10月1日
学校の授業が午前で終わり、一度家に帰った僕は着替えを済ませてからカムライ教に足を運ぶ。いつもは休みの日にカムライ教に足を運ぶぐらいで、余程のことがない限り平日にそこへ行くことはない。ただ、今日のように午前で授業が終わった日などは別。
自分の家からカムライ教までは同じ上ノ木町にあっても徒歩だとそれなりに時間がかかるので、今日はバスを使って行くことにした。都会と違ってそんなに本数は多くないので、時間が合わないときなどは自転車を使う。
今は昼時ということもあってタイミングよくバスにのることができた。カムライ教の最寄りのバス停で降り、そこから徒歩で約5分。坂を登ればカムライ教の建物が見えてくる。裏口に回り、直接事務所へ繋がる扉を開けた。
「おや? 珍しいですね、坊っちゃん」
幹部の葛西さんが出迎えてくれる。
「今日は学校が午前だけで終わったんですよ。それとその坊っちゃんって言うのやめてくれませんか?」
「でも、坊っちゃんは坊っちゃんですし、ほかに人がいないときくらいいいじゃないですか」
葛西さんに向かって肩を竦めてみせ自分のデスクに着いた。幹部の仕事は葛西さんがたったひとりでこなしている。僕の仕事はそんな彼をサポートすることだ。ここで手伝いを始めた頃に比べれば任される仕事の量は増えているとはいえ所詮手伝いは手伝い。
本格的に仕事を任せてもらえるようになるのはおそらく高校を卒業してからだろう。
母が亡くなったあと、既に幹部を去った2人のように僕もここに通うことをやめるという選択肢もあるにはあった。けどそうしなかった。
その理由は、母が亡くなる前に僕に言った『杏珠を支えてほしい』という言葉によるものが大きい。生前の母は僕と杏珠をくっつけたがっているフシがあった。
たしかに将来杏珠と結婚することで僕が堂々とカムライ教に出入りできる口実を作り上げることができる。でもそういう理由で将来の相手を決めるのは違うと思う。
「あ、そういえば坊っちゃんに渡すものがあるんでした」
唐突にそんな事を言いだした葛西さんが自分のデスクの鍵のかかった引き出しを開けはじめる。
ちなみに、葛西さんが僕を坊っちゃんと呼ぶのは僕が前教祖杏奈の息子だからだ。当たり前だが、ほかに人がいるときは僕のことを坊っちゃんとは呼ばない。一般には杏奈の子どもは杏珠となっているので、僕が実の息子であることを気づかれないためだ。
「これなんですけどね」と、取り出したのはノートパソコンだった。「10月1日になったらこれを坊っちゃんに渡してくれと生前に杏奈さんから頼まれていたんですよ」
「母からですか?」
少なくとも僕は事務所で母がノートパソコンを広げているところを一度も見たことがない。つまり私用。家で使っていたものということになる。
「家に帰ってからでも、中を確認したらどうです?」
葛西さんからそれを受け取った僕は母の意図を測りかねて首をひねった。
…………
家に帰って自室に向かい、早速葛西さんから預かったノートパソコンを立ち上げてみることにした。パスワードの要求はなくすぐにデスクトップ画面が表示される。黒一色の背景に、マイコン、ゴミ箱、メールアイコンだけが表示されている。シンプルすぎるほどシンプルな画面。
母は幹部とのやり取りや信者の相談事などにメールを使っていた事を思い出す。表示されているメールソフトのアイコンはそのときの名残だろう。
――母が僕にこれを託したということは……
「別に見ても構わないってことなんですよね……」
メールソフトを起動すると、受信したメールが細かくフォルダ分けされていた。几帳面だった母らしいと思った。フォルダのタイトルを順に確認していくと、気になる文字が目についた。
「これって……」
フォルダに付けられた名前は『divination of the spirit』。
この言葉は母が行っていた予言を意味する言葉だ。信者たちの前では一度としてこの言葉を口にしたことはないが、僕や杏珠を含め幹部たちの前では度々この言葉を口にしていた。誘われるようにして、僕はそのフォルダを開いていた。
すると、その中にはたくさんのメールが並んでいた。日付の古い順に並ぶメールの先頭は今から約7年前のもので、すべてのメールの件名が『divination of the spirit』で統一されているのがすごく奇妙に見えた。ざっとスクロールして一番下まで行っても別のタイトルが付けられたものはない。
試しに適当なひとつを開いてみる。そのメールに書かれていた内容には覚えがあった。生前母が予言と称して信者たちの前で発表していたものだった。
さらに適当に選んで開く、もひとつおまけに……と適当に開いてみてもやはり内容は予言であった。
――まあ、フォルダ名が『divination of the spirit』となっているのだから当然といえば当然ですよね。
「でも……そういうことだったんですね……」
これが母の予言の正体。母は自分のもとに送られてきたメールの内容をみんなの前で諳んじていたに過ぎなかったというわけだ。
――そしてそれを幹部の方たちが実行していたというわけですか……
当時、母が予言したことを母に内緒で幹部たちが再現していた。ただ、いくらなんでもそのすべてを再現することはできない。特に天変地異や人の生死についてまでは。
だから的中率が百パーセントになることはなかった。それでも8割程度はあったはずで、それだけでももの凄いことだ。信者たちを虜にするには十分すぎる数字。
けれど……それは母自身が考えた言葉ではなく、どこかの誰かが考えた人間の言葉だった……
――そう考えると複雑な気持ちになりますね。
「母は最後にこれを伝えたかった……というわけですか」
イスの背もたれに体をあずけ、目頭を指で抑える。
「んん……はぁ……」
体を伸ばして深く息を吐く。
――ん……待ってくださいよ?
そのとき、僕はおかしなことに気がついた。背もたれにあずけていた体を戻してもう一度パソコンに向かう。そして、さっきのフォルダ内にある一番下、つまり受信日が一番新しいメールを開いた。そこに書かれていた内容は、母の最後の予言――母の死に関する内容だった。
「…………」
頭の中で情報を整理し、ひとつの答えに辿り着く。
「このメールを受け取らなければ母は死ななかったということになりませんか?」
母は信者たちの前で自らの命日を予言して本当にその日に亡くなった。
死因は病死だった。でもそれはただの病死ではない。母の病気は手術をすれば絶対に治ると言われていた病気だった。しかし母はその手術を蹴って自ら死を選んだのだ。
当時、僕は納得がいかなかった。そんなにも予言の方が大事なのかと思わずにはいられなかった。
それでも僕は、これが母の矜持なのだと……自分の予言を守るために自らをも犠牲にしたのだと……そう思って無理やり自分を納得させた。
――だが実際はどうですか?
それは母の言葉などではなく単なるメールだった。つまるところ、母はこのメールの送り主に殺されたと言い換えることができるのではないだろうか。
あのときの母は、死ぬことが必然で、そうしなければならないといったようなある種の強迫観念にとらわれていたのではないか。
母自身がこのメールを信じすぎていた、あるいは本当にこのメールが神から送られてきていると錯覚していた。相手が神であろうと人であろうと、母はこのメールの送り主に殺されたも同然で、それは揺るぐことのない事実だ。
その事実は僕の心に負の感情を芽生えさせた。普段他人に腹を立てることなどほとんどない僕が、このときばかりはメールの送り主に対して怒りの感情を抱かずにはいられなかった。




