手繰り寄せる縁、運命の出会い
空が広い
目が覚めて最初に思った事はそれだった。
次に感じたのは草のにおい、背中に感じる地面の温もり、関節の痛み。
どうやら自分はずいぶん長い事地面に寝転がっていたようだ。
強張った腕や足を伸ばし正常に動くことを確認して、ゆっくり身を起こす。
少し肌寒い。風が髪を揺らして通り過ぎた。
何だかくすぐったいなと思って右足を見ると小さな虫が一生懸命よじ登っていた。
私の足に美味しいものなんて無いのに餌を求めて右往左往している。
無駄足を踏んでいる虫を払い落として立ち上がる。
やはり空が広い。
太陽は高い位置にあるから真昼だろうか?
見渡す限りの草原に立ち尽くす。
さて
「ここどこ?」
私の震える言葉が一陣の風にかき消された。
状況を整理しよう。
すぐそばにあった大き目の石に座り楽な姿勢を取った。
両足を伸ばし腕を組んで考える。
私は東京にいたはずだ。
それもコンクリートジャングルと称される都心部である。こんな広い草原は観光パンフレットや外国の風景写真でしか見たことが無い。
夢にしては妙にリアルだと思う。
地面の感触や草のにおいは本物みたいだし、風が吹くたび草のこすれ合う音がして割とうるさい。
ざわざわ、ざわざわと何だか大勢の人の話し声にも聞こえてきて不安になる。
持ち物はほとんど無かった。スマホはカバンの中に入れていたがカバンごと紛失してしまっている。
学校指定の制服のポケットには小銭入れと祖母から貰ったお守りだけ。
ここは家まで六百円で帰れる範囲なのだろうか?
なけなしの百円玉硬貨6枚を握りしめて考える。
……無理そう。
どれくらい時間がたっただろう?そうしてしばらく茫然としているとなだらかな丘の上から小さな人影がやってくるのが見えた。
このあたりに住んでいる人だろうか?
ここがどこか聞こう!そして電話を借りよう!
期待を込めて両手を振ってみると人影の動きが止まった。
警戒しているのだろうか?立ち上がっておーいと呼びかけてみる。
次の瞬間、人影が猛スピードでこちらに向かって走り出した。
こちらからも走り寄る。
近づくにつれて相手の容姿がはっきり分かるようになってきた。
そして、私は足を止めてしまった。
なぜかって?
向かってくる男があまりに異質だったからだ。衛生的に大変よろしくなさそうな汚れた外套を纏っているし、腰に佩いているのは……刀!?
そして何より、その男の鬼のような形相である。
こ、殺される!!!!
逃げたけどすぐに追いつかれてしまった。
肩をつかまれ背中から引き倒される。いたーい!
「お前日本人か?」
私を地面に抑え込みながら男が言った。
イントネーションが少し独特だけどどうやら日本語が通じるらしい。
「イ、イエス!」
「イイエス?……知らない言葉だ。日本人じゃないのか」
「いえ日本人です、はい」
男の色素の薄い瞳を見てつい英語で答えてしまった。
「ここで何をしている?お前は誰だ」
「気づいたらここにいて呆然としていました。名前は高浪茜です」
タカナミアカネ。男が小さく復唱した。
「あのー痛いので放してもらえないでしょうか?それと、ここがどこだか教えてもらえるとありがたいのですが」
すると男はあっさり体を離して立ち上がった。
「ここはゴエティア大陸にあるデカラビア王国の東端、レライエ王国との国境付近の高原だ。ここから南西にフォラス村がある。特産品は茶葉で品評会でも毎年高い評価を受けて高値で取引されている」
私は彼の言葉を咀嚼した。そして出てきた言葉が
「はあ、そうですか」
「分かってないだろ。まあ当然だろうな」
呆れた様な目で見下ろされた。立ち上がってみると男は私より頭1つ分ほど背が高いが、声と顔の輪郭に少し幼い雰囲気があるので年は私とあまり変わらないかもしれない。
「聞いたことのない単語が沢山で何が何だか。ここから1番近い村がその、フォラス村?」
