王都での日々、はじまりはじまり
朝起きたら、朝食を用意する。庭で素振りをして戻ってきたトラモントさんと一緒に朝食を食べて、仕事場へ向かう彼を送り出す。
部屋を掃除し、洗濯をして、曽祖父の日記の解読を進め、お昼頃に歩いて10分ほどの近所の商店へ買い出しに行く。
軽いお昼ご飯を食べてまた解読作業へ。夕方5時の鐘が鳴ったら夕食の準備を始めて、6時過ぎごろトラモントさんが帰ってくるので一緒に夕食を食べる。
その後は再び解読作業に戻ったり、必要な生活用品の買い出しに中心街へ行ったり、数日に1度公衆浴場へ行ったり。
それがここ半月ほどのルーチンだ。
フォラス村では毎晩食堂に通っていたけど、流石に物価の高い王都でそんな事はしていられない。今働いているのはトラモントさんだけだし。
最初に遠慮していたのがウソのように、私はスペルドルさん宅を我が物顔で占領していた。
調理器具を揃え、毎日料理をしていたらキッチンはあっという間に汚れた。毎日掃除はしているものの、もはや新品とは言えない状態だ。
料理の味については最初にお互い一切触れない約束をした。食べられないほど不味いという事は無い、はず。
本は火が燃え移ったりしたらシャレにならないので全て部屋の奥に寄せた。そのせいでリビングの広さが半分ほどになった。
調理の際は小さなかまどとはいえ、火を焚く事に緊張した。しかしマッチがあってよかった。火打石で火を起こすなんて気が遠くなりそうだ。
住んでみて分かったけど、石造りの建物はとても涼しい。夏に火を焚いてもむしろ快適なくらいだ。
人の家なのに着実に生活の基盤を築いている。これ、スペルドルさんからしたらホラーだろうな。長期の不在の間に自分の家で知らない人が平然と暮らしているんだから。
無論、彼が帰ってきたら早急に明け渡せるように私物は増やさないようにしているし、荷物は1つにまとめている。
肝心の日記の解読作業はというと、10年ぶんほど進んだ。ちらほら憂いを吐露しているが、思ったほど悲観的な事は書かれていなかった。どこの町に行ったとか、いくらお金を使ったかとか、個人の日記というよりは業務日誌のようだった。欠かさず毎日日記をつけていたのは最初だけで、次第に日付が飛ぶようになった。予定外の出来事が無かった日は書かなくなったようだ。
村長さんやスペルドルさんなども日記に登場した。
初幸さんは初めて村長さんと会った時、死に際に息子(私の祖父だ)が成長した姿で現れたと勘違いしたようだ。その他にも謎の男に付き纏われているとか、やんごとない身分の女性に言い寄られたとか、もっと詳しく書いてよと突っ込んで聞きたくなる内容が盛りだくさんでこの日記の前半部分だけで映画化できそうだ。
スペルドルさんの名前もチラホラ出てくるものの、彼自身について詳しい事は書かれていなかった。
ふと窓の外を見ると太陽が高い位置にある。そろそろ買い出しに行こう。
表に回るといつか見た馬車が停まっていた。あのお嬢様が進捗状況を確認しに来たのだろうか。また喧嘩になりそうだから顔は合わせないでおこう。馬車の横を通り過ぎる時、前回同様御者さんに会釈した。あれ?この前と違う人だな。専属運転手ってわけでもないのかな。
いつもの商店に行って野菜と肉を購入した。私はどちらかというと魚の方が好きだけど、トラモントさんは肉の方が好みらしい。
「今日はお肉にするの?それならニンニクと一緒に焼くといいよ」
店主のおじいさんがニンニクをオマケしてくれた。
「わあ、ありがとうございます」
アネモニ区の中心街はここから少し離れた場所にあるので、この商店はそこまで出かけられないような老人のために開いたお店だそうだ。種類は少ないもののメジャーな食材やちょっとした雑貨を売っている。
本業は他にあって、これはご近所さんのために採算度外視でやっているお店らしい。
この2週間毎日通っていたのですっかり顔を覚えられた。
お店の外にはベンチがあって、近所の老人たちが世間話をしている。ここは老人たちの駄弁り場なのだ。
若者がこの商店に来るのは珍しいようで、何かと声をかけられる。
「あら~今日もお買い物?」
「ほら、飴ちゃんあげるよ」
「お嬢ちゃん名前は何だったかのう」
「いやねあんた、昨日も同じこと聞いてたよ」
「また明日」
次々声をかけてくる老人たちに適当に返事をして来た道を戻った。足を止めたら最後、最低でも1時間は世間話に付き合わされる。
人通りの少ない閑静な住宅地だ。騒がしい王都でもこの辺りはフォラス村に似た雰囲気を感じる。ああ、この静けさが心地良い…
「イヤーーーー!!!なんですのあなた達は!!!?」
突如静寂を打ち破るように女性の叫び声が響いた。何事!?
