子がアメル」

「言われても分かんねえよ。俺面識ねえし。自己紹介したって言ってもお互い名前くらいしか知らないんだろ?」

「まあ、そうですけど」

「それでよく友達だなんて言えたな。そのうち村の連中全員と友達になったとか言い出しそうだ」

「なれたらいいと思いますけどね、村民皆友人」


 鼻で笑われた。


「親しくなったとしても、別の世界から来ただなんて言うんじゃねえぞ」

「分かってますよ」


 そう、私が異世界からやってきた事は誰にも言ってはいけない。この村に着く前にトラモントさんから忠告を受けていた。

 ヴィネア教の聖典によると人はかつて肉体や感情を持たない魂だけの存在で、天上に住まう女神ヴィネアと共にあったという。

 しかし喜びを知らぬ魂たちを憐れんだ女神が魂のうつわとなる肉体を与え、人々が感情を育むための大地を創造した。

 女神の祝福を受けた地で生まれ育つからこそ感情が芽生え人は人たり得るのだ。

 ヴィネアの祝福無き世界で生まれた命は人ではない。人に似た姿をした怪物である。


 そういう事らしい。


 優しく微笑むあの3人が私を怪物扱いするとは思えないけれど、異端者と関わった人間も教会の異端審問官に目をつけられるらしい。異端者と知りつつ親しくした場合は罪に問われることもあるのだとか。

 彼女らの立場を悪くしないためにも黙っているべきなのだろう。少し寂しいけれど。


「異端審問も過激だったのはずっと昔の話で、ここ十年は異端者の摘発が行われたなんて聞いた事ないからそんなビクビクすんな。何も悪い事なんてしてませんって顔で堂々としてりゃいいんだ」

