10月7日
その日の昼に依頼人である真柄さんに一度事務所に来てもらえないかと連絡を入れると、すぐに行きますとの返事が返ってきた。そして彼女は本当にすぐ事務所にやってきた。
わたしはテーブルを挟んで座る真柄さんにこの2日間で撮影した写真を手渡した。そこには、ファミレスでの写真と歓楽街での写真が複数収められている。
「なるほど、そうですか……あの人が……」
真柄さんは、特にショックを受けている感じはなく、やっぱりそうだったんだ……みたいな諦念を吐露しすぐに納得した。
わたしのところに依頼に来る女性の中には浮気が発覚すると、ヒステリックに喚き散らすとか、泣き崩れたりとかする人がたまにいる。そういうときものすごく対処に困るんだけど、そうならなくてよかったと一安心。
「これで、真柄さんの予想通り浮気は確定ですね。でも、わたしも驚いてます」
「何かあったんでしょうか?」
わたしの言い方が悪かったのか真柄さんは神妙な面持ちで訊ねてくる。
いえいえと両手を振って、
「別に大したことじゃなくて、こんなに簡単に尻尾をつかませてくれるなんて珍しいなって思ったんですよ」
「そう……なんですか?」
「はい。大体の場合、自分に後ろめたい部分がある人はもっとまわりを警戒したりするんです。でもあなたの旦那さんにはそういった様子が見受けられませんでした。――仮にも旦那さんは副市長じゃないですか? 芸能人ほどではないにしろ顔が知れている自覚はあるはず。なら普通の人よりより警戒を強めると思うんですよね」
立場的に浮気が発覚すればそれなりにスキャンダルになる。そうなれば市長を始めとした役員の人たちにも迷惑がかかるだろう。にもかかわらず、彼からは警戒心のようなものがまったく感じられなかった。
あまりに警戒心がなさすぎて一緒に食事をしている女性が本当にただの仕事仲間かと思ったくらいだ。もしかして堂々としていれば逆に疑われないとでも考えていたのかもしれないが、一緒にホテルに入っていく姿を晒したことでその線は消えたわけだ。
「ちなみにこの写真はいつ撮ったんですか?」
旦那さんと浮気相手の女性が一緒に食事をしている写真をテーブルに置いて指差す。
「えっと……金曜日の夜の8時頃だったかと……」
「そうですか。ところで、相手の女性がどこの誰なのかわかりましたか?」
「え!? それって……」
わたしが依頼された内容は旦那さんが浮気をしているかどうかだけで、相手の素性を調べてくれとは言われていない。
「そう言えば頼んでいませんでしたっけ? では引き続き調査をお願いしてよろしいでしょうか? 必ず相手の女性の情報を入手してください! それと、できれば相手の職場も調べてください!」
先程までの冷静な態度と打って変わって真柄さんは鬼気迫る表情で言う。
「は、はい。もちろんです!」
わたしは圧倒されて反射的に返事をしてしまう。
真柄さんという人がよくわからなくなる。さっきの今で彼女にどんな心境の変化があったのかわからない。
「えっと、それでは……契約内容を更新しますね」
「はい、構いません。どうかよろしくおねがいします」
真柄さんはソファに座ったまま頭を下げた。
…………
その日の夜――
激しい雷雨の音を背景にわたしは真柄さんの事を考えていた。なんとなく妙な違和感みたいなものを感じていたからだ。
不倫相手を訴えようとした場合、相手の情報が何もわからなければ訴えることはできない。そのため、相手の情報を入手するために探偵に依頼をするってのはよくある話だ。これまでもそういった依頼を受けたことは1度や2度ではない。
「けど……」
真柄さんは旦那さんの浮気が明らかになったことに対してよりも、相手の女性の情報を入手することに対して感情を剥き出しにしていた。
女性は浮気されるとその怒りはパートナーではなく浮気相手の女性に行く傾向にあるっていう話は耳にするけど、真柄さんのそれはなんか違うような気がした。
それに、多少なりとも旦那さんに対する怒りがあってもいい気がするんだけど……
「わたしが間違ってるのかな?」
わたし自身浮気された経験なんてない――というか男の人と付き合ったことがない――から実際にそういう状況になってみないとわからないけど、自分だったら絶対浮気相手よりも恋人に対する怒りが勝る気がする。
「相手を信頼していれば信頼しているほど裏切られたって気持ちは大きくなるはずなんだよね……」
少なくとも真柄さんに関しては、わたしに依頼してきたとき『主人に限ってそんなことはないと思うんですが』と言っていた。それってつまり、旦那さんを信じている、あるいは信じていた――ってことだ。
そしてもうひとつ気になるのはなぜ相手の職場を知りたがったのかだ。昼間は真柄さんの勢いに圧倒されてそこまで考える余裕をなくしていたけど、冷静になって考えてみればこれはおかしなことだ。
浮気相手を訴えるなら相手の住所を特定するだけで十分。わたしはそこまで法律に詳しくはないが、たしか相手の住んでいる場所を特定できなかった場合のみ相手の職場に訴状を送ることが許されていたはずで、そうでない場合は原則的に居住宅にしか送っちゃいけなかったはずだ。つまり、相手の自宅を特定できさえすれば職場を特定する必要はない。
まぁ、真柄さんがそのことを知らないって可能性もあるけど。
「わたしがちゃんと伝えないといけなかったんだよね、きっと――」
そのとき外で一際大きな雷の音が鳴った。事務所全体がガタガタと揺れるような地響きにも似た轟雷。
窓の外に目を向ける。
闇の中にぽつぽつと街の明かりが見え、それが窓の雨粒で滲んで見える。
その光景を見てあの日のことを思い出す。
――明里がここに住む切っ掛けになった日もこんな激しい雨の日だった。
あれからもう3年――
わたしはここに来る前の明里のことをほとんど知らない。これまで訊ねる機会なんていくらでもあったけど敢えてそれをしなかった。
興味が無いわけじゃない。
それは明里にあの事件のことを思い出させたくないからだ……
明里と一緒に住むようになってからこなせる依頼の量や種類が飛躍的に向上した。そのおかげで今こうして2人で生活できている。彼女の存在がなかった頃はかなりカツカツだったことを思い出す。
「感謝してもしきれない」
わたしの呟きは再び鳴った雷の音にかき消された。




