10月4日 後編
頭がクラクラする。視界ぼやけて、私は、自分が今どこにいて何をしているのか理解できないでいた。かろうじてわかるのはどこかに向かって歩いているということだけ。
でも、どこに――
わからない……
「……したのー?」
誰かが私に声を掛けてくる。女の子の声。目の前に誰かがいる。だけど視界はぼやけてたままで判然としない。
「も……して、――なのー?」
なおも私に声を掛けてくる女の子。言語は理解できる。けど、うまく聞き取れない。ただ、間延びしたような喋り方が気に障る。
「ご……ねぇ……」
目の前の女の子が視界から消えた。
瞬間――
私の意識は途切れた。
…………
意識を取り戻すと、私は保健室のベッドで寝ていた。
「あー、起きたー!」
私のことを覗き込んでいる生徒がいた。ショートツインのちょっと幼い感じの女の子で、見かけない生徒だった。
「だ、れ?」
上半身を起こすと、高熱が出たときみたいに脳が揺れているような感覚が襲う。
「あたしは真理絵だよ」
真理絵……別に名前を聞いたわけじゃなかったけど、その名前を聞いて、彼女が隣のクラスに転校してきた女の子だとわかった。
それで納得がいった。
この学校で私のことを知っている人間は私に構おうなどとは思わない。転校生だから私が置かれている状況を知らない。だから普通に話かけてきたってことだ。
「誰が私をここに運んでくれたの? 保健の先生?」
「あたしが運んだー。先生はいないから勝手にベッド使ったー」
「あなたが……運んだ?」
真理絵さんが「うん!」と元気よくうなずくとツインテールが一緒になってぴょこんと跳ねる。
とても変わった子のようだ。
見た目は細く力があるようにはとても思えない。袖から僅かに見える腕だって筋肉があるようには見えないし。そんな真理絵さんが私を運んだって言われてもとても信じられない。
「もしかしてー、いじめられてたの?」
真理絵さんが芯を抉る。
「な、んで……」
鋭い質問に面食らう。
「あー、やっぱりー? だって、ほっぺた赤いし、服も濡れてからそうじゃないかなーって……思って。あ、でも水遊びなのー?」
たしかに私の服は湿っていた。それから自分の頬に手を当てる。痛みはない。だけど、赤いって言うからには赤いんだろう。
「あのねー、いじめられたときは反撃したほうがいいよー」
「…………」
真理絵さんは、まるで私が一方的にやられていることを知っているみたいに話す。
実際そうだけど……
更衣室での光景を思い出す。無理やり変なクスリを飲まされた。今のところ、体になにか変調をきたした様子はない。
――あのクスリ、何だったんだろう?
「反撃したらねー、いじめられなくなるよー」
私が何も言わずにいると、真理絵さんはああした方がいいとか、こうした方がいいとか説教みたいなことを言い出す。加えて彼女の間延びした変な喋り方が私をイラつかせる。
「……さい」
「うん?」
首をかしげる真理絵さん。そのぶりっこしたみたいな仕草がさらに私をイラつかせた。
「うるさいって言ったの!! いちいち言われなくったってわかってる!! だけど、それができないからいじめられてるに決まってんでしょ!! 人の気も知らないで、勝手なこと言わないで!!」
彼女に言っても意味ないことくらいわかってた。でも、一度堰を切ったら、これまでの鬱憤を晴らすみたいに怒涛のごとくぶちまけてしまっていた。
大声を出すと、脳が揺れ頭痛がする。でも、止められない。
「私だってこのままじゃダメだってわかってる! 何とかしなきゃって……けど、できないんだよ!! 私弱いんだよ!! 先生に言ったけど助けてくれなかった! 偉い人の娘だから我慢しろって――意味わかんないよっ!!」
涙を流しながら訴えた。訴えても意味がない相手に……
「ご、ごめんだよー」
真理絵さんが親に怒られた子どもみたいにシュンとする。その姿を見て、私は少し落ち着きを取り戻す。
「私だって……やれるもんならやってるよ……」
吐き捨てた。そう、私にだって、戦える力があれば、状況を改善できるはずだ。
「ヤるー? コロスのー?」
「はあ? あなた何言って――」
「でも、それが一番早いと思うよー」
真理絵さんは笑顔でそう言った。
「ちょっと……」
「あ――!」
真理絵さんがなにかに気付いたように驚く。
「あたしおしっこだったー。教室戻らないと先生におこられちゃうよー!」
彼女は保健室から駆け足で出ていった。
授業中……?
