10月14日 後編
磯山茂の家の玄関には鍵がかかっていなかった。先輩が勢いよく引き戸を開けると、そこには見るも無残な光景が広がっていた。
磯山茂さんと思われる男性は血溜まりの中に倒れていた。その直ぐ側には女性の遺体。それから、廊下を少し進んだところには首と胴を切断されたクマのぬいぐるみが転がっているのが見えた。
すぐに鑑識が入ることになり、磯山家は封鎖され、近隣住民たちが騒然となった。
鑑識が終わるまで家の外で待たされることとなった自分と先輩は手持ち無沙汰になっていた。そんなとき先輩がポケットから携帯電話取り出した。
「どうかしたんですか?」
「ん? ああ、メールだ……」
そう言いながら先輩はメールをチェックルする。これまで先輩が仕事中に私用のメールをチェックしているところは見たことがない。
ともすればそれは朝倉勇の――
「こいつは……」
先輩が口を開けたまま固まっていた。
横からそれを覗き込むと、思ったとおりそれは例のメールで、本文には『日高孝』と書かれていた。
「え……ええ!?」
驚きを隠せなかった。日高孝といえば今日未明まで事情聴取をしていたばかりだ。今はもう解放しておりその所在は不明である。
「くそっ! なんでこのタイミングで!」
先輩が頭を掻きむしる。
「落ち着いてください先輩! 自分たちは彼の自宅を知ってるじゃないですか! もしかしたら家に帰っているかもしれないし、いなくても父親がいる可能性はありますよね? 彼の家はちょうどこの近くですから行ってみる価値はありますよ!」
そう言うと先輩は落ち着いたようで「そうだな」と頷いた。こうして、現場はほかの人間に任せ、自分と先輩は日高孝の家へと向かった。
…………
先輩が急いたように家のチャイムを鳴らす。インターフォン越しに聞こえてきたのは日高孝の父親だった。少なくとも誰も家にいないという最悪の状況にはならなかった。
「おい! あんたの息子がピンチなんだ! どこにいるか知ってるか!?」
先輩がインターフォンに向かって怒鳴る。
こちらのただならぬ雰囲気を察したのか、ちょっと待ってくださいと返事がきて、しばらくすると玄関の扉が開いた。
父親が顔を覗かせるなり先輩がつかみかからん勢いで詰め寄る。
「日高孝はどこにいる!?」
彼は先輩の勢いに退けぞりながらも、家にはいないと答えを返す。そして、
「何をそんなに慌ててるんですか? 息子に何があるというんです?」
事情を知らない人間にしてみればもっともな意見だ。
先輩は徐々に落ち着きを取り戻しながら、事の経緯を説明した。ただ、日高孝が殺されるかもしれないというのは、あくまで朝倉勇のメールが根拠になっているものでしかなく、それを話しても相手はいまいちピンときていない様子だった。
それでも子を持つ親としての心情か、息子が殺されるという言葉には敏感に反応していた。そこで彼は、息子に連絡してみると言い携帯に連絡を入れる。
「ああ、繋がった。今家に警察が――」
その瞬間、先輩が電話を奪い取った。
「おい! 日高孝だな!? 無事なんだな!?」
先輩が大声で電話に向かってしゃべる。
『怒鳴らなくても聞こえてますよ。それで、何かあったんですか?』
「いいか、よく聞け。朝倉勇の携帯にメールが届いた。そこにはお前の名前が書いてあった。これの意味は理解できるな?」
『はい。朝倉さんは犯人ではなかったんですね?』
「ああ……。で、今からお前を保護する。だから今どこにいるかを教えろ。それで、俺たちが行くま で近くの警官に助けを求めるんだ。いいな!? おい! 聞いてるか!? 返事を――」
相手からの反応がなくなり先輩が何度も呼んだ。
『大丈夫ですよ。犯人に目星はついていますから、僕が遅れを取ることは……』
そして、その言葉を最後に電話が切れた。
「先輩、まさか日高孝に何かあったんじゃ!?」
「くそっ!」
