10月6日
その日朝一でレンタカーを借りてきた。ペーパードライバーなので慣らし運転でもしておこうかなと思っていたところで、明里から自分が運転するとの申し出があった。
「え!? でも、そっちの仕事は大丈夫なの?」
「はい。ハッキングに関してはまだまだ準備の段階ですから。そんなにすることもないですし」
久しぶりの車で事故を起こしでもしたら仕事どころじゃないから、こっちとしては非常にありがたい申し出ではあった。明里は明里で初心者マークが取れたばかりだけど、長年ペーパーのわたしより遥かにましだろう。
……ってなわけで、車が必要なときは明里の力を借りることにした。
――――
お昼になって、依頼人の真柄さんから事務所に電話があった。その内容は、今日の夜旦那さんが会合に出かけるというものだった。副市長ともなれば会合の1つや2つ珍しくないんじゃないかと思ったんだけど、今日はなんだかいつもと様子が違うのだと……
どうやら、真柄さんは旦那さんに対して相当疑心暗鬼になっているみたいだ。うちに依頼に来たときはそこまでじゃなかったのに、昨日の今日でなにか心境の変化でもあったのだろうか。
こちらとしても彼女の話を無碍に扱うことはできないので、調べてみますと返事をして電話を切った。
…………
夕方になり早速明里の出番となった。必要なものを用意して、2人で車に乗り込み、契約書に書かれている住所を頼りに真柄さんの家に向かった。
高級住宅街にあるその家は車でならこの事務所からそう時間はかからない。おそらく15分弱。
そして目的地に到着。少し距離をとったところに車を止めて旦那さんが出かけるのを待った。
真柄さん宅から車が出てきたのは、夜の6時を過ぎた頃だった。その車の後を追うように明里が車を発進させる。旦那さんの運転する車は駅前のコインパーキングで止まった。車を降りてどこかへ向かうようだ。見失わないように細心の注意をはらいつつ、こっちも少し離れた場所に車を止める。
それから明里と2人で徒歩で追跡すると、彼がたどり着いた場所は昨日と同じあのファミレスだった。しかも、昨日と同じ窓際の席に座った。
「えぇ?」
その席にはこれまた昨日と同じ女性が先に座っていたのだ。構図的には昨日の夜と何もかも同じ。
――2日連続で夕食なんてあり得るの?
けど、旦那さんは会合と言っていたらしいから、2人は仕事の話をしている可能性だってある。その場合もうちょっと場所を選べって話だけど。まぁ、庶民派アピールの一環と捉えられなくもない。
食事を終えた2人は店を出ると、連れ立って旦那さんの車が止めてある場所へと向かう。
昨日は店を出てすぐに別れたのに今回は違うようだ。2人は車に乗って別の場所へと向かうので、当然わたしたちはその後を追った。
彼は一体どこへ向かうのか……
車が止まった場所は歓楽街近くのコインパーキングだった。2人は車を降りて歓楽街方面へと向かう。
「まじか……」
夜の歓楽街――男女のペアでそこに向かう理由なんてほぼひとつ。これはもうほとんど決まりのようなものだった。
「どうします? 八重様?」
「えっと――」
わたしはこれからのことを説明する。
「先に降りて尾行するから、適当なところに車止めて追いかけてきて」
運悪く、ここのパーキングはもう一杯だった。
「はい、わかりました。気をつけてくださいね」
「うん。心配しなくても平気だよ」
わたしは明里にそう告げると、カメラを首から下げて2人の尾行を開始した。
相手の女性が旦那さんにに寄り添うようにして歩いている。それくらいじゃ浮気にならないって人もいるだろうけど、わたし的にはアウトだ。2人にカメラを向けてシャッターボタンを押した。
2人は歓楽街ヘ入る。わたしはそれを追いかける。
夜の歓楽街はとても賑わっていた。
――そう言えば……今日の昼頃ここで遺体が見つかったんだっけ……
だけど、どう見ても数時間前ここで遺体が発見されたとは思えないほどの賑わいっぷり。ある種の現実逃避か、はたまた所詮は他人事か……
最近上納市内で起きている連続殺人事件はわたしも気になっている。けど今は目の前の仕事に集中だ。
きらびやかな電飾の付いた店が立ち並ぶ道を進んでいく。派手な女性と歩く男の人や、サラリーマンの一団とすれ違いながら、ターゲットを見失わないように追いかける。
肌をギリギリまで露出させた女の人の写真が飾られている店とか、世間一般に言うカッコイイ系の男の人がいる店とかが並ぶ光景に居心地の悪さを感じながらメインストリートを歩く。
この場所には過去に何度か仕事で来たことがあるけど、わたしはこういう場所が本当に苦手だ。仕事のときは仕方ないと割り切って入るけど、そうじゃなかったら絶対に近づきたくない。
そしてこういうところが、わたしが探偵に向いてないんだなって自覚する理由のひとつだ。だけど、自分の目的を果たすまではこの仕事を続けるつもりだ。
「あ……」
2人がホテルの中に入っていく。ホテルって言っても宿泊することが主目的のホテルじゃない。わたしは慌ててカメラを構えシャッターを切る。決定的瞬間を収めた。浮気確定の瞬間である。
――なんで奥さんがいるのにほかの女の人のとこに行くんだろ? 男の人ってそんなもんなの?