曲がり角を覗き込むとあのお嬢様の馬車と、見た事のない質素な馬車が停まっていた。黒ずくめの男たちが馬車を取り囲み、お嬢様を車内から引きずり出している。そんな状況でも御者さんは平然と御者台に座っていた。
誘拐!?
これは通報せねば。とりあえず商店に戻って……
引き返そうとした時、後ろから何者かに口をふさがれた。次いで透明な液体の入った小瓶を鼻先に付けられた。それ絶対直接嗅いだらヤバイ奴でしょ!
案の定、私の意識はそこで途絶えた。
「いてっ」
頭を打ち付けた衝撃で目が覚めた。馬車に揺られてどこかに運ばれているようだ。
窓に黒い布が張り付けられているので外の様子は分からない。薄暗い車内には私の他に2人いた。
1人は気を失っているお嬢様。もう1人は黒ずくめの男だった。
男は私が目覚めた事に気づいたようで、口に人差し指を当てた。静かにしていろ、というジェスチャーだ。
「ここは何処!?あなた達誰!?」
そんなジェスチャー知りません。私外国人なのでって体で日本語で怒鳴りつけると男は片手で私の口をふさいだ。ついでに刃物をちらつかせた。はいはい、黙りますよ。
しかし凶悪そうな刃物だ。ナイフと呼ぶには大きいけれど、剣と呼ぶには小さい気がする。振りかぶって思い切り叩き付けたら人間の腕くらい簡単に切断できそうだ。でも柄の部分に細かな装飾があるから美術品としての価値も高そう。
この男の目的はお嬢様だろう。身代金目的の誘拐かな?私は完全に巻き込まれた形だ。
途中からやたら馬車の揺れが激しくなったので整備されていない道に入ったようだ。
しばらくすると馬車が停車して扉が開いた。眩しい。まだ日は沈んでいないようだ。
辺りを見回すとやたらボロボロの家屋が立ち並んでいた。あちこちにゴミが散乱していて、なんだか異臭もする。
今にも倒壊しそうな木造の小屋に入るよう促された。お嬢様は黒ずくめの1人が抱えている。御者の姿も見た。あいつグルだったんだ。
小屋の中にはさらに2人の黒ずくめがいた。背の高い方が私たちを連れてきた男と小声で何か話している。
所在なく突っ立っていると小屋にいた黒ずくめの小柄な方が私の手を引いて椅子に座らせた。縛られるかと思ったけどそれ以上私に触れることなく、テーブルに腰かけてこちらを観察している。黒ずくめ達は皆頭部をストールで覆っているので顔はよく分からないけど、小柄な黒ずくめは何となく他より若そうな気がした。
馬車に同乗していた男たちは屋外に出て、室内には私とお嬢様、2人の黒ずくめ(大小)が残った。
お嬢様は藁の上に寝かされている。結構乱暴に扱われていたのに起きないなんて、よほど嗅がされた薬が強かったのか、それとも神経が図太いのか。これは私のカンだけど後者な気がする。
「大人しくしていれば危害は加えない」
黒ずくめ(大)が話しかけてきた。
「時間が来たら解放する。それまでじっとしていろ」
落ち着いた声だ。話の通じないヒャッハーな人ではなさそう。
黒ずくめ大小どちらも腰にあの独特な刃物を佩げているし、そのうち解放してくれると言うなら大人しくしていよう。
「はっ!わたくし一体……あ、あら?ここはどこ?あなた達誰ですの!?」
大人しくしていられない女が起きてしまった。
「このわたくしを誰だと思っているのです!バラリュール公爵家の長女、ベアトリーチェ・フォン・バラリュールですのよ!このような狼藉、到底許される事ではなくてよ!」
ケガでもしていたら可哀想だと思っていたけど、これだけ元気なら大丈夫そう。
「大体なんですこの粗末な小屋は!埃っぽくて不衛生で、こんな所にいたら病気になってしまいますわ!あまつさえわたくしを汚い床に寝かせるだなんて、レディの扱いを教わらなかったのかしら!」
黒ずくめ(小)が耳を塞いでいる。黒ずくめ(大)はやれやれと言いたげに首を振って腰の刃物を抜いた。
