怒れる公爵閣下、登場
あの後トラモントさんから2度目の事情聴取を受けたけど、空腹と眠気で意識が朦朧としていて気が付いたら寝落ちしていた。
どこまで話したっけ。たぶん最後まで話してから力尽きたと思うんだけど。
服は昨日と同じだけどちゃんとソファに横になっていた。トラモントさんが運んでくれたのだろうか。
着替えてリビングへ行くとトラモントさんが新聞を読んでいた。購入するなんて珍しい。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
私が椅子に座ると彼は立ち上がって台所へ行った。
「今朝の新聞に昨日の誘拐事件の記事があった」
え!まさか私全国紙デビュー!?思わず新聞を見るけど読めないんだった。でも1面に倒れた公爵家の馬車の絵が掲載されている。この現場うちの近所なんだよなあ。あれ?でも馬車は倒れてなかったよね。
「アカネの名前は載ってなかったが、バラリュール公爵家の名前は載ってた。記事によると身代金目的の誘拐だとさ。公爵家の娘が保護されたところまで一連の顛末が書かれてる」
トラモントさんがコップを2つ持って戻ってきた。1つを私に差し出す。お茶だ。
「ありがとう」
「どうにもキナ臭い」
「というと?」
トラモントさんが新聞に目を落とした。
「情報が早すぎる。お前らが解放されたのは夕方だ。憲兵の取り調べが終わったのが夜9時過ぎ。すぐに新聞記事の制作を始めたとしても朝刊に間に合うとは思えない。アカネについて一切触れていないのも違和感がある」
ふむふむ。えーと、つまり
「どういう事?」
「さあな。でももしかしたら、貴族のゴタゴタに巻き込まれたのかもしれねえな」
そう言うとトラモントさんがさっさと新聞を片付けた。何だろう、見られたくない物があるみたいだ。どうせ私には読めないからいいけど。
「………昨日も聞いたが、本当に何もされてないんだよな?」
「え?うん。強いて言うなら飴を強奪された事くらいかな」
トラモントさんが深く息を吐いた。
「なら良かった」
「ところで今何時?お腹すいちゃった」
考えてみたら昨日の朝から何も食べていないのだ。飴は取られたし。
「12時過ぎ」
もうお昼過ぎか。ずいぶん寝過ごしたようだ。
「トラモントさん仕事は?今日休みだっけ」
「クビになった」
クビ!!!?
「なんで!?」
「昨日お前の失踪事件の知らせを受けて、身内が事件に巻き込まれたみたいだから帰らせてくれって言ったら断られたから、現場監督を殴って抜けてきた。そんで今朝会社に行ったらもう来なくていいって昨日までの給金渡されて追い返された」
上司を殴ったのか。
「まあ、身内が事件に巻き込まれても返さないなんて、そんなブラック企業辞めて正解だよ」
「ブラック企業ってなんだ?」
それからブラック企業について解説しながらお昼を食べに中心街へ向かった。
その後、昨日私とお嬢様が駆け込んだ憲兵隊の詰め所に行った。調査で何か新しい事が分かったか確認したかったからだ。新聞記事には犯人たちに関しては何も分からないとあった。
「こんにちは」
「やあ、昨日の。昨晩は眠れたかい?」
私に事情聴取をした中年憲兵がいた。
「きづいたらねてました。そうさのしんちょく、どうですか?」
「それが、君たちが監禁されていた小屋に行ってみたが何の痕跡も無くて困っていたんだ。目撃情報もないし」
中年憲兵が腕組みして首を傾けた。
「あまりにも手口が鮮やかすぎるんだよね。こりゃそこらのゴロツキの仕業じゃない。その道のプロだよ」
プロって、犯罪組織でもあるんだろうか。
「改めて君の話が聞きたいと思っていたんだ。来てくれて助かったよ」
「うーん、といっても、しってることはきのうぜんぶはなしたし…」
その時、昨日の若い憲兵Aが大量の刃物を抱えて室内に入ってきた。
「隊長、修理を頼んでたナイフ戻ってきましたよ」
「ああ、倉庫にしまっとけ」
「うぇーい」
