茜と夕焼け
公爵家の馬車は素晴らしい乗り心地だった。
私は今、メイドさんことレイラさんに誘われ公爵家へ向かっている。
何時ごろ帰宅する事になるか分からないので、ロザリンドさんに伝言を頼んでおいた。トラモントさんの方が先に帰ってきてまた私がいなくなってたら驚くだろうから。
王都は12の区画に分けられていて、公爵家の邸は王都のほぼ中央に位置する王城と同じ、ロータス区にあるそうだ。日本で言うと千代田区の永田町とかそんな感じだろうか。この辺りは大貴族や王宮の重鎮が多く住んでいるという。
ロータス区には初めて来たけど、どの家も大きく庭も広い。道も綺麗で貧民窟と同じ王都内とは思えなかった。
馬車が立派な門を潜り抜け美しい庭に入る。左右対称の幾何学式庭園だ。色とりどりの花が咲いている。まるでレジャー施設のようだけど、これが個人所有の庭だなんてお金持ちって凄いんだなあ。
公爵家の大邸宅にお邪魔するなんて緊張するな。菓子折りとか持ってきてないけど大丈夫だろうか。
下手な物を持って行こうものならあの公爵とお嬢様に鼻で笑われそうだけど。
お嬢様はあれ以来すっかり元気をなくしてずっと部屋に籠っているという。話し相手になってほしいと言われてついてきたけど、私が話したところで怒らせるだけじゃないのかな。まあ、怒りがパワーに変わるタイプの人もいるし、何らかの起爆剤になればいいか。
「お嬢様、レイラです。入ってもよろしいですか」
お嬢様の部屋は2回の突き当りにあった。レイラさんが扉をノックして声をかけると小さな返事が返ってくる。
「……いいわよ」
あのお嬢様の声とは思えないほど弱弱しい。
「失礼します」
部屋に入ると大きな天蓋付きのベッドが部屋の中央にドンと置かれていた。そこでお嬢様がふて寝している。
「お嬢様の指示通り、ドレスの注文は取り消してまいりました」
「そう」
大きな枕に顔を埋めたままお嬢様が答えた。
「なんでとりけしたの?」
「もう必要ないから…………あなた何故ここにいますの!!?」
お嬢様ががばりと起き上がって驚いた顔で私を見た。なんだ、結構元気じゃん。
「私がお呼びしました。気分転換になればと思いまして」
「レイラ!あなた勝手な事を……はあ、まあいいですわ。わたくしの侍女が呼んだのですから、あなたを客人として迎えます。レイラ、お茶を用意して」
「かしこまりました」
「ほら、突っ立ってないで座りなさいな」
お嬢様に促されバルコニーに設置された椅子に座った。バルコニーでお茶を飲むなんて初めてだ。すごいセレブっぽい。
「何をキョロキョロしていますの」
「すごいおうちだなって。あのにわも、おおきなベッドも、ひろいバルコニーもはじめてみた」
「庶民が貴族の屋敷にお呼ばれするなんて無いでしょうしね」
「げんきないってきいた。じけんのあったひはけっこうげんきだったのに」
落ち込んでいる理由を聞いてみた。やっぱあれかな、新聞記事であれこれ中傷されたからかな。
「今わたくしは貴族界じゃ笑いものですわ。いえ、皆口では同情していますけれど、心の中じゃほくそ笑んでいるのです。王太子妃の座を争う戦いから脱落したのですから」
「おうたいしひ」
「異国から来たあなたは知らないでしょうけれど、この国の王太子には未だに配偶者どころか婚約者もいませんの。貴族は皆自分の娘を売り込もうと躍起になっていますわ」
レイラさんがお茶とお菓子を持ってきた。あれは……ケーキじゃないか!白い生クリームがふんだんに使われたスポンジケーキだ!!!