「トラモントさんて信仰心薄そうですね」

「聖典の内容を否定する存在を2人も知ってるからな。師匠もお前も怪物には見えない」





 広大な茶畑の収穫には一か月以上の時間を要した。

 その間に村の作業場で茶葉を蒸したり揉んだりといった作業もやらせてもらった。

 これらの工程は茶摘み隊よりも高齢の方々が担当していて、茶葉の質は発酵具合で決まるだのいいや土壌の配合だの様々なうんちくを聞かされた。

 私の言語能力が著しく低い事はもはや村の常識となっていて、ゆっくり喋ってくれるし知らない単語について逐一質問しても嫌な顔一つせず答えてくれた。

 訳ありという事は薄々察しているのだろう。トラモントさんとの関係や過去についてあれこれ聞いてくる人はいなかった。

 一部を除いて。


「トラモントさんて歳いくつなのかな?アカネ知ってる?」

「とし?えーと、ねんれい?しらない」

「そっかあ。あの人秘密主義者なんだね。アカネは16歳だったよね」


 あまり自分の事は話したがらない人だけど、歳くらい聞けば答えてくれる気がする。単に今まで聞く機会が無かったから知らないだけで。


「16には見えないよね。アメルと同じくらいかと思った」

「ちょっとエミリ失礼ですよ」

「うーん、知りたいなあ彼の秘密。アカネ聞いてみてよ」

「アンシーってばトラモントさんに気があるの?」

「別に好きってわけじゃないけど、興味湧かない?村にはいないタイプだし」

「私は苦手です。目つきが鋭くて怖いですよ。いつも不機嫌そうですし」

「どこの生まれなんだろうね。粗野で野暮ったいような、でも妙に洗練されてるような不思議な感じ」

「エミリもしっかり観察してるじゃないの」

「トラモントって名前、この国では一般的じゃないですよね。もしかして外国の方でしょうか」

「アメル、とし、いくつ?」

「ちょっと待って皆、アカネが会話に付いてこれてない」

「あんたたち何時まで休憩してるの!作業に戻りなさい!」


 叱咤されて蜘蛛の子を散らすように茶畑へ逃げ込んだ。茶の木越しに目が合ったアンシーと悪戯が見つかった子供のように小さく笑い合う。怒られちゃったね。

 でも、きっと明日も他愛無い話で盛り上がるのだろう。そうして時間を忘れてまた怒られるのだ。






 トラモントさんとは日中違う場所で働いていても必ず夜は広場で待ち合わせて一緒に食事をとるようにしていた。

 その日あったことを報告するためだ。


「アメルは14さいだって。トラモントさんのこと、こわがってるよ。なにかした?」

「何もしてねえよ。そもそもアメルって誰だよ」

「まえいったよ!トモダチできたって。あおいめにくろいかみのちいさいこ!」


 トラモントさんは少し考え込んでからああ、と合点がいったようだ。


「よくお前とつるんでる三人組の一人か。四人でよく姦しくしてる」

「かしまし?」

「うるせえって事だ」

「ひどい!」

「それにしても、大分デカラビア語上手くなったな」


 そうなのだ。この村に来て一か月と少し。毎日老人たちのうんちく合戦に付き合い、おば様方の井戸端会議に混ざり、アンシー達とガールズトークをしていたら自分でも驚くべき速度でデカラビア語を習得していた。

 そのため、最近はトラモントさんとの会話でもデカラビア語を使うようになったのだ。


「デカラビア語で喋ってると雰囲気変わるな」

「そう?いまどんなふう?」

「すげー頭悪そう」





 六月の一週目の休養日に収穫祭を行うという。

 収穫祭と言っても近隣から手伝いに来ていた若い衆に新茶やお菓子を振る舞うささやかな物らしい。

 そのお祭りが終わったら王都へ向けて出発しようという話になった。


 茶摘みが午前中に終わったので午後は丸々時間が空いた。

 味が落ちるため茶摘みができない雨の日や時間が空いたとき、いつもならトラモントさんからつきっきりでスパルタ教育を受けたりお世話になっている村長宅のお手伝いをして過ごすのだけど、今日はそんな気分になれなかった。


 一人、あてもなく村内をぶらつく。

 こじんまりとした牧歌的な村である。雨の日に何度も滑って転んだ石畳。通りに面した窓に飾られた色とりどりの花々。荷車の下で昼寝する猫。広場の鐘塔の鐘が村人たちに時刻を告げている。

 たかがひと月。されどひと月だ。私はすっかりこの村に愛着がわいてしまっていた。


 優しい人たちとの穏やかな暮らし。このままでいいじゃないか。そんな考えが頭をよぎる。

 甘えだ。楽な方へと流されかけている。それじゃいけないって分かっているのに。

 ハツユキさんは何度甘い誘惑を振り払ったのだろう。

 私は彼のように逃げずに茨の道を選び続けられるだろうか?


 村のはずれの小高い丘からは村が一望できる。

 私の秘密の場所を見つけたと思ってちょくちょく来ていたのだが、今日は先客がいた。


「そんちょうさん」

「こんにちはアカネさん。少し話をしましょうか」


 村長さんに促され二人並んで地面に腰を下ろした。

 村長さんは50代前半くらいの中肉中背のおじさんだ。村で1番偉い人なのに誰に対しても腰が低い。

 この間、酔った若者に絡まれて散々恋人の愚痴を聞かされた挙句、ゲロを吐いてダウンした彼を介抱しているのを見た。

 村長さんのお人好しは日常茶飯事のようで村民たちはまた村長がお人好しやってるよ、なんて笑って見ていた。


「アカネさんは王都へ行くんですよね」

「はい。トラモントさんからきいたんですか?」

「ええ、収穫祭が終わったら村を出ることも」

「おわかれですね」

「迷いはありませんか?」


 答えられなかった。それで私の胸の内を察したのだろう。いや、最初から分かっていてここで私と話をするために待っていたのかもしれない。


「私には恩人がいます。ハツユキ、という変わった響きの名を持つ人です」






 40年ほど前、まだ村長さんが少年だった時。

 この丘で珍妙な格好をしたボロボロの男と出会った。

 男は言葉が通じずあちこちケガをしていたという。


「怖かったですよ。お気に入りの場所に幽鬼のような男が現れたんですから。黄昏の悪魔かと思いました」

「たそがれのあくま?」

「この国の子供なら誰もが知っている怪物です。親は子供が言う事を聞かないとこう言って脅すんですよ。“良い子にしないと黄昏の悪魔が来るぞ!”って。具体的に何が起こるのかはわかりませんが、とにかく恐ろしいものという共通認識があります」