「って、余計なこと考えてないで仕事仕事」
と言っても、今できることは取り敢えず終わりだ。後は2人がホテルから出てくるところを収めるだけ。それまではここで待機だ。
とりあえず明里に連絡して――
「あれ? お姉ちゃんこんなとこで何してんの?」
「ん?」
顔を上げると、目の前に酒に酔って顔を赤くしたバーコードみたいな頭のおじさんがいた。首を左右に振って周囲を確認するも、ここにはわたししかいない。ということはわたしに話しかけてるってことだ。
酔っ払いに絡まれるとかツイてなさすぎる……
「えっと、今忙しいんで話しかけないでください」
「忙しい? でも君、たちんぼでしょ? だったらおじさん買うよ。いやぁ、最近おじさんツイてなくてさぁ!」
なぜかおじさんはわたしの肩に腕を回しホテルに向かって歩きだそうとする。
「え? ええ!? ちょと!? なんで!?」
わたしの背が低いために、体重をかけるようにして寄りかかられると、おじさんから逃れることがっできなくなる。
――ってか、たちんぼって……そりゃ、端から見れば突っ立ってたように見えるかもしれないけど、それがどうして一緒にホテルに行く理由になるの!?
「そんなこと言っちゃってぇ、おじさん知ってるよ? ずっとホテルの方見てたでしょ? 欲求不満なんでしょ?」
確かに見てたけども。それは仕事だ。相当お酒を飲んでいるのか、しゃべるたびに掛かる息がものすごくアルコール臭かった。
「ってか君、結構イイもの持ってるね? それ本物? 確かめてみてもいい、いい?」
おじさんはカメラに興味でもあるのだろうか、わたしが首に下げたカメラに視線を向ける。
「このカメラはそんなに大したものじゃな――うひゃっ!?」
おじさんがいきなりコートの中に手を入れてきて、わたしの胸に触れた。
そしてその手にぐっと力が……
な、ななな――!?
「ぎいいぃぃぃやああああぁぁっぁぁぁ!!!!!」
わたしの怪獣みたいな叫び声が歓楽街に響き渡る。わたしは咄嗟におじさんの手を抜き取ってそのまま地面に突き飛ばしていた。
――やればできるじゃんわたし。
わたしは武闘派ではないがやろうと思えばできるものだ。
それにしても、さっきおじさんが言ってたのはカメラのことじゃなくて胸のことだったみたいだ。自分の警戒心のなさを反省する。
「いきなり何するんだ!?」
「それはこっちのセリフでしょ!!」
最悪な気分だ……知らないおじさんに胸を触られるとかショックがでっかすぎだ!
わたしの叫び声を聞きつけた人たちがわらわらと周囲を囲むように集まりだす。
「こ、この女が! 急に俺を突き飛ばしたんだ!」
尻餅をつくおじさんがわたしを指差し被害者づらをはじめた。
何も言わなかったら一方的に悪者になってしまうと思ったわたしはすかさず言い返す。
「そ、そっちが先にわたしのむ、むー……、体に触ったんでしょ!?」
これだけの注目を浴びている中で胸という言葉を言うのが恥ずかしくて体と言い換えた。だって胸を触られたなんて言ったらみんなわたしの胸に注目するに決まってるから。
「いいや。触ってない。俺は触ってないぞ!!」
わたしとおじさんの言い争いが続く中、人の輪を掻い潜るようにしてひとりの男性が出てきた。
「悲鳴が聞こえたんですけど、何があったんですか?」
「なんだお前は! お前には関係ないだろう!」
おじさんが怒りを露わにする。しかし、男性の方はそれを意に返すこともなくスーツのポケットから手帳を取り出して、それをわたしとおじさんに向かって交互に見せる。
――けっ、警察!?
