赤い瞳の王子さま
「聞きましたわよ。貴女また誘拐されたのですって?」
事件から1週間後、公爵邸に招かれると開口1番ビーチェに言われた。
「何で知ってるの?」
「例の賊は我が家も贔屓にしている商人でしたから、お父様も憲兵から話を聞かれましたの。その商人にあなたを紹介したのもお父様ですし」
ビーチェが申し訳なさそうな顔をした。
「いえ、元はと言えばわたくしが言い出した事でしたわ。知らなかったとはいえあなたを誘拐犯の元へ行かせてしまうなんて、ごめんなさい」
「ビーチェは悪くないよ。働き口を紹介してくれただけじゃん」
まあまた無職になったけどね。トラモントさんが復帰したとはいえ生活に余裕はない。早く次の仕事を見つけないと。
「やはりここで侍女として働いてはどうですか?お給料良いですよ」
レイラさんの言葉に一瞬心が揺らいでしまった。
「うーん、でもなあ。私このせか、国の礼儀作法とか知らないし、どこの馬の骨とも知れない人間が公爵家で働くなんて無理じゃない?」
「お父様がうんと頷けば大丈夫ですわ。わたくしが説得して見せます」
善は急げとばかりにその日公爵と顔を合わせることになった。
いつも公爵が不在の時を狙って遊びに来ていたのだけど(公爵は私がビーチェと関わる事をあまり良く思っていないらしい)今日は公爵の帰りを待つことにした。
「朝からお母様のお買い物に付き合わされていますの。帰ってきたらヘトヘトになっているでしょうからそこを畳みかけるのですわ」
あの公爵を振り回すような人がいるらしい。
誰にでも頭の上がらない相手はいると言う事か。
「ベアトリーチェお嬢様、よろしいでしょうか」
ノックをしてこの屋敷で働く執事が入って来た。私も何度か顔を合わせた事がある。
しかし顔色が悪い。もう冬なのに異常なほど汗をかいている。
「どうしましたの?お父様が帰ってくるにはまだ早いと思うのだけど」
「今先触れが来まして、王太子がいらっしゃいます」
ビーチェとレイラさんが顔を見合わせた。
「もう1度言ってくださる?」
「すぐに王太子がいらっしゃいます」
公爵邸は蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。王太子を迎えるにあたって失礼が無いようにあらゆる調度品や設備の点検が始まった。
「あなたはウォルターたちと部屋に籠って大人しくしているのが最善ですわ」
と言われ、私は3匹の犬と共にビーチェの部屋に隔離された。
暇で窓から外を眺めていたら、豪華な馬車がやってきて停まった。王冠を被り剣を咥えた獅子の紋章が描かれている。
派手な金髪に白い軍服っぽい服の男性が降りてきた。この人が王太子かな。
と思ったら金髪の男性が馬車の乗降口に踏み台を置いた。それを使って降りてきたのは黒髪の男性だった。そちらが王太子のようだ。次いで侍女らしき女性も降りてきた。
金髪の男性と金髪の侍女を従えて黒髪の王子がやってくる。
その途中、王子が不意にこちらを見上げた。
反射的に体を引っ込めた。しかしバッチリ目が合ってしまった。
赤い目だった。
この世界の人々は私の常識からかけ離れた色を持つ人はいなかった。髪の色も目の色も、地球に住む人々と変わらない。染色技術はそれほど無いようだし、コンタクトもおそらく無いだろう。
そんな中であの男の眼の色は明らかに異質だった。髪や肌の色からしてアルビノではないだろう。
心臓がバクバクと早鐘のように打っている。
何か見てはいけない物を見てしまったような恐怖だった。
それからどれくらい時間がたっただろう。
公爵不在の今、ビーチェが代理として王子様の相手をしているはずだ。
あんな怖そうな人を相手にして怯えていないだろうか。レイラさんが一緒だから大丈夫かな。
そもそも王子は何しに来たんだろう。
悶々としていると扉がノックされた。
「はい」
扉を開けると見知らぬ金髪の女の子がいた。
「えっ誰?何?」
「来てください」
そう言うと女の子が私の手首を掴んで部屋から引きずり出した。よく見たら先ほど王子と一緒にいた人だ。
「ええ!?ちょっと待って、私部屋にいろって言われてるんだけど!」
3匹の犬は金髪の美少女にビビッて部屋の奥で縮こまっている。あんたら番犬でしょ、仕事してよ。
「あなた王太子と一緒にいた人だよね?名前なんて言うの?歳いくつ?」
「黙ってついてきてください」
ずいぶんクールな子だ。歳は私とあまり変わらないように見えるけど、纏っている雰囲気が全然違う。
引きずられるように廊下を進み階段を下り、1階の奥にある応接間に向かった。そこって今王太子がいるんじゃ……?