「さあ、その布を取って正体を現しなさい小悪党!わたくしが成敗して…」
磨き抜かれ鈍い銀の光を放つ刃物を眼前に突き付けられてお嬢様が黙った。
「おとなしくしてたら、かいほうするって。だからちょっと、おちつこう」
フォローしたつもりが火に油を注いでしまった。
「あなたいつぞやの失礼な小娘!!あなたもこの連中の仲間ですの!?とぼけた顔してとんだ女ですわね!」
何でそうなるんだ。このお嬢様疑心暗鬼になっている。誘拐されたのだから仕方ないかもしれないけど。
「ちがうよ。むしろまきぞえくったんだよ。イライラするのはとうぶんがたりてないのかも。アメたべる?」
商店の前で貰った飴がポケットに入っていたのでお嬢様に渡そうとしたら手を跳ね除けられた。ひどい。
いらないなら私が食べちゃおうと思ったら、黒ずくめ(小)に手首を掴まれた。
勝手な事をして怒ったのかと思い縮こまっていたら飴を強奪された。
こちらに背を向けて顔に巻かれたストールをずらすと飴を口に入れたようだ。ストールを戻してこちらに向き直る。
「これ美味しいね」
若い声だ。
「そう…」
そうとしか言いようがなかった。お嬢様と黒ずくめ(大)が冷めた目でこちらを見ている。私悪くないのに。
高い位置にある小窓から差し込む光がオレンジ色を帯びた頃、入り口の扉に何かがぶつかる音がした。
黒ずくめ(大)が様子を見に外へ行きすぐに戻って来た。
腕に大型の猛禽類が止まっている。おそらく鷲だ。黄色いくちばしに褐色の羽毛、尾羽だけ白い。
「俺たちは引き揚げる。ここから東に歩いて行けばそのうち鉄道馬車の走る大通りに出るから後は自力で帰るんだな」
(大)がそう言うと(小)は腰かけていたテーブルから降りて静かに去っていった。
すぐ後を追って外に出たけれど影も形も見当たらない。なんて素早いんだ。
しかし、鉄道馬車が走っているということは王都からは出ていないらしい。少し安心した。
「歩いて……帰るですって………?」
お嬢様が震えている。
「そんなの無理ですわ!ちょっとあなた、わたくしの家の者に言って迎えを寄越してちょうだい!」
「いえしらない」
「ぐぬぬ。では憲兵を呼んでらっしゃい」
「いいけど、わたしがいないあいだ、ひとりになるよ?だいじょうぶ?」
恐らくここは貧民窟だ。王都内であるなら、このような荒廃した場所は他にない。
「ぐぬぬ。仕方ありません。わたくしも一緒に行きます」
それは良かった。私もこのような場所を1人で歩くのは不安だったのだ。お嬢様がいたって危険なのは変わらないけど。
「じゃあ、これはおって」
窓に掛かっているカーテンを取り外してお嬢様に差し出した。
「………………冗談でしょう?」
お嬢様の声が震えている。気持ちはわかるよ。私も似たような経験があるから。いや、オンボロ小屋のカーテンをトラモントさん愛用の外套と同列に扱ったら流石に悪いか。
「そのドレスはすごくめだつ。おいはぎに、おそってといってるようなものだよ」
ヤケクソになったお嬢様と並んで東へ。太陽に背を向け周囲を警戒しながら歩いた。
異様なほど人の気配がない。出歩いている人はなく、生活音すらしなかった。まるで街が死んでしまったかのようだ。
歩いている内に気づいたけど、異臭の主な原因は汚染された川だった。
王都の南東から北西にかけ流れる大きな川から別れた細い支流が貧民窟を通っており、それが異臭を放っているのである。上流の方には小規模ながら工場が立ち並んでいるので、そこから出た廃水が川に流れ込んでいるのだろう。
そして、そこに住民の排泄物や使用済みの生活用水がブレンドされ下流に進むにつれどんどん色と臭いに深みが…いや、詳しくは語らないでおこう。
ただ、その川を見たお嬢様が気を失いかけていた。
