近づく生誕祭、不穏な影
私は初幸さんの日記を通してトラモントさんの過去を知った。
彼は元は裕福な商家の息子だったらしい。
この王都内で暮らしていたけど、父親が事業に失敗して多額の借金を背負い夜逃げしたそうだ。
後妻とその連れ子である義理の息子だけを連れ、トラモントさんを一人残して。
当時トラモントさんは8歳。それまで親の庇護下で不自由なく暮らしていた子供が着の身着のまま放り出され生きていけるほど甘くは無かったろう。
しかし幸運にも初幸さんに保護され、彼の旅の相棒になった。
初幸さんの日記の10年の空白期間が気になるけど、トラモントさんもその間の事は分からないという。
日記は年月が進むたび書かれる内容は薄くなっていき、次第に天気にしか触れない日もあったから、20年目に突入したのを契機に止めてしまったのかもしれない。
それが、トラモントさんとの出会いで復活したのではないか。
書かれている事もそれまでの業務日誌のような味気ない内容から、旅行記のような内容に変化していた。
特にトラモントさん関連の事は詳細に書かれていた。
好きな物嫌いな物、身長の変化、彼との他愛無い会話のやり取り。怒った事、泣いた事、笑った事。
それらの記述から、トラモントさんに対する深い愛情が読み取れる。
ずっと故郷へ帰るため放浪の日々を送り、これと言った手がかりも無く肉体も精神も老いてすり減っていった初幸さん。
日記を書くことも止め、鬱屈とした日々を送っている中、トラモントさんの存在は初幸さんにとって唯一の慰めだったのかもしれない。
“トラモントの目は不思議な色をしている。薄い水色だが、角度によっては金色にも見える。この子の目を見ていると故郷の空を思い出す”
そうだ、私がトラモントさんと出会った日、私も彼の瞳を見て強い郷愁を覚えた。
初幸さんも同じ感想を抱いていたんだ。
「ハチ、お手」
バラリュール公爵家の庭に番犬として放たれている犬に命じるとハチは素直に私の手に前足を置いた。
「その子の名前はハチではありません、ウォルターですわ。何を勝手に人の家の番犬に芸を教え込んでいますの」
何度もお嬢様の家にお呼ばれしているうちに公爵家の犬ともすっかり仲良くなったのだ。最初は牙をむいていたハチ(見た目はドーベルマン)も今では私の足元でお腹を見せている。
他にチワワっぽい犬とコーギーっぽい犬もいる。
初めて公爵家にお呼ばれした際、お嬢様に「またいらっしゃいな」と言われたけど、社交辞令ではなく本当に何度も呼ばれる事になった。私の言葉遣いを矯正すると言うのも本気だったようで、ついでに読み書きも教えてくれている。おかげで私のデカラビア語も“すげー馬鹿っぽい”と評されるレベルではなくなったはずだ。
「お嬢様、意外と人にものを教えるの上手いね。教師とか向いてるんじゃない?」
「上手いですね、向いているのではないですか?ですわ」
修道院コースから外そうと誘導してみたけど、そこには食いついてくれなかった。
「それと、お嬢様は止めてもらえないかしら。あなたにそう呼ばれると、何だか馬鹿にされているような気がしますの」
「じゃあなんて呼んだらいいの?バラリュール公爵令嬢とか?長いよ」
「特別にビーチェと呼ぶことを許してさし上げます」
「ビーチェね。ビーチェ、生誕祭には誰に贈り物をするの?」
途端にビーチェの顔が曇った。
「生誕祭、もうすぐですわね。わたくしは例年通り家族とレイラに贈り物をしますけど、全く憂鬱ですわ」
「生誕祭の初日に国王夫妻が主催する舞踏会がありますからね。今まではお茶会も夜会も体調不良で躱してきましたが、流石にそれは出席しないと不味いでしょう」
レイラさんがビーチェの憂鬱の理由を教えてくれた。
公爵家には大勢の侍女がいるけれど、レイラさんは特別な存在のようだ。確かに2人の息はぴったりだし、お互いに信頼しているのが見ていてわかる。
「そうよね、国王夫妻はとてもいい人なのだけど、ヘルゲン侯爵令嬢やその取り巻きに絡まれると思うとため息が出ますわ」
「ヘルゲン侯爵令嬢とやらと仲悪いの?」
「ええ。王太子妃の座に最も近いと言われていたのがわたくしと彼女ですから。幼い頃から対抗意識むき出しでよく突っかかってきましたのよ、あの子」
今のわたくしなんて眼中にないかもしれませんが、なんて自嘲気味に呟いている。