先輩が電話を乱暴に扱いそうになり自分がそれを慌てて止めた。
「あの、うちの息子は大丈夫なんですよね?」
日高父が心配そうに訊ねてくる。しかし、自分たちはその質問に何も答えることができなかった。
「刑事さん。なんとか言――」
突然先輩の携帯の着信音がなる。
「誰からですか?」
「課長からだ」
先輩が携帯の画面を見て渋い顔を作る。先輩はなんとなく察しがついたのだろう。それは自分も同様だった。でも、電話に出ないという選択肢はない。
先輩が通話ボタンを押した。
『やっと繋がったか。まったく、どういうつもりだい?』
課長の呆れたような声が届く。少なくとも怒っているという感じはしない。
『磯山邸の捜査を投げ出してどこほっつき歩いてるんだい?』
やはりそのことだった。捜査を勝手に中断しての独断専行。組織の人間として許される行為ではない。
「いやぁ……それは……日高孝が次のターゲットになって――」
先輩がバツの悪そうな声で課長に説明する。
『例の予言かい? だとしても、僕に一言くらい連絡があってもよかったんじゃないかな?』
「まあその、なんだ……すまん」
『君の気持ちもわからなくはないよ。取り敢えず上に掛け合ってみるから、それまでは通常通りの業務戻ってくれないかい? いいね』
最後の一言は有無を言わせぬハッキリとした物言いだった。結局自分たちは磯山家で起きた事件の捜査に戻ることになった。
…………
日高孝のことが気になって捜査に身が入らなかった。先輩は自分と違いこちらの捜査にも真剣に取り組んでいた。警官としてはそれが当然なのだが、その姿を見てさすがだなと思った。
自分の視線を感じ取ったのか、先輩がこちらに向かって駆けてくる。
「おい、早乙女!」
「先輩……」
気持ちを切り替えろと注意を受けるのかと思っていると、
「課長から連絡が来た。――最後のチャンスだとよ!」
先輩が自分の背中を軽く叩く。
「行くぞ。俺たちにはもう後がない。今日で終わりにするぞ!」
いつになく真剣な表情と声。
「は、はい!」
返事をして、自分と先輩は再度現場を離れることにした。
…………
自分たちに課せられた使命は日高考の捜索。神ノ木町内を足で捜す事になった。車での捜索は見落としの可能性もあるし、構造的に車の入れない狭い道も多い。自分たち以外にも何名かの警官が捜索にあたっているが、難航を極めることは間違いないだろう。
彼の捜索を進めながら、今回の事件の犯人の推理も忘れてはならない。日高考を無事に保護できても、犯人を捕まえることができなければ犯行は続く。それでは事件が解決したことにはならない。
まず、自分が最も疑問に思っていることは磯山家内で起きた殺人事件だ。被害者は茂さんとその妻。これは予言にはなかった殺人だ。少なくとも朝倉勇のメールにこの2人の名前はなかった。
しかしカムライ教の方で見つかった黒マントにこの2人の血痕があった。白い仮面に黒いマント。戸浪玲香と美守茜を殺した犯人の特徴は一致している。
共通点といえばほかにもある。2人は同じ高校に通っていて、仲のいい友人同士だった。そして2人は子宮に執拗なダメージを受けている。
――この2人は連続殺人とは無関係なのか?
ふと、そんな考えが自分の頭をよぎった。だがその考えは別の思考によってすぐに否定される。
朝倉勇のメールだ……
戸浪玲香、美守茜の両名は朝倉勇の携帯にメールが送られてきている。この事実を崩せなければ、先程の自分の考えは通らない。
「いや、待てよ……?」
自分は思わず足を止めてしまっていた。
「うん? おいどうした! 止まるな、時間がないぞ!」
少し先を行っていた先輩が引き返してくる。
例のメール……戸浪玲香のものは件名にスペルミスがあったはずだ。もしも別の人間が朝倉勇の携帯にメールを送っていたのだとしたら? そしてその人物がスペルミスを犯していたのだとしたら?