驚いたけど、この歓楽街で遺体が発見されたばかりなんだから、警察が捜査をしていてもおかしくはない。
手帳を見た瞬間おじさんの態度が急変する。
「そ、そいつが俺を突き飛ばしたんだ。これは傷害事件だ! 今すぐ逮捕してくれ!」
「んなっ――違うでしょ! そっちが先に変なことしてきたんでしょうが!」
「つまり、変なことをされたから突き飛ばしたってことですか?」
刑事さんが訊ねた相手はおじさんではなくわたしだった。尻餅をついているおじさんは見るからに酔っているとわかる状況だ。きっとわたしの方がまともに話ができると思ったんだろう。
「はい、そうです……」
「ちなみにその変なことってうのは?」
「え……えっと、それは……」
胸を揉まれた――なんて、恥ずかしくて言えるわけがない!
自分の無罪を証明するため、堂々と発言すれば恥ずかしいことでも何でもないはずなのに、一度意識してしまうともうダメだった……。羞恥で自分の顔が赤くなるのがわかる。
刑事さんのわたしを見る目が疑念に変わる。そりゃそうだ、この状況で何も言わなかったらわたしの方が怪しまれるに決まっている。
「騙されるな! その女は嘘つきだだから何も言えないんだよ!」
「違う! 先に変なことしてきたのは事実です!」
それだけを言うので精一杯だった。
刑事さんは少しだけ考えを巡らせ――
「2人の言い分はわかりました。幸いにも、どちらの言い分が正しいかを証明することができるので確認しましょうか?」と言い出した。
一体どうやって……?
すると刑事さんはすぐ近くの鉄柱の上方を指さす。その先にあったのは監視カメラだった。
「――おっと、急に用事を思い出したぞ」
おじさんが急に立上った。
そして、若干怪しい足取りで人垣の向こうへと消えていった。それを見て、刑事さんは得心がいったという風な表情になった。どうやらわたしの方が正しいとわかってくれたみたいだ。
諍いが解決したと知って、集まっていた人たちが散っていく。刑事さんが真剣な顔でこちらに向き直る。
「いいですか? 今回はたまたま事がうまく運んだに過ぎません。見たところ一人のようですし、ここがどういうところか知らないような歳でもないでしょう? トラブルに巻き込まれたくなかったらすぐにここを立ち去ることを勧めます」
まぁ、その言い分は理解できる。けどわたしはまだ仕事の途中なのではいわかりましたとはいかない。
もう話は終わりかなと思ったら、刑事さんがわたしを凝視しているのに気がついた。いやらしい目つきというわけではない。観察眼を働かせているような感じだった。
もの凄く怪しまれてる……
けど、それも少しの間のことで、突然ハッとなにか気付いたようにして、「それじゃあ自分はこれで」と走って去っていった。
これにて一件落着……
「はあ……」
深いため息。確かに事は収まったけど、知らないおじさんに胸を触られたという事実はなくならないわけで……
「思い出したら悲しくなってきた……さっさと忘れないと……」
わたしは嫌な記憶をかき消すように頭を振った。
「八重様?」
そこに自分を呼ぶ声が聞こえてくる。凛として透き通った声。
「あ……明里」
明里がわたしの方に近づいてくる。
相変わらずの無表情で、メガネの奥の瞳にわたしを捉えている。その顔を見たらもの凄く安心してしまった。
「あーかーりー」
わたしは彼女の胸に飛び込む。
明里は何も言わずにわたしを抱きしめてくれた。わたしも負けじと抱き返す。普段は絶対にそんなことしないのにこのときばかりは彼女に安らぎを求めた。
思いっきり息を吸って明里のつけている香水の香りをこれでもかってくらい肺に貯め込む。
――はぁ、落ち着く。
明里が優しくわたしの頭をなでながら、
「大丈夫ですよ八重様。悪は退治しておきましたから」
突然わけのわからないことを言い出した。
「ふえぇ?」
明里の顔を見上げるとやはりいつものように真顔だった。けど、ほんのちょっぴり優しく微笑みかけてくれているような、そんな気がした……