「アカネ様はどなたに贈り物をされるのですか?」
話題を変えようとしたのか、レイラさんが話を振ってきた。
「私はトラモントさんとロザリンドさんにあげるつもり」
フォラス村の村長夫妻やアンシー達にもあげたいけど、手紙はともかく品物の宅配を頼むのはお金がかかりすぎる。
「ロザリンドというのはあの仕立て屋の女主人ですわね。トラモントさんというのはどなたですの?」
「友達」
「あら、恋人ではないのですか?一緒に暮らしているのでしょう?」
「何でレイラさんがそんな事を知ってるの!?」
「公爵家の令嬢のお客人について何も調べないとお思いですか?」
確かに、不審者を公爵家の邸宅に呼ぶわけないか。裏で私の事を調べてたんだな。
「アカネ、レイラは貴族に仕える者として成すべき事をしただけです。怒らないでやって」
「別に怒ってないよ。レイラさんの立場も分かるし」
仕える主のためとはいえ、私のような庶民を貴族のお屋敷に呼んだ事だって、怒られるのを覚悟で独断で決めたのではないかと思う。
問題は私の事をどれだけ調べているかだ。まさか初幸さんのお墓に突如出現した事までは知らないと思うけど。
「私の事、どれくらい知ってるんですか?」
「ストラス方面から最近王都にやってきたとだけ。犯罪歴はありませんね。ただ、同居人の方は過去に何度か逮捕歴があると聞き及んでいます」
「え」
それは初耳だ。トラモントさん、前科者だったんだ…………
「逮捕と言っても重罪ではありません。酒場で喧嘩してお店の備品を壊したとか、道端で絡んできた相手を返り討ちにして過剰防衛で捕まったとかで、いずれもすぐに釈放されたようです」
「あなたの恋人はずいぶん血の気が多いようですわね」
「いや、友達だってば」
「2人の出会いはいつ、どこですの?一緒に暮らしていて相手の意外な一面を知ったりしました?」
ビーチェは恋バナが好きなんだろうか。やけにグイグイくる。
自分の結婚が貴族の義務で行うものだからか、彼女は恋愛に対しやたら強い憧れを抱いているようだった。部屋にも恋愛小説が沢山ある。
「本当に友達なんだってば」
私は日本に帰るから、いつか離れ離れになるのだ。
この世界で特別な相手が出来たって悲しくなるだけじゃないか。
するとビーチェとレイラさんが顔を見合わせた。
「そんな泣きそうな顔をしないで。からかうつもりはなかったのよ」
「申し訳ありません。勝手な推測で語ってしまって」
2人に気を使わせてしまった。
「ううん、いいの。それより、これからは私あんまり遊びに来れなくなるから」
「何故ですの?やはり怒っているのでは……」
「違うよ。働こうと思ってるの。デカラビア語も上達したし、ビーチェのおかげで読み書きもある程度できるようになったから」
生誕祭を目前に王都は観光客が続々と押し寄せ、今どこの店も引く手数多なのだ。
初幸さんの日記も8割ほど読み終えたし、贈り物に掛かる費用くらいは自分で稼ぎたいし。
「それなら、わたくしの侍女になったらいいですわ」
サラッと言われたけど、それは無理だ。
「ありがたい話だけど、私長く仕事を続けられるか分からないの。ある日突然止める事になるかもしれないし」
それを承知で雇ってくれる雇用主を見つけようと思っている。
「それは厳しいのではないですか?いくら手が足りないと言っても、突然いなくなるかもしれない人を雇ってくれるような奇特な人がいるかどうか」
そうなんだよなあ。でも黙ってるのも悪いしなあ。
「そういえば、お父様が贔屓にしている行商人が南の城門近くで露店を開いているそうですわ。アカネ、あなた城門のあるアネモニ区に住んでいますわよね?」
公爵からその行商人に露店で働かせてもらえないか頼んでくれるという。
「わたくしも1度会った事があります。多くの部下が居るみたいでしたし、あなた1人突然いなくなっても困らないんじゃないかしら」
後日公爵に紹介された露店を訪ねると、背の高い男性が対応してくれた。
異国風の装束を着ていて、顔立ちや肌の色もこの国の人々と少し違う。外国人だろう。
「ああ、君がバラリュール公爵の言っていた子か。複雑な事情があるんだって?別にいいよ。公爵には世話になってるし」
そう言って私を見下ろした男性が、首を傾げて黙り込んだ。私の顔をじっと見て何か考え込んでいる。
私も男性の顔を見上げた。誰だっけこの人、どこかで見た事あるような……?