「先輩! 転送してもらったメールを見せてください!」
「お、おい。急にどうし……」
自分の真剣さが伝わったのか、先輩は最後まで言わずポケットから携帯を取り出して見せてくれた。そして、美守茜のメールの件名は『divin“ei”tion of the spirit』になっていた。
やはりスペルミス。2度同じ間違いをしているということはこのメールを送ってきた犯人は間違いに気づいていない。
先輩の携帯に転送された米座五郎のメールの件名が『divination of the spirit』であることからも明らか。
「先輩! やっぱり戸浪玲香と美守茜は連続殺人事件と関係なかったんですよ!!」
「あ、おう――」
自分の勢いに押されて先輩が言葉を詰まらせた。自分の考えを先輩に説明すると先輩は真剣な顔つきになる。
「関係ないだと……」と呟きアゴに手を当て考え始める。
「なぁ、たしか……葛西と杏珠ちゃんに監視をつけたのって戸浪玲香の事件のときだったよな?」
「ええ。そのはずで……あっ――!?」
「お前も気づいたか?」
戸浪玲香が連続殺人事件と関係ないということは、葛西さんと杏珠ちゃんのアリバイも証明されていないことになる。
「『犯人に目星はついている』、『遅れを取るつもりはない』ってのは日高考が電話で言ってたセリフだ」
日高考と葛西さんとでは体格的には葛西さんに分がある。それを指して日高考が遅れを取るつもりはないと発言したとは考えにくい。それはつまり――
「犯人は、杏珠ちゃん……なんですかね?」
「さぁな。少なくとも今の日高はそう思ってる可能性が高い」
先輩の声はどこか悲しげであった。
以前、会議中にあれだけの啖呵を切ってみせたのだ、彼女を守るために。その彼女が犯人かもしれないとあっては、相当複雑な心境だろう。
「とにかく今は日高考を捜す。杏珠ちゃんはその後だ。いいな?」
「はい!」
自分はしっかりと頷いて、再び走り出した。
…………
日が沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。日高考はまだ見つかっていない。ほかの捜査員が発見したという連絡も受けていない。
捜索を開始してからおよそ2時間。先輩も自分もさすがに疲れが出ていた。
「ちょっと休ませてくれ」
先輩が言って、近くにあった自販機にお金を投入する。お前も飲むかと問われ、水をお願いした。
「クソっ! 日高のやつはどこほっつき歩いてんだ!?」
先輩が悪態つきながら傍のベンチに座り、プルを起こしてコーヒーを煽った。自分もキャップを開け体の熱を冷ますように水を煽る。
これだけ捜して見つからないというのは少々堪えるものがある。もちろん、人を見つけることがそんなに簡単なことではないということは理解しているが。
「もしかして、上納市の方にいるんですかね」
「そうだとしたらそっち方面を見回りしてるやつらに――」
「きゃあああぁぁぁっ――!!」
「ぐっ――ゴホっ……」
突然の悲鳴に先輩が喉をつまらせた。自分はというと、悲鳴を聞いた瞬間に体が反応していた。場所は直ぐ側にある公園の方角からだった。
「おい! 待て、早乙女!!」
先輩の静止の声も聞かず、一目散に走る。
明らかに女性の悲鳴――
自分が追っている事件とは関係ないかもしれないが、それでも放っておくことはできない。公園の中に入ると、一瞬だけ足が止まった。
ちょうど電灯の下に金属バットを持った何者かの背中が見えた。そして地面には倒れている2人の人影があった。
そして次の瞬間――
「うわあああああぁぁぁぁっ――!!!!!」という雄叫びが別の方向から聞こえてきた。
すると自分と同じように何者かに向かって走ってくる人物が見えた。
「なっ――!?」
それは朝倉勇だった。
マズい――!!
自分は再び走り出した。
武器を持った男に素手で立ち向かっても勝ち目はない。このままでは朝倉勇にも被害が及ぶ。
「うおおおおぉぉぉぉぉ――!!」
柄にもなく気勢を上げ速度を上げる。そして、武器を持った何者かの背に向かって突進した。