「誘拐され傷物になったと認識されているわたくしが王太子妃に選ばれる事は無いでしょう。近々婚約者を決める夜会が開かれるというから、評判の仕立て屋に無理を言ってドレスを作ってもらっていましたけれど、それももう必要ない……ちょっと聞いてますの?」
「え?ああ、うん。きいてるきいてる」
「よくもまあそんな上の空な返事が出来ましたわね」
いや、話半分にちゃんと聞いてるよ。
「そんなひかんてきになるひつよう、ないかもよ。おうじさまがすきなら、あきらめないでアタックしてみたらいい。いいたいひとにはいわせておけばいいよ」
「別に好きってわけではありませんわ。ほとんど面識ありませんし」
「えぇ~?じゃあなんであんなにドレスにこだわってたの?」
「貴族の娘として、出来るだけ身分の高い殿方に嫁ぐのは当たり前のことですわ。お父様もそれを望んでいますし」
貴族ってそういうものなのか。
「それならやっぱ、おうたいしひのざ、あきらめないほうがいいんじゃん?それをあきらめたとして、これからどうするの?」
お嬢様が黙った。聞いたら不味かったかな。
「どうもこうも、こうなってはもうわたくしに真っ当な嫁ぎ先は無いでしょう。修道院にでも行ってこの国の安寧を願いながら余生を送りますわ」
「おじょうさま、としいくつ?」
「18ですわ」
余生を送るには早すぎるでしょ。日本ならJKじゃん。
「おじょうさまらしくないよ。おととい、あるきながらじゃまだっていって、くつのヒールをおったときのガッツはどこにいったの」
これで歩きやすくなりましたわ、と言ってドヤ顔で笑っていた。あの逞しさを私は尊敬したのだ。
「あの時はまさかこんな大々的に報道される事になるなんて思っていませんでしたもの。お父様が隠蔽してくれると思っていましたわ」
そういえばお嬢様のお父さん激怒していたな。
「きのう、こうしゃくにあった。すごくおこってた」
「お父様とお会いしましたの?一体どこで?」
昨日の顛末を話すとお嬢様は合点がいったようだ。
「それで昨日朝から家を空けていましたのね。あなたへの疑いについては、わたくしの方から誤解であると話しておきます。父も冷静に考えれば分かるでしょうし」
「そうしてくれると、ありがたい」
それから数時間お嬢様と他愛無い話をした。庭に放し飼いにされている犬と戯れたり、花の名前を教えてもらったり。
「ねえ、あなたまたいらっしゃいな。その拙い喋り方、矯正すべきです。わたくしが淑女らしい言葉遣いを教えて差し上げますわ」
それは私も思うけれど、その如何にもお嬢様な口調もどうかと思いますわ。
公爵家の馬車でアパートまで送ってもらうと、既にトラモントさんは帰宅していた。
「遅かったな」
お嬢様に引き止められて時刻は既に夜7時だ。
「ごめんね。すぐご飯作るから」
「ああ。公爵家に行ったって?」
「うん。お嬢様の話し相手をしてた。凄いお屋敷だったよ。公爵の誤解も解いてくれるって」
「そりゃよかった。貴族に目を付けられるなんて面倒くさいからな」
料理を配膳して食卓に着く。手を合わせて、“いただきます”
これは家でトラモントさんと2人でご飯を食べる時だけやっている。トラモントさんも初幸さんから教わっていたようで一緒に手を合わせている。
「そういえば聞こうと思ってた事があるんだけど、一昨日私の事ハグしたじゃん?あれってどういう事なの?」
トラモントさんの手が止まった。
「…………どういう事だと思う?」
質問に質問で返された。
「分からないから聞いてるんだけど」
「俺にも分からん」
トラモントさん自身考えて行動してたわけじゃ無いのか。
「アカネの無事な姿を見たら、頭が真っ白になった。で、気づいたら抱きしめてた。別に深い意味があるわけじゃ無い」
なるほど、衝動的な行動だったのか。
「それって愛だよね」
「はあ!?」
トラモントさんが素っ頓狂な声を上げた。そんな照れるなって。
「行方不明になった友達が無事に戻ってきたら思わずハグの1つや2つするよ。そっかあ、トラモントさんは私の事友達だと思っててくれたんだね」
「………………」
トラモントさんは釈然としない様子だったけど、もう知人レベルの関係は超えている。今度トラモントさんとの関係を説明する時は友達って言おう。
「ねえ、トラモントさんてこの国の人なの?」
「ああ、そうだが何だいきなり」
「トラモントさんの事が知りたいだけ。年齢は?それくらい教えてくれたっていいでしょ」
友達なんだし。
「19だ。そういえばアカネはいくつなんだ」
「16。あと3カ月くらいで誕生日が来るから17になるよ。トラモントさんは誕生日いつ?」
「誕生日?忘れたな。日本じゃ生まれた日に年を取るのか?」
そういえば、日本で個人の誕生日を祝うようになったのは戦後からだっけ。
昔はお正月に一斉に年を取っていたと聞いたことがある。
「初幸さんの時代は違ったけど、私の時代はそうだよ。生まれた日に誕生会を開くの。友達を呼んでご馳走食べたり贈り物を貰ったり」
「へえ、この国じゃ女神が人間を生み出したと言われる日に国民も一斉に年を取るんだよ。生誕祭は国1番の大きな祭りで、親しい相手に菓子や花を贈る。3日間は国中が朝から晩まで大騒ぎだ」
「生誕祭っていつなの?」
「10月だから、アカネの誕生日と近いな」
一緒にお祭り行こうね、と言いかけて止めた。
その頃私は何をしているだろう。まだこの国にいるか、それとも別の場所に移動しているか、もしかして日本に帰っているだろうか。
トラモントさんは日本に帰る方法は無いと言っていたし、初幸さんは帰れなかったけれど、そもそも何故、どうやって私がこの世界に来たのか何も分からないのだ。
突然異世界にやってきたのだから、同様に前触れもなく突然日本に帰る可能性もあるのではないか。
王都にやって来て1カ月が過ぎ、日記の解読は20年目に突入していた。
「あれ?日付が…」
イェルダ暦1837年の9月1日を境に一気に時間が進んだ。
“1847年10月12日 1人の孤児を拾った”
初幸さんはこの国の紀年法を日記に記していて、イェルダ暦1817年9月から日記をつけ始めたのでこの世界にやってきてから30年目、今から11年前の出来事である。
“少年は親も家も無く、行く当てがないと言う”
心臓がどきどきする。この少年とはもしかして、トラモントさんの事では?