「あれ?パルーパーちゃんだ」
能天気な声が聞こえてきた。振り返ると1人の少年がリンゴのような果実を齧りながら近寄ってきた。
思い出した。この人宿場町ストラスで私の肉まん(仮)を半分奪った人だ。
背の高い男性はこの少年を迎えに来た保護者らしき人だ。
少年はリュラ、背の高い男性はナスルと名乗った。
2人は隣国レライエのさらに東にある国からやってきたという。
大きな行商団の一員で、この大通り一帯には彼らのお仲間の商人が様々な店を開いているという。
南の城門は王都内でも特に交通量の多い場所なので、さぞや儲かっている事だろう。
露店では主に装飾品が売られていた。どこかの工芸品だそうだ。
「はい、今日の分。こういうのは女の子が売った方が客も食いつきが良いから助かるよ」
ナスルさんから日給を受け取った際、送っていこうかと聞かれたけど断った。そこまでお世話になるのは悪いし、トラモントさんと近くの広場で待ち合わせているのだ。
広場の中央には謎の人物の銅像がある。数百年前の偉い人らしい。その像の足元のベンチに腰掛けトラモントさんの到着を待った。
空が群青色に染まっている。秋に入って日が落ちるのが早くなった。
こうしてぼんやり空を眺めながらトラモントさんを待っているとフォラス村にいた頃を思い出す。
村にいた時も仕事が終わったら待ち合わせていた。
「アカネ」
トラモントさんがやってきた。彼は今、川に橋を架ける作業をしている。鉄道馬車の線路も少しずつ伸びているし、この数カ月の間だけでもインフラの整備の進み具合が目覚ましい。
二人で夕飯の買い出しをして帰路に着く。街灯が等間隔で設置されているとはいえ、東京に比べたら薄暗い。
「仕事どうだった?やっていけそうか?」
「うん。難しい仕事じゃないし、雇い主も良い人だったよ」
ナスルさんはあの周辺の露天商たちを束ねる立場にあるらしく、トラブルが起きていないか見回ったりしていた。
その間私1人で店番をすることになるのだけど、今日はリュラがいたので不安は無かった。
今日半日の間に色んな事を話したけど、彼は店番をするでもなく、日中はどこかでフラフラしている事が多いらしい。本人曰く情報収集との事だけどそれってただのごく潰しなんじゃ……
ふいにトラモントさんが足を止めて来た道を振り返った。
「どうしたの?」
街灯の光が届かない暗い場所をじっと睨みつけている。
「誰かに付けられてる気がする」
「え!?」
「…と思ったけど勘違いだったみたいだ」
「もう、脅かさないでよ。早く帰ろう」
それから帰宅するなり、トラモントさんが不穏な事を言い出した。
「アカネ、絶対一人で帰るなよ。なるべく迎えに行くが、俺の都合が合わない日は憲兵に頼んで送ってもらうか、それが無理なら公爵家に行け。あの家の娘と仲が良いから保護してもらえるだろ」
「ちょっとちょっと、どうしたのいきなり。なんか凄く不穏じゃない?」
「別に。ただ用心しとくに越したことないだろ。生誕祭が近いからいつも以上に人が増えてるし、その分変な奴も増えるからな」
そうだけど、トラモントさんの表情からはすぐそこに迫った危機を感じる。感情が顔に出やすい自覚無いのかな。
「ねえ、やっぱりさっき誰かに後を付けられてたんじゃないの?」
「…自信は無いが、おそらく」
「後を付けられるような心当たり、ある?」
トラモントさんが首を横に振った。当然私も心当たりはない。
室内に沈黙が落ちた。何だか不気味だ。
誘拐事件以降穏やかな日々が続いていたのに、この世界は私に心の平穏を与えるつもりはないらしい。
「とにかく用心するしかない。外では出来る限り1人になるなよ」
「パルちゃん、何ぼーっとしてるの?」
翌日、一人で店番をしていると焼いた芋を抱えたリュラがやって来た。
「パルちゃんて私の事?名前教えたよね?」
「ほら、一生懸命呼び込みしないと。サボってたらクビになっちゃうよ」
本当に人の話を聞かない奴だ。
「サボってない。店番はちゃんとしてるよ」
「ならいいけど、昨日に比べて元気ないね。悩み事?」
驚いた。こいつにも元気のない人を案じる優しさがあったのか。
「ストーカーに遭ってるみたい」
「ストーカーって?」
「誰かに付き纏われてるみたいなの。たまたま昨日の帰り道だけだったかもしれないけど」
「ふーん。そいつの姿を見たの?」
「ううん。でも、一緒にいた人が気づいたみたいで」
リュラがすぐ隣に座ってきた。近っ!