軍の標準装備だろうか。サバイバルナイフや銃剣だ。それを見ていて、ふと思い出した。
黒ずくめ達が持っていた刃物だ。
「そういえば、はんにんたちみんな、おなじぶきをもってた」
「統一した装備って事?どんな物かちょっと絵に描いてみてよ」
私の書いた絵を隊長と呼ばれた中年憲兵とトラモントさんが覗き込む。最初に反応したのはトラモントさんだった。
「これ、どこかで見たことあるような……」
「お!知ってるのかキミィ。いいよいいよ、そのまま思い出して!」
トラモントさんが気味悪そうに隊長さんを見た。ちょっと言動が浮かれてるけど、面白い人だよ、このオジサン。
「ほらここまで来てる。ここまで出かかってるよー!あと一息!ホラ頑張って、もうちょっとだ!」
隊長さんが自身の首元を指さし声援を送っている。
「おいオッサン黙っててくれ。気が散って出るもんも出ねえわ」
「そんなウンコみたいな言い方」
倉庫から戻ってきた憲兵Aが会話に加わった。
4人でワイワイやっていると、詰め所の前に豪華な馬車が停まった。今朝の1面を飾った公爵家の馬車だ。
「貴様らか!!情報を漏らしたのは!!!」
身なりの良い40代くらいのオジサンが詰め所に乱入してきて隊長さんの胸ぐらを掴んだ。
「うわ、公爵様だ」
憲兵Aが呟いた。この人がバラリュール公爵か。つまり、お嬢様のお父さんだ。
「娘の事件の事を新聞社に話しただろう!」
「公爵閣下、私は外部の者には何も話していません。事件の事も被害者の事も」
「ではあの記事は何だ!ある事ない事脚色しおって!」
「それは新聞社に尋ねるべきでは?」
「その新聞社の連中がここの詰め所の憲兵から聞いたと言っておるのだ!」
隊長さんが冷静に対応しているものの、公爵の怒りは収まらないようだ。大貴族の当主が直々に乗り込んでくるくらいだからよほど怒っているのだろう。
「発見された時ドレスが引き裂かれていただの複数の男に乱暴されただの勝手な憶測を書き連ねおって」
ええ!?
ドレスは無傷だったはずだ。ボロボロのカーテンを羽織っていたから見間違えたとか?
乱暴されたなんて、そんな事も無かった。事実無根だ。
「そんなことされてない」
思わず口を挟んでしまった。
「何だこの娘は」
公爵に胡乱げな目を向けられた。
「はんにんたちは、ひつよういじょうに、わたしたちにふれなかった」
「私たち…?お前、娘が話していた共に誘拐されたという異国の民か。まさかお前が新聞社に情報を売ったのか!?」
「ええ!?ちがうよ!」
「閣下、落ち着いてください。彼女も被害者です」
そうだよ落ち着いて公爵。あとトラモントさんも。刀の柄に手をかけないで。
「貴様らこの娘を捕らえろ!ベアトリーチェを中傷しバラリュール公爵家の家名に泥を塗ったのだ!」
「閣下の命令に従う義務はありません。お断りします」
隊長さんが毅然と返した。おちゃらけてる時と違って格好いい。
トラモントさんが鯉口を切っている。待って。それ以上は不味いって。
「私の命令が聞けぬだと!?何様のつもりだ!」
「王都第八憲兵隊隊長オズワルド・クレイソン大尉であります。我々の忠誠は王と国家、ひいては国民にあります。貴族といえど、私共に命令する権限は無いはずです」
へえ、隊長さんて大尉なんだ。それって結構偉いんじゃなかったっけ。
「これだから道理をわきまえぬ野良犬どもが」
静かに状況を窺っていた憲兵A、B、Cが公爵の言葉にいきり立った。
「なんだと!」
「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって」
「人を中傷してんのはあんたじゃねえか」
なんだなんだ、野良犬って言われたのがそんなに屈辱だったのか。確かに良い意味ではないと思うけども。
しかし下っ端兵士が公爵にこんな事を言えるなんて、この国の貴族って雲の上の人と言えるほどの特権階級ではないのかな。私のイメージだと暴言なんて吐いたら即打ち首なんだけど。
