10月10日 前編
ホテルから出てきた真柄さんの旦那さんとその浮気相手の女性は車に戻って上ノ木町方面へ向かっていった。わたしと明里はそれを追った。
そして今、明里の運転する車は2人を乗せた車の後を追って走っている。
ライトを消した状態で……
非常に危険な状態である。
車やバイク、自転車のライトというのは暗い道を明るく照らす以外にもうひとつの役割がある。それは、自分がここにいるということを他車、あるいは他者に伝えるというものだ。逆に言えばライトを点けるということは自分の居場所を相手にバラすということ。これは尾行する上で非常にシビアな問題となる。
ほかに車が行き交っているなら堂々とライトを点けて走ればいい。しかし、深夜のこの時間に上ノ木に向かって走る車は皆無。
だからここでライトを点けて走ってしまうと一発でこちらの存在がバレてしまう。それゆえの苦肉の策だ。
幸い大通りを通ることはなく人通りも少ない道を走っているので今のところは大丈夫。だからといって事故でも起こそうものなら言い訳できないし、警察に見つかっても言い訳できない。
明里の眼鏡の奥の瞳から集中している様子が窺える。わたしの命は明里の運転スキルにかかっていると言っても過言ではなかった。
…………
車は上ノ木町に入り、それからさらに10分ほど走行を続けてマンションの前で止まった。女性が車から降りると、旦那さんは一度クラクションを鳴らし走り去っていった。
わたしたちにとって幸運だったのはそのマンションの構造が手摺壁になっていることだった。こちら側に面して各部屋の玄関の扉が並んでいるのが丸わかりの状態になっている。つまり、先程の女性がどの部屋に入るかで住んでいる部屋番号が特定できる。
わたしはグローブボックスに入れておいたオペラグラスを取り出した。
「あっ――。八重様。来ましたよ」
「うん。見てる」
女性が現れたのは5階。エレベーターがあると思われる方向から3番目の扉に入っていった。503号室だ。
「よし。これで彼女の住んでいる場所は特定できた。次は名前の特定だ」
明里を車に残しひとり外へ、あたかも住人ですよみたいな雰囲気を出しつつマンションの中へ入る。立派な住居侵入罪だがそれはそれ。
まず最初は玄関の郵便受けのチェック――
だが、すべて部屋番号のみが書かれているだけで名前の表記はなかった。昔はここを見ればどこに誰が住んでいるか一発でわかったんだけど、最近はプライバシーとかうるさいいからしかたない。ならば直接部屋へ行って表札の確認だ。
エレベーターは他人と鉢合わせした時に逃げ隠れできないので階段を使う。一気に5階まで駆け上がり、わたしはすばやくエレベーター側から3つ目の部屋の表札をチェックする。部屋番号は503で間違いない。
そして表札には『朝倉』の文字。
どうやら浮気相手の女性は朝倉さんという名前のようだ。ただわかったのは名字だけで、名前は以前不明のまま。とりあえず今はこれで良しとして次は職場の特定。
これに関しては翌朝出かけるであろう朝倉さんを尾行するのが手っ取り早い。なので朝になるまで車内で待機することにした。
……………………
…………
「……さま、――八重様」
「むにゃあ? ……はっ!?」
わたしはいつの間にか眠っていたようだ。
「起きましたね」
そういう明里はたぶんずっと起きていたに違いない。
「ごめんね。寝ちゃってた!」
「気にしなくてもいいですよ。それより八重様。動きがありましたよ」
明里が状況を説明しながらマンションの503号室を指差す。オペラグラスを譲り受けて覗く。
そこには学生服を来た男の子と昨日の女性――朝倉さんがいた。親子だろうか、女性が男の子の頭をなでていた。朝倉さんは子持ち――
「ってことは不倫か……」
「どうでしょう? 彼は恋人かもしれませんよ?」
「え!?」
明里が真顔でありえないことを言う。髪をなでられている男の子は制服を着ているので学生だ。
「犯罪じゃん! ないない!」