いざとなったら戦わねばと思い、拾った瓶の底を叩き割って即席武器を作ったものの、使う事無く大通りまでたどり着けた。
鉄道馬車の停留所の近くに憲兵隊の詰め所があったので駆け込んだ。
「バラリュール公爵家へ遣いを!」
お嬢様の号令で、中にいた憲兵達が一斉に立ち上がった。これが大貴族パワーか。
私とお嬢様が恰幅の良い中年の憲兵に一連の出来事を話していると、私の名前を聞いた年若い憲兵が声をかけてきた。
「君、トラモント・ハーブストさんが探してた人?」
「え!うん、トラモントさんは……ちじん」
彼との関係を何て表現したらいいか迷って、不自然な間が出来てしまった。
「かれ、わたしをさがしてるの?」
先ほど夜6時の鐘が鳴ったので、トラモントさんは今頃帰宅したはずだ。私の不在に気づいて探しに出たとしても早すぎる。
「昼の2時過ぎくらいかなあ。血相変えて駆け込んできてさ。知り合いが誘拐されたらしいって言うんだけど、公爵家のご令嬢も行方不明ってんでそっちに人員が割かれてるから後回しになるよって言ったら怒って出て行っちゃった」
「一応他の詰め所には情報共有しておいたけど、まさか2つの事件が同一だったとはねー」
呑気に笑う憲兵AとBに殺意が湧いたけれど、そうか、トラモントさんは早い段階で私が事件に巻き込まれた事を知って動いてくれていたんだ。
早く彼に無事を知らせたいけれど、手段がない。ああ、携帯電話があればなあ。
「あの、はやくいえにかえりたいんだけど」
「ごめんな。事情聴取が終わるまでは返してあげられないんだ」
中年憲兵が申し訳なさそうに言う。ううむ、仕方ないな。
結局取り調べが終わったのは夜9時の鐘が鳴る頃だった。お嬢様は公爵家の馬車が迎えに来ていたのでそれに乗って帰っていった。私はというと、憲兵Aが馬で送ってくれるという。
「うま、のったことない」
「そっかあ、じゃあ振り落とされないようにしっかり捕まっててね」
乗馬初心者に対して配慮する気は一切無いようだ。私は憲兵Aの後ろに座ると彼を絞め殺す勢いでしがみ付いた。もし落ちたら道連れにしよう。
家に着くと、1階のお店の前にロザリンドさんがいた。他にも商店の店主や老人たちがたむろしている。
「あ!帰ってきた!」
「一体どこ行ってたんだい心配したんだよ」
「儂は何でここにおるんじゃ?お嬢ちゃん名前は何だったかのう」
話を纏めると、最初に私の失踪に気が付いたのは老人達だったそうだ。
商店で買った品物が路上に散らばっていたのでおかしいと思って私の(スペルドルさんのだけど)家を訪ねたらしい。そこでロザリンドさんに事情を話し、ロザリンドさんから馬車鉄道の会社へ連絡が行き、トラモントさんへ伝わったと。
私の無事を確認した老人たちは各々家へ帰っていった。皆夜9時には床に就くと言っていたけど、私を案じてこんな時間まで待っててくれたんだ。
「あなたの事情からして、あまり大事にしたくは無かったのだけど、四の五の言ってられる状況とは思えなかったから通報しちゃったわ」
「それでよかったとおもう。トラモントさんもしゅびたいのつめしょに、かけこんだみたい」
「そういえばトラモント君ずっと帰ってきてないけど、まだ探し回ってるのかしら」
連絡の取りようがないから戻ってくるのを待つしかない。
表に出ているとロザリンドさんが私に付き合って一緒に待とうとするので家に戻った。
灯りを付けていれば外からでも私が帰ってきている事に気づくだろう。
それからどれくらい時間がたっただろう。外階段を猛烈な勢いで駆け上がってくる足音がした。
「アカネ!!」
部屋に飛び込んできたトラモントさんに抱きしめられた。
もう1度言おう。抱 き し め ら れ た!!
トラモントさんは無言で私の肩に顔をうずめている。
背中に手を回すべきか否か悩んでいると勢いよく体を離された。
「何があった!?」