「殿下、お連れしました」
金髪侍女によって部屋に押し込まれた。見た目に寄らず力持ちだ。
呆然とする私をビーチェとレイラさん、執事が呆気にとられたように見ている。
平然としているのは王子と金髪の男性だけだ。
どうしよう、王族への礼儀作法なんて知らない。
昔映画で見た記憶を頼りにカーテシーをしてみたけど、上手くバランスを取れず思いっきり膝を床に打ち付けてしまった。
無言で悶絶する私にビーチェとレイラさんが頭を抱えているのが視界の隅に映った。
王子を見ると真顔だった。隣に立っている金髪の男性は肩を震わせて笑っている。咳払いで誤魔化したつもりみたいだけど笑い声が聞こえたぞ。
「いつまで這いつくばっているんだ」
王子が何の感情も感じない声色で言った。滅茶苦茶怖いんですけど!
「殿下、彼女はわたくしの客人です。この国に来て日が浅く、礼儀も分からないのです。なにとぞご容赦を」
「私が呼んだのだ。気にしていない」
「あの~、私なんで呼ばれたんですか?」
「異国の娘、君の口から直接話が聞きたかった。君とベアトリーチェ嬢を誘拐した商人たちの話だ」
王太子ヘルムートは王族を守る王宮護衛官ライナルと侍女クラーラを連れ自ら誘拐事件について私とビーチェの聞き取り調査をしに来たという。
「憲兵隊から報告書は受け取ったが、直接事件の関係者から話が聞きたかった」
「言ってくださればこちらからお伺いしましたのに」
「登城させるのは忍びなかった。口さがない連中が君の噂話をしている事は知っていたからな」
おや、冷たい印象を受けたけどこの王子様、意外と気遣いのできる人のようだ。ビーチェの表情からは何も読み取れないけど、内心驚いているんじゃないかな。
「ありがとうございます。ですがわたくし、恥ずべき事は何もしていません。お気遣いは無用ですわ」
「そうですよ。ビーチェの名誉は何一つ傷ついてなんかいません。むしろ立派でしたよ。訳のわからない状況でも毅然と誘拐犯に立ち向かってたし」
ここぞとばかりに援護射撃した。ナスルに言われた通りにするのは癪だけど、ビーチェのためだ。
「犯人たちは私とビーチェに極力触れないようにしていました。私たちの尊厳を傷つけるようなことは何も……」
この言い方だとなんだかナスル達を擁護してしまっているようだ。そんなつもりは欠片も無いんだけど。
「そうか。信じよう」
「だからビーチェはまだ……えっ信じるの?」
ソファで隣に座るビーチェに膝を叩かれた。小声で“言葉遣い!!”と注意している。
「ああ、信じよう。娘、名は何と言った」
「アカネ・タカナミです」
「タカナミ。君が関わったラガシュの民について教えてくれ」
それから王子の質問にひたすら答え続け、一息ついた頃王太子襲来の知らせを受けた公爵夫妻が帰宅した。
「殿下、なぜ突然いらっしゃったのです」
応接間に入って来た公爵が私を見とめて眉をひそめた。
「ベアトリーチェ嬢とタカナミの話が聞きたかったのだ。有意義な時間を過ごせた。貴殿の娘は聡明だな。良い友人もいるようだ」
「は……い」
公爵が私をチラ見して不承不承頷いた。
「突然の来訪すまなかった。私はこれで失礼する。ベアトリーチェ嬢、君の侍女の入れた茶は美味かった。それとタカナミ」
王子が私を見て赤い目を細めた。
「君にはもう少し聞きたい事がある。付いてこい」
有無を言わせない声だった。
心配するビーチェとレイラさんに別れを告げ、王子様の馬車に乗り込んだ。
ガチガチに緊張して乗り込む際足を滑らせたけど、護衛官のライナルさんが支えてくれた。
公爵家の馬車も豪華だけど、この馬車もすごい。やたら凝った装飾があって、もし頭や手をぶつけて破損させたりでもしたら恐らく一生かけても弁償できない。
極力シート以外に触れないように固まっていたら侍女のクラーラさんに「もっと詰めてください」と抑揚のない声で言われた。スイマセン……
ビクビクしている私の心境を察したのか、ライナルさんが朗らかな笑みを浮かべて話しかけてきた。
「そう緊張しなくていいよ。俺何度かドアハンドルを壊したけど殿下がくっつけて修理してくれたし」
この人自分が仕える主にドアの修理をさせたのか。しかも何度も。
「この王子様、直せる物は何でも自分で直すからさ。大丈夫大丈夫」
DIYが趣味の王子様って、やけに所帯じみてるな。
「タカナミ、家を教えろ。送るから」