手を左右に振って全力で否定すると、明里は冗談ですよと言った。でも真顔だった。
しばらくすると男の子は歩き出した。当然学校に行くんだろう。
朝倉さんは男の子を見送った後部屋の中に入っていった。その後しばらく様子を見ても誰かがその部屋から出てくることはなかった。ほかの部屋からは出勤する会社員や登校する学生たちがちらほらと動き出しているのに……
「もしかして朝倉さん会社休み? しかも旦那さんはいないのかな?」
「いわゆる母子家庭というやつでしょうか?」
「単純に夫婦ともに休みって可能性もあるけど……」
それからまたしばらく張り込みを続ける。お腹が減って、途中朝ごはんの買い出しに行ったりして、さらに張り込みを続けて、次に動きがあったのは午前10時過ぎになってからのことだった。
部屋から出てきた朝倉さんはどこかへ向かうようだった。服装は割とラフな格好だけど、化粧をして身なりを整えていることから、ふらっと買い物へ行くっていう線は薄いと見た。
すると明里から、「買い物に出かけるだけでもお化粧する女性はたくさんいますよ」と突っ込まれた。どうやらわたしの感覚は世間とズレているようだ。それはどうあれここで尾行しないという選択肢はない。確率的に言えば出勤の線が濃厚だ。
わたしと明里は尾行を開始した。
人しか入れないような道に入られたら車では追跡できないので、わたしが徒歩で明里が車での追跡をすることにした……けど、結局わたしの考えは杞憂に終わり、朝倉さんはどこか入り組んだ道を行くようなことはなくまっすぐバス停に向かい、バスが到着するとそれに乗った。行き先は上納駅前。
当然わたしもそのバスに乗る。
明里の運転する車がちゃんとバスを追いかけてきていることも確認する。
その後バスを降りた彼女は上納駅の近くにあるオフィスビルの中へと入っていった。これで職場の特定は完了かと思えたが、不運なことにそのビルには現在5つの会社が入っていた。
朝倉さんがそのビルに入っていったことは確実だけど、どの会社に務めているのかはわからない状態だった
入り口には警備員が立っている。ここ最近発生している連続殺人事件のためか眼光を鋭く光らせている。あれでは社員を装って中に入ることはおろか、周囲をうろちょろとするのも得策ではない。
「うーん……どうするか……」
もっとも単純な方法はビルから出てきた人に手当たり次第訊いて回ることだ。でもそれをしたら確実に怪しまれる。
「うーん……」
さらに考えることしばし……
「そういえば子どもが……。――もしかしてこれで行けるかも?」
わたしは妙案を思いついた。すぐ近くの道路脇で停車している明里のところに行き、一度事務所に戻ることを告げた。
…………
事務所に戻るとわたしは自分の考えを明里に説明した。
「つまり、朝倉さんの部屋から出てきた少年から朝倉さんに関する詳しい情報を聞き出すということですか?」
「そう言うこと」
ただし、これに関してもいきなり声を掛けて親の情報を教えろと言ったところで怪しまれるのは目に見えている。つまりビルから出てきた人に訊くってのと何も変わっていないということになる。
そこでわたしが着目したのが朝倉さんの家から出てきた男の子が着ていた制服だ。あの制服は上ノ木高校の制服で、だったら同じ学校に通う生徒に質問させてみたらどうなるか、ということを思いついたのだ。その同じ学校に通う生徒っていうのは真理絵ちゃんだ。
「犬塚さんは万葉学園に通っていたはずですが……」
事情を知らない明里に、先日街でばったり真理絵ちゃんに会ったことを教えると、「なるほどそんなことが」と納得する。
問題なのは、わたしが真理絵ちゃんの連絡先を知らないということ。こんなことならあのとき連絡先を交換しておくんだったと後悔する。
――でも方法がないわけじゃないんだよね。
その方法は明里の協力が必要不可欠で、問題は明里がまだアレを持っているかどうかにかかっている。
「あのね、明里――」
わたしは申し訳なさそうに明里にそれを確認し、協力をお願いするのだった。