 少年は勇敢にも男に話しかけたという。すると男は少年の頭を撫でてとても優しい表情で何事かつぶやき意識を失った。


「ほんの一言です。人の名前だったかもしれません。私を誰かと間違えたのかも」


 少年は助けを呼ぶため急いで村へ戻った。村の大人たちは異様な風体の男を助けるか否か揉めたという。

 最終的に医者でもあった当時の村長が監視の元保護すると決めた。少年の家に居候が増えたのだ。




 男と少年の交流が始まってから数か月後、事件が起きた。

 当時大陸中で独立運動の気運が高まっており、それに触発された隣国レライエの先兵が村に侵入したのである。


「レライエの君主は独立に消極的でした。デカラビアと戦争をするような国力はありませんから。あの事件は何人か殺せば戦争になると考えた一部の過激派の暴走でした」


 そして、夜の闇に紛れ村内に侵入した兵士たちは村で一番大きな家を目指した。

 村長宅である。


「一番最初に異変に気付いたのは保護された男でした。まだケガが治りきっていないのに私と両親を一番奥の部屋に避難させると一人で敵を迎え撃ったんです」


 男は自分の過去について語らなかったが、訓練された兵士のようだったと言う。あっという間に五人の敵を制圧したものの最後の六人目が厄介だった。

 外壁をよじ登り2階の窓から侵入した敵兵は刃物を投擲した。少年めがけて。

 大振りで殺傷能力に秀でたナイフである。飛んでくるそれを男は素手で掴んで止めた。結果、男は左手の指を2本失った。


「私は泣いて謝りました。男は、ハツユキさんは気にするなと。子供が傷つくところを見ると自分の心が死んでいくように感じるんだと言いました」


 ハツユキさんは負傷していたが、一刻も早く村を離れる必要があった。襲撃事件の知らせを受け、近くの町から騎士団がやってくるという。ハツユキさんの存在はまずかった。


「教会による異端者の摘発が活発だった時期です。異端審問にかけられたら、かばいようが無い」


 少年の父は急いで応急処置を施すと、家にあった金品をかき集めハツユキさんに渡し、茶葉を運ぶ荷馬車に彼を隠して脱出させた。


「別れ際聞いたんです。どうすればこの恩を返せるかと。すると彼はこう答えました」


『君に拾われた命を使っただけだ。恩を感じる必要はない。だが、どうしてもと言うなら、俺の同郷の奴を見かけたら助けてやってくれ』


「トラモントくんからハツユキさんのお墓を作って弔いたいと相談を受けたとき、後悔してもしきれませんでした。生きていればいつかまたこの村を訪れてくれるだろう。そう思って私は動かなかった。自分から会いに行くべきだった」


 村長さんが片手で顔を覆った。


「感謝の言葉を忘れていたと、後になって気づきました。助けてくれてありがとうと言いたかった」






 夕焼けに赤く染まる村を見つめながら静かに語っていた村長さんがこちらに向き直った。


「アカネさん。君がトラモントくんと話していた言葉に私は懐かしさを感じました。あなたはハツユキさんと同じ国から来たのではないですか?気が遠くなるほど遠い国から」


 この人に嘘をつく必要はないだろう。私はうなずいた。


「ならば助力は惜しみません。若い女の子に旅は過酷でしょう。ずっとこの村で暮らしたっていいんです。妻もアカネさんを案じています。君さえよければ養子にしてもかまわないと言っている」


 村長の奥さん。とてもお喋りで、この一カ月一緒に料理を作ったり庭の手入れをしたり楽しかった。

 トラモントさんには聞けないような女性特有のアレコレについて必要な知識を教えてもらったりもした。一人娘が街にお嫁に行ってしまってから寂しかったらしい。私が着ている服はその娘さんのお下がりだ。


「わたし、このむらがすき。みんなやさしくて、ともだちもできて」


 この先どうなるのだろう、という不安は常にある。きっとここで暮らしていればそんな不安も徐々に和らいでいくのだろう。家族に会いたくて毎晩泣いているけれど、そのうち穏やかな気持ちで眠れるようになるかもしれない。


「ここのおちゃのあじ、こきょうのものににてる」


 初めて口にした時驚いたのだ。日本で流通している緑茶そっくりだった。


「とてもいごこちがいい。でもだめ。いかなくちゃ」

「意志は固いようですね。なら、これ以上私から言うことはありません」

「……ハツユキさんのこと、わたしはしらないけど」


 彼もこの村の人々の優しさに触れ、助けられていたなら。


「かれがこのむらをおとずれなかったりゆう、わかるきがする。

 いごこちがよすぎて、けっしんがにぶるから。だから、これなかったんじゃないかな」


 村長さんが弾かれたように私を見た。そして、直後破顔した。


「ありがとう、アカネさん」



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