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木洩れ日  作者: 報苔京
3/7

せめてこの想いが届きますように!  3

 数日後、親戚の医師に相談した父は、大学付属病院で徹底した入院検査を受けることにした、と伝えてきた。

 三月、入院の朝、母は早く目覚めていた。

眠りに就くことができなかったと言った方が的確なのかもしれない。

ベッドの中で、硬直した右腕をまだ元気に動くもう一方で摩りながら、隣で寝入っている父をじっと見つめていた。

〈もう帰って来れないかもしれない〉

 打ち消しても打ち消しても、そんな悲観的な想いが溢れそうなほど心の中に満ちてきた。

「またきっと、ここに連れて帰ってきてください」

 何度も何度も呟き、心の中からそれを追い出した。

 朝食を終えると、父は入院の準備にとりかかった。

 とりあえず一週間分の着替えをバッグに詰め、車に運んだ。

 母を着替えさせ、体を支えながら、仏壇の前に導いた。

 ロウソクに火をつけ、自分の分とそして母の分の線香をかざした。

 二人分の鐘を鳴らし、普段より幾分長く手を合わせ経を唱えた。

 母も動きの悪い右手の上に左手を重ね祈り続けた。

〈帰して下さい〉と祈り続けた。

 母は目覚めてからずっと、家の中にある絵や写真や置物をボーッと眺めていたかと思うと、当分一人暮らしになってしまう父の事を気遣い、冷蔵庫の中やお米の残量を何度も調べ直した。

「そろそろ行くぞ」

 落ち着けずにいる母に父は声をかけた。

 トイレに連れて行き、そして靴を履かせた。

 体を支えられながら庭先を歩き、時折立ち止まっては大切に育てていた花々に一つ一つ眼をやった。

 春の訪れが待ちどおしいのか、それぞれの花々がはち切れそうな程たくさんのつぼみを大事そうに抱えている。

「あーあ、せっかくここまで育てたのにな」

 色とりどりの花々で満開になった庭を想像すると残念でしかたないようだ。

「必ず毎日水をあげてよ」

 抱き抱える父の顔を見上げながら後の世話を託した。

 父は返事をしなかった。

 心残りなのかそれとも眼に焼き付けたいと感じたのか、ガレージに着くともう一度庭の方を振り返った。

 春を待ちわびる緑たちが、少しまだ肌寒さを感じさせる西風につぼみを揺らしていた。そして父に背中を押されるように助手席に乗り込むと、母は観念したように黙って眼を閉じた。

 大学付属病院に到着したのは、正午を少しまわった頃だった。

 手続きを済ませると病室に案内された。

 二人は、周りの入院患者に挨拶し、それぞれの病状を見舞った。

 重病患者の病棟だったせいか、母は少しショックを感じていた。

〈なんと病んでいる人の多いことか・・・〉

 遣る瀬なく心の中で呟いた。

 身支度が整うと、ナースが検査スケジュールの説明に訪れた。

 ナースは微笑みをつくりながら話しかけた。

 スケジュールは約一カ月の予定になっていた。

 少しの休憩を取ってから検査を始めることになった。

 父は長い車中の疲れにより硬直してしまった母の右手を摩った。

〈たとえ何があっても気持ちだけはしっかり保とう〉

 眼を閉じて自分に何度も言い聞かせた。

 

 母はまちがいなく、『筋委縮性側索硬化症』(ALS)という病魔に冒されていた。

 この病気は、人口十万人に一人もしくは二人という発生率の難病で、現時点ではその原因及び治療方法は見つかっていない。

 この病気に関しては、アメリカ大リーグの名選手ルー・ゲーリックやイギリスの宇宙物理学者ホーキング博士の闘病記録が有名であり、ゲーリックは既に他界、博士は現在もこの病気と闘っている。

 ここ数年、テレビや新聞・雑誌で、この病気の特集や闘病記の紹介、この病気を原因とする尊厳死をテーマにしたドラマが次々と放映されたことは、私たちにとって不運な出来事であった。