公爵はぐぬぬ、と言いたげな表情をして肩を怒らせ帰っていった。その表情は娘によく似ていた。
ちょっと話を聞くつもりで詰め所に寄ったのに、とんだ目に合った。
あの後隊長さんが憲兵本部に事の次第を報告に行くと言うので私たちも退散した。下っ端たちは好き放題言っていたけど、やっぱりちょっと不味かったらしい。
彼らが重い処罰を受けないようお偉いさんに便宜を取り計ってもらえるように根回しをするという。
「君も公爵に目を付けられたかもしれない。気を付けるんだよ」
そんな事言われたら不安になるじゃないか。
「野良犬って、どういう意味?」
公爵の言葉が引っかかっていたのでトラモントさんに聞いてみた。
「軍の兵士に対する蔑称だよ。軍隊が組織されたのは40年くらい前、大陸中で独立運動が活発になった頃だ。王の号令の元、貴族を除いた大勢の男が徴兵されたんだ。今は志願制に変わって規模も縮小したけど、兵士のほとんどが貧乏な農家の次男坊や三男坊で、食い扶持を求めて転がり込んできたような奴が多いんだよ。軍隊ってのはそういう連中の受け皿になってる面もある」
継ぐような家も職もなく、フラフラしている人たちを揶揄して野良犬と呼んでいるわけだ。
そして騎士を尊び貴族で構成されている騎士団とは犬猿の仲だと。
「俺からすりゃ騎士団の騎士も軍の兵士も同じ犬だけどな。血統書付きか雑種かの違いってだけだ」
次の日、トラモントさんは新たな職を求めて街へ出かけて行った。
私は相変わらず日記の解読作業に勤しんでいる。誘拐犯の事とか、事件の話をリークしたのは誰かとか、うやむやのままでスッキリしないけれど現状これ以上は調べようが無い。憲兵隊の方で何か分かったら教えてくれると言うので素人はもう首を突っ込まないでおこうとトラモントさんと約束した。
そういえば、昨日から妙にトラモントさんが優しい。彼が私にお茶を入れてくれるなんて初めての事だったし、私の名前をちゃんと呼ぶ事が増えたし、以前は一緒に歩くと私を置いていったのに歩調を合わせてくれるようになった。
それと誘拐された日の夜にされたハグだ。
ハグは愛情表現だ。では、あのハグに込められた愛とは何だったのか。
古代ギリシャでは愛を4つに分類して考えていたという。
家族愛、友愛、性愛、無償の愛。
トラモントさんとはこの世界に来てから約2カ月の間毎日顔を合わせている。多少は情も湧くというものだろう。
友愛くらいは抱いてくれているだろうか。私のために上司を殴り、日が沈んでも街を駆けずり回ってくれたのだ。
帰ってきたら聞いてみよう。友人だと言ってくれるなら、彼の過去を少しくらい聞いてみてもいいだろうか。
庭で日課になっているラジオ体操をしていると、馬の蹄の音が聞こえてきた。
表を覗き込むと相変わらず豪華な馬車が停まっている。今までにはいなかった物々しい警備が付いているけど、一昨日ここを訪れた際誘拐に遭ったのにまた来るとは。そんなにドレスが待ち遠しいのか。
しかし乗っていたのはお嬢様ではなかった。馬車から降りてきたのはメイドの格好をした若い女性だ。友達のバイト先のメイド喫茶には行った事があるけどリアルメイドは初めて見た。
メイドさんは店内でロザリンドさんと少し話してすぐに出てきた。
そういえばお嬢様はあれからどうしているだろう。聞いてみてもいいかな。
「あのー、こうしゃくけのひと、だよね」
「はい?」
店の入り口で声をかけた。見送りに出たロザリンドさんも一緒だ。
「おじょうさま、げんき?わたし、いっしょにゆうかいされたんだけど、そのごどうしてるかきになって」
するとメイドさんが目を見開いた。私を頭からつま先まで観察している。でも値踏みしているような嫌な感じではない。
「そうですか、あなたが……あの、今お時間ありますか?」
「はい。わたし、いまニートなので」
「ニート?よく分かりませんが、私と一緒に来ていただけませんか」