王子に言われてアパートの住所を教えた。
「さて、君の家に着くまで少し話そう。タカナミの話が聞きたい」
「王子様が楽しめるような話ができるとは思いませんが……」
「私の目を見て話せ」
明後日の方向を向いて話題になりそうなネタを考えていたら強い口調で言われた。確かに人の目を見て話すべきだけどそんなキツイ言い方しなくても。
「私の目が恐ろしいか?」
「えっ!?はい……あ」
突然聞かれてつい本音が出てしまった。
珍しい色が原因ではない。何もかも見透かしていそうで怖いのだ。
「ふ……君は野生動物のようだな」
王子が微かに笑った。
「タカナミの故郷はどんな国なんだ?」
「ええと、海に囲まれた島国です。黒髪に黒い目の人が多くて……」
それから思いついたことをひたすら語った。
深く突っ込まれて困るような物事は話題に出さないように気を付けた結果、時代によって変化しない普遍的な話題が多くなってしまった。日本固有の動物や植物、地形や天候等だ。
日本の歴史や国家体制を語ったところで質問されても答えに窮してしまう。
「あ、次の角を曲がってください」
家が近づいてきた。私が言うとライナルさんが御者さんに伝えてくれた。
「最後に1つ答えてくれ」
王子様が私をまっすぐ見据えた。
「君はこの国で何をするつもりだ」
「…………何も」
私はただ、故郷に帰りたいだけだ。
この国に、この世界に何か爪跡を残そうだなんて思っていない。
「そうか」
王子が腕を組んで目を閉じた。話はこれでお終いのようだ。
ふと窓の外を見ると前方で人が歩いていた。
その人影が馬車に気づいて道の端に寄ってこちらを見た。
「「あ」」
声が重なった。
唖然としているトラモントさんの横を通り過ぎた。
そういえばトラモントさんが帰ってくる時間だ。道で会ってもおかしくなかった。
「どうしたの?」
ライナルさんが聞いてきた。
「今知り合いがいたんです」
「止まろうか?」
「いえ、このまま家まで行ってください」
立ち止まって呆然としていたトラモントさんが追いかけてきた。凄い。じりじり距離を詰めてきている。街中だからあまりスピードを出していないとはいえ、人を避けながら走りつつ馬車について来るなんて。
「トラモントさーん!私先に帰ってるねー!」
窓から顔を出して伝えるとトラモントさんが何か叫んだ。
「あいつ足速いな」
王子が興味深そうにトラモントさんを眺めた。
「どれどれ、おっ本当だ」
「何故追いかけてくるのでしょう?」
従者の2人も窓から顔を出してトラモントさんを観察している。
そのまま馬車はアパートに到着し、トラモントさんも最後まで走りぬいた。
「いやあ、君凄いな!日頃から鍛えてるのか?」
少し遅れて到着したトラモントさんの肩に手をかけながらライナルさんが話しかけた。
トラモントさんは彼の手を払い落として私に詰め寄ってくる。
「おい、どういう事だ。何なんだこいつらは」
「王太子とその従者たち。トラモントさん、何で追いかけてきたの?」
「はあ!?俺はまたお前が妙な連中に絡まれて連れ回されてるのかと思ってだな」
「タカナミから話を聞いていただけだ」
「タカナミ?ああ、アカネの事か」
「恋人が誘拐されたと思って根性で付いてきたのか。愛だな」
「妙な連中呼ばわりとは不敬ですね。この国の王太子ですよ」
「トラモントさん、相手は王子様だからもう少し言葉遣いを気を付けようよ」
「お前今恋人っつったか?」
「クラーラ落ち着け。私は不敬とは思っていない。ナイフをしまえ」
「言ったけど何か問題ある?彼女じゃないの?」
「トラモントとやら、殿下に謝罪を」
「ライナルさん、トラモントさんは私の……」
友達、という言葉が出てこなかった。
トラモントさんが私を見ている。何て言うのが正解なんだ……?
「あなた達何してるの?」
店先でごちゃごちゃ話していたらロザリンドさんがお店から顔を出した。
次いで近所のおばあちゃんが家から出て着て馬車の紋章を指さし騒ぎ出した。
「王家の方がいらっしゃってるぞ」
「あれって王太子殿下じゃない?」
「見たい見たい」
観衆が増えてきた。
「殿下、帰りましょう」
ライナルさんに促され王子様が踵を返した。クラーラさんはトラモントさんを睨みつけながら後に続いた。
「タカナミ、困った事があったら私を訪ねると良い。また故郷の話を聞かせてくれ」
最後にそう言い残して王太子一行は去っていった。