「ああ、フォラス村までは歩いて二時間半ほどの距離だ。お前は鈍そうだからもっとかかるかもしれないが」
「さっきからちょっと失礼じゃないですか?まあいいですが。ここから日本へ帰るにはどうしたらいいか分かります?ゴエティア大陸もデカラビア王国も聞いた事ないんですが、日本の大使館てありますかね?私今六百円しか持って無くて」
「ねえよ。日本の大使館も帰る手段も。ここはお前の住んでいた世界とは違うから」
ポカンとした顔で見上げたせいだろうか、彼はばつが悪そうに続けた。
「俺はお前と似た雰囲気の人を知ってる。日本から来たと言っていた。こことは違う別の天地がある事も、日本語もその人から教わった」
「え………えぇ?」
「お前さ、これからどうするんだ?」
聞かれて口ごもる。
どうする?って聞かれても分からない。
目が覚めた時真上にあった太陽は大分傾き日が沈みかけている。
両親や兄、愛犬は私を探しているだろうか。
ここに来る直前まで一緒に遊んでいて、また明日、と手を振って別れた友人たちは私が行方不明になった事で警察から事情聴取を受けているかもしれない。
もう会えないのだろうか。
足に力が入らなくなってしゃがみ込んでしまった。
「おい大丈夫か?」
失礼な男がぶっきらぼうに声をかけてくるが答える気力が湧かない。
大丈夫なわけないじゃん。何でこんな事になったの?私何かした?
心臓の鼓動が速くなっていく。何だか息がしづらい。私ちゃんと息吸えてる?
「おい!」
乱暴に肩をつかまれた。
見上げると男が地面に膝をつき私の顔を覗き込んでいた。
秋の空のような薄い水色の瞳が、地平線を照らす沈みかけの太陽の光を浴びて金色に輝いている。
一日の終わりを告げる夕焼け空のような妙な安心感と郷愁を感じる色彩がそこにある。
“ひいおじいちゃんは空を見上げるのが好きでね、特に秋の夕焼け空がお気に入りだったの。いつか私に世界で1番綺麗な茜色の空を見せてやるって約束してくれたのよ”
今は亡き曾祖母が生前語った曽祖父との思い出話だ。
私に名前を付けたのは曾祖母で、名前の由来を聞いたとき少し悲しそうに話してくれた。
この男の目を見ていると無性に悲しくなって涙があふれ出した。
現状への不安や恐怖だけじゃない。
夕焼け空なんてしょっちゅう見ているのになぜこのタイミングで曾祖母を思い出したのだろう。
曾祖母が亡くなったのはもうずっと昔の事なのに。
亡くなった直後は悲しくてよく泣いていたけれど一周忌を過ぎる頃には家族と笑いながら思い出話ができていたのに。
蹲って声を押し殺して泣く私に対し、男は見るからにうろたえていた。
立ち上がったりしゃがんだり、何か言おうと口を開いては閉じたりと、どうしたらいいか分からない様子だ。
ぶっきらぼうな物言いをするが根は優しいのだろう。
しばらく泣き、少しすっきりして辺りを見回すと太陽は沈みきっていた。
街頭など無いのだが男がランタンを灯していたのでその周囲だけは少し明るい。
「落ち着いたか?」
「はい。すみませんでした。突然泣き出して困らせてしまって」
「まったくだ。泣いてる奴を慰めるのは得意じゃないんだ、これっきりにしてくれ……まあ俺も悪かったよ。右も左も分からない状態の奴にどうするなんて聞いても答えようがないよな」
私が途方に暮れた顔をしていたのだろう。男の方から提案してくれた。
「夜間の移動は方角を間違えそうで怖えぇから、今日はもうここで野宿する。お前何も持ってなさそうだな」
「はい」
「飲み水は俺のを分けるとして、食料は持ってきてないんだ。腹が減ってても耐えろ。日が昇ったらフォラス村に移動する。それでいいか?」
「はい。ありがとうございます。ところで聞いてもいいですか?」
「何だ」
「あなたの名前は?」
男はしまった、と言うような顔をした。意外と表情豊かだ。
「名乗ってなかったか。俺はトラモント。トラモント・ハーブストだ」