“名前は捨てたというので、儂が新しく名付ける事にした。和風の名前は浮くだろうから洋風の名前が良いだろう。ずっと昔、イタリア人の知人から聞いた言葉にした”
“トラモント。夕焼けという意味だそうだ”
“ハーブストはドイツ語から取った。トラモント・ハーブストで秋の夕焼けだ。我ながら良いセンスだ”
茜と夕焼け。
きっと私たちの名前の由来は同じだ。
曾祖母も曽祖父も、私たちに名前を付ける時、同じ景色を思い描いていたに違いない。
しかし思いがけずトラモントさんの秘密を知ってしまった。
考えてみたら日記の最後の10年はトラモントさんとの旅の様子が綴られているのだ。
彼の個人情報も記述されているだろう。
ページを捲る事に罪悪感を感じる。
トラモントさんが大切にしている初幸さんとの思い出を覗き見るような、踏み荒らしてしまうような、そんな気分だ。
トラモントさんは私が日記をどこまで読んだかなんて確認してこないし、どんな内容が書かれていたかも聞いてこない。黙っていれば、彼の過去に触れた事だって知らない振りをできるだろう。
でも、それは不誠実だ。
私だって自分の事をちゃんと話したわけじゃ無い。本人の知らない所で一方的に相手の事だけ知るだなんてフェアじゃないよね。
「そういうわけだから、日記を読み進めるより先に私の事を話そうと思って待ってた」
「いや、俺の事も当然書かれてると思ってたから今更なんだが」
新たな職を見つけて働きに出ていたトラモントさんが帰宅するなり呆れたようにため息をついた。
「自分の事をあれこれ説明するのが面倒くさいだけで別に知られて困る事があるわけじゃ無い。変な遠慮してないでさっさと読めって」
「なんだ、そんな気にする必要無かったんだ。それはそれとして、私の事話すね。まず私が生まれた時に」
「ちょっと待て、まさかお前の16年分の歴史を一から語るつもりか?付き合わされる俺の身にもなってくれよ」
「そのつもりだったけど……嫌?それならトラモントさん質問してよ。私の何が知りたい?」
「………」
トラモントさんが腕を組んでだんまりを決め込んだ。こうなるともう何も言わないのはこの2カ月の付き合いで分かっている。
「じゃあ勝手に話すからね。別にちゃんと聞かなくていいから、環境音みたいなものだと思ってて」
それからトラモントさんがご飯を食べている時も、刀の手入れをしている時も、スペルドルさんの蔵書を呼んでいる時も付き纏って話し続けた。
「それで、友達と全力じゃんけんをして勝ったから思い切り腕を振りかぶって後ろに仰け反ったら頸椎を痛めて入院する事になって」
トラモントさんが思い切り噴き出した。
笑顔を見せる事自体珍しいけれど、なんと声を上げて笑っている。
「どんな勢いで仰け反ったんだよ。お前の頸椎脆すぎだろ」
床に座って立てた片膝に額を押し付け肩を震わせて笑っている。
笑いのポイントがよく分からないけど、楽しそうだ。
というか、他の事に集中して何も耳に入ってませんて顔してたのに、ちゃんと聞いてたんだな。
「あー笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ」
顔を上げたトラモントさんの笑顔にキュンとした。何だか妙に可愛く見える。
「トラモントさん可愛い」
しまった、思わず声に出てしまった。トラモントさんが真顔になった。ああ、勿体無い。
「可愛くない。犬猫じゃあるまいし」
拗ねた顔をする。それがまた可愛くて、笑ってしまった。