「昨日一緒に歩いてた男、誰?」
驚いた。トラモントさんと一緒にいる所を見られてたんだ。
この近くのお店で買い物してたから見られてもおかしくないけど、それなら声をかけてくれればよかったのに。
「恋人?まさか夫とか?」
「違うよ、友達」
「そうなんだ。良かった」
良かった?何が??
よかったよかった。
そう言いながらリュラはまたどこかに行ってしまった。掴みどころのない奴だ。
「トラモントさん、何で帯刀してるの」
昨日同様、広場でトラモントさんと合流したのだけど今日の彼は腰に刀を佩いていた。
仕事の時は持って行っても邪魔なだけだし、珍しい剣だから盗まれないように家に保管しているのに。
「念のためだ。これがあれば不審者も警戒するだろ」
確かに相手が帯刀していたらそれだけで怯むかも。少なくとも現代の日本だったらみんな避けて通るはずだ。警官には追いかけられるだろうけど。
今日は新月だ。街灯と家々の灯り以外の光源が無く、いつもより夜の闇が濃い。
日本にいた時は月の満ち欠けなんてほとんど意識していなかったけど、意外と生活に影響を与えるものなのだと気づいた。
アパートまで後10分ほどの場所で、突然トラモントさんに肩を抱き寄せられた。
「ふぁっ!?どどどどうしたの!?」
「家まで全速力で走れ。すぐに鍵をかけて外に出るな」
耳元で囁かれ、次いで強い力で背中を押された。
よろめきながら後ろを振り返ると、トラモントさんが私に背を向け刀を抜いていた。
鈍く光る銀色の刃が、街灯の下に立つ黒づくめの人物に向けられた。
いつの間に。いや、それよりもその人物が左手に持つ刃物から目が離せない。
大振りで、緩やかに湾曲した刀身。間違いない。あれは
「あのナイフ!!ビーチェと私を誘拐した奴らが持ってたのと同じ!!!」
次の瞬間、黒づくめがトラモントさんに肉薄した。
喉の高さに横一線した刃をギリギリ躱し、トラモントさんが下から斜めに切り上げるも相手も躱す。
そうして何度もお互い相手に切りかかるも、鍔迫り合う事は無くヒットアンドアウェイで付かず離れずの距離を保っている。
2人とも足捌きが素人のそれじゃない、と素人目で見ても分かる。
特に黒づくめの方、間合いの不利を一切感じない。
トラモントさんが負けるかも、と思った。殺されるかも。
いや、かもじゃない。最初に喉を狙っていた時点で殺す気だ。
黒ずくめが何か投擲した。それがトラモントさんの左肩に突き刺さった。
トラモントさんの上体が僅かに揺れる。
後に自分でも馬鹿な事をしたなと猛省するのだけど、その瞬間竦んで固まっていた足が動いて気づいたら2人の間に割って入っていた。
黒づくめのナイフが腕を掠めた。焼けるような熱い感覚の後、じわじわ痛んできた。
「い……いったああああああい!!!」
情けなくへたり込んでしまった。
静かな夜の住宅地に響き渡る私の絶叫に怯んだのか、黒づくめが後ずさる。
何で私がこんな目に!?という怒りと非難と威嚇を込めた甲斐があったというものだ。
私の渾身の叫び声を聞いて周辺の家の窓や玄関の扉が開き、こちらの様子を窺う人々が出てきた。
流石に黒ずくめもこれ以上やる気は無いのか、街灯の光が届かない場所へと消えて行った。