 映し出されたその病気と自分の症状が似通っていることに気づき始めており、おぼろげながらもこの病気の何たるかを知り、そして、その病名を告げられることになったのであった。

「全世界の医学者が、そして僕たちも全力でこの病気に闘いを挑んでいます。現時点では力足らずですが、ひょっとすると明日にも薬が発見されるかもしれません。試薬もたくさん作られ実験されています。絶対治るんだという気持ちで、私たちと一緒に闘ってくれなきゃだめですよ」

 主治医はやさしく母に語りかけた。

「何でこんな病気が存在するのかしら」

 母はため息をついた。そして首を二度三度横に振ると、自分の弱音を追い払うように、きっぱりした口調で答えた。

「子供や孫たちの時代のためにも、私を徹底的に調べて下さい。実験材料に使ってくれていいです」

「ありがとうございます。筋肉を切り取ったり、いろいろな注射をしたり、少々、痛い思いをさせますが・・・」

「大丈夫です」

 弱々しい笑みを浮かべながら母はうなずいた。

 右手が動かなくなることを覚悟した母は、その夜ノートを買いに行き、毎朝日記をつけ出した。

 この難病と闘い続けるために、ふつふつと湧き出る弱音を押え込んでしまうために、日記をつけることにした。

 父がそのことに気づいたのは、検査を終えて退院した数週間後のことであり、 私がそれをそっと父から見せられたのは、半年後の夏休みを利用して家族より一足先に帰省した時のことである。

 ちょっと小さめの青色のノートには、見るからに筆圧の落ちてしまった弱々しい字が連なっている。そしてその弱々しさが、不安と恐怖心の入り混ざった母の心境を切々と訴えていた。


三月六日 土 曇り

 昨夜も三時間ぐらいしか眠れなかった。朝起きてもお通じがない。今日も良い天気そう。桜島の横の方に朝日が昇り、とても素敵な眺め。絵心のある人なら描いてみたくなるのだろうなと思う。また、歌心のある人ならここで一句という所なのだろうが、それも浮かんでこない。

 いろいろ周りの人の話を聞いていると、大変な病気をしているのは自分だけじゃないのだと感じる。でも、大手術をしても元気になれる人はいいなあ、と思ったりもする。

 夕方、窓辺にハトがいっぱい飛んでくる。ハトにも色々な模様の羽があることをはじめて知る。


三月九日 火 晴れ

 今日は六十六回目の誕生日、病院のベッドで迎える。昨夜から痛みのため熟睡できず、朝早く目覚める。左手も調子が悪い。

 東京より花が届く。

 皆元気とのこと、安心する。


三月十二日 金 晴れ

 今朝は朝日がしっかり出ている。春がすみでどこもかすんで見える。

 十一時心電図をとりに行く。友人からきれいなバラの花が届く。きれい、きれいと来る人ごとにほめてくれる。夜、電話するも、指がずれるのか、他のところに繋がってしまう。あきらめてまた明日かけよう。


三月十八日 木 晴れ

 今朝は、私の心とは裏腹に、素晴らしい天気。久しぶりに太陽が拝める。

 神様、仏様、私は駄目なんでしょうか?

 でも、生きている限り愚痴は言えない。言ってはいけないのだ。頑張ってくれている主人に申し訳ない。

 どうぞ、新薬の効き目が少しでもありますように。今はそれにすがるのみ。


三月二十日 土 曇り 春がすみ模様

 昨夜はどうにか眠れたけれど、気持ち悪い位の筋肉のピクピクに悩まされている。退院してからも、ずっとこれの連続なのかと思うと、とても憂鬱。

 主人到着、先生より途中経過の説明あり。難病との事。やっぱりという気持ちと、これから先のことをいろいろ考えてしまう。今月いっぱい薬を飲み、四月初めには退院できるとのこと。それまでには、心の整理をつけておかねばと思う。そして、これからは主人に負担をかける日々が、一日でも遅くなってくれることだけを祈り続けることにしよう。