保健室の時計を見ると、五限目が始まってから30分が経過していた。
――サボっちゃったんだ、私。
「ま、いいか……」
まだちょっと頭が痛かったけど我慢出来ないほどじゃない。ベッドから抜け出し、私も自分の教室に戻ることにした。
…………
教室の様子を見て、五限目が体育だということを思い出す。当然教室は無人。途中からでも授業に参加した方がいいかもしれないと思い、着替えるために更衣室に向かうことにする。
こんなときでも真面目に授業に出ようとする自分がちょっと嫌になる。サボったってバチは当たらないはずなのに……
――だって、このクラスにとって私はいない人なんだから……
教室を出ようとしたところで、ブーンという機械が振動するような音が聞こえてくる。
「携帯のバイブ音……?」
普段騒がしい教室なら気が付かないであろう音。しかし、無人で静寂に包まれた教室において、それはより鮮明に聞こえていた。音のする場所は。
「あ、」
彼の席からだった。
朝倉くん――将来私と結婚することになる人……
まるで誘われるようにして彼の席へ移動する。振動音はしばらくして止まった。振動の感覚からいくと、着信ではなくメールのように思える。
「メール……」
今朝の光景を思い出す。彼が「次に死ぬ人の名前がメールが送られてくる」みたいなことを話していた。私は彼の話をちゃんと聞いていた。だから間違いない。
悪いと思いつつ朝倉くんのカバンから携帯電話を取り出していた。スマホじゃないことにちょっとだけ驚いて、携帯電話を開いてもいいのかどうか迷う。
――ううん。これは全然悪いことじゃない! だって将来の旦那様の携帯だもん!
私は携帯もスマホも持ってないけど、操作の仕方は理解できた。携帯を開く。暗証番号の入力の必要はなし。届いていたメールを開いた。アドレスは意味をなさない英数字の羅列。ただしドメイン名は見たことある。
件名には『divination of the spirit』。本文は『鳩場詩愛』。
――つまりこの鳩場詩愛という人物が殺される、ってことかな?
「うッ……」
ズキリと頭が痛んだ。それと同時に脳がコンピュターみたいに高速処理をはじめる。まるで自分の脳じゃないみたいに。やがてその痛みが収まると、私の頭にある考えが浮かんでいた。
――もしかしてこれなら!
自分の席からノートを持ってきて、送られてきたメールのドメイン名と件名、それから朝倉くんのメールアドレスをメモした。
携帯を朝倉くんのカバンに戻して、教室を出て更衣室に向かう。更衣室の扉にカギは掛かっていなかった。本来なら、級長が最後に鍵をかけることになっているはずだけど、私があんなことになってたせいで鍵が閉められなかったようだ。
私は放り投げられたままになってる体操着入れを回収し、更衣室を出て――
「ん?」
行こうとしたところで私の足が何かを蹴った。視線を落とすと床に薬の入ったブリスタが落ちているのを見つけた。まだ中身が残っていた。
戸浪さんたちがこれを回収したらまた無理やり飲まされるかもしれない。私はブリスタを拾いポケットに入れ更衣室を出た。そしてそのまま学校の外へ飛び出す。学校の裏門から外に出るのと同時に五限目終了を告げるチャイムが鳴った。
…………
その夜。私は作戦の第一段階を決行した。
まずはメモしておいたドメイン名をパソコンを使ってネット検索する。すると出てきたのはビューティープロテクト、通称BP社のページ。
サイトで適当なアカウントを作成して、メール作成画面に移動し宛先に朝倉くんのメールアドレスを入力した。次に件名に文字を入力する。
「divineition of the spiritっと……」
最後に本文。
ここに書く名前は決まっている。
――戸浪玲香――
その名前を入力して……送信ボタンを押した――
証拠を残さないように使用したアカウントはすぐに削除する。
「フフフ……」
自然と笑みがこぼれた。これで第一段階は終了。
あとは、この“予言”を実行に移すだけだ……