三月二十一日 日 曇り

 朝日は見えず。まるで私の心みたい。昨夜もまた眠れなかった。主人は結婚式とのこと。夜九時頃電話するも、まだ帰宅していないのか。

 飲みすぎて体を壊しませんように。


三月二十二日 月 曇り

 夜中雨が降っていたみたい。相変わらず筋肉のピクピクがとれない。一日中ピクピク動いていると『もうすぐですよ』と警告ランプが鳴っているみたいで、体より先に心が萎えてしまいそうな気がする。

 禅の心ってどんなものなのか勉強してみたくなった。


三月二十四日 水 雨

 今日より新しい薬を飲むとのこと。難病指定を受けるのだとか。覚悟はしていたもののやはり心中穏やかではない。どうぞ、これで進行が遅くなりますように。窓の外は大雨の様子。

 夜眠れず精神安定剤を服用する。


三月二十六日 金 曇り

 今日の桜島は雲がぼんやりかかって風情のある眺め。それにしても背中が痛い。これって何なのか。こんな状態が毎日続くのでは、この病気との闘いは大変だろうなと思う。希望の持てない病気なら、ガンと大差なしかと思うけど。まあ、弱音を吐いたら主人に申し訳ない。でも、やっぱり辛い。

 後で座薬を貰いにいこう。


三月二十七日 土 曇り

 女学校時代の友人達が見舞に来てくれる。来れなかったみんなも心配してくれているとか。みんなに迷惑かけてしまって、この体どうしようもないね。今日は体調悪い。もう死にたいと思う気持ちが強いのか、眠るといやな夢ばかりみてしまう。夜中に起きて安定剤を飲む。もう、自分の心との闘いになってしまった。


三月二十八日 日 雨

 結局朝まで眠れなかった。頭が重たい。体重測定、やっぱり一キロ以上も落ちた。体調悪く食欲がないのが影響してしまったのだろう。ああ、どうしようもないね。

 今日も痛み止めの座薬を貰う。


三月二十九日 月 晴れ

 久しぶりに良い天気。桜島が爆発し灰を降らせている。風向きからすると、家の方か。今日は洗濯はできない。雨続きだし洗濯物がたまっているだろうなあ。無性に主人に会いたい。事故でも起きていなければ良いがと電話をしてみる。元気そうでなにより。調子をきかれたので、相変わらずよと答えたら、それはよかった、よかった。変わらないことは良いことだよ、だって。ほんとうにそうかもね。いまの私には現状維持が一番!

 でももう嫌だ、早く家に帰りたいよう・・。


三月三十一日 水 晴れ

 今日はどうやら良い天気になりそう。桜島も半分かすんでみえる。昨夜はなんとか眠れたので頭はスッキリ。筋肉の痛みも薬のおかげで少し和らいだ感じ。

 いよいよ、あと一晩寝たら帰れる。早く家に帰りたい。もう病院はいやだ。よし昼からは一階にある美容院に行ってこよう。何もかも洗い流して帰りたい気持ち。最後の病室からの夜景。きれいだけど、もうこの景色は見たくない。


四月一日 木 晴れ

 さあ、いよいよ退院。良くなって帰れるんなら良かったんだけど、一層進行した状態。何と辛いことか。神様も仏様もいないのだ。

 久しぶりの我が家。

 病院ではあれほど安定剤のお世話になっていたのに今夜はぐっすり眠れそう。 

 やっぱり我が家はいいわ。

 

 もう一度最初のページに戻り、そして途中まで読み返しゆっくり日記を閉じた。

 母は闘っていた。

 この得体のしれぬ病魔と必死に闘おうとしていた。

 私は大切なことを見過ごしていたような気がした。

 それは、母と私たちがこの現実にたいして、同じ歩調をとっていなかったのではないかということ。

 母は焦る気持ちを必死で抑え、ゆっくりそして確実に、この変わることのない事実を認識し心に収めようとしている。

 ゴールを知らされた私たちは、頭では分っていても、結局自分のペースで、母の心に接してしまっている。

 そんな気がした。

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