10月2日
その日は課長の命令で朝から自分と先輩は甲斐夏男が働いていた職場へと足を運んでいた。場所は彼の住んでいたアパートから車で20分ほどの場所にある工場だった。
聞き込みを行っている間、先輩はどこか上の空で、結果的に自分が率先して聞き込みを行うことになった。得られた情報は昨日とほぼ同様で、加えて職場の同僚たちから信頼の厚い男性であることがわかった。
誰かの恨みを買ったりしていた様子はなく。女性関係に関する話も聞くことはできなかった。こうなると、通り魔の線が濃厚か……と、考える一方で別の疑問も感じていた。それは甲斐夏男の所持品になかった携帯電話のことだ。それが気になって工場で働く職員に甲斐夏男は携帯電話を持っていなかったのかと訊ねてみた。すると職員は「甲斐さんが携帯を使っているところは何度かみてますよ。だいたい大人で今どき携帯持ってない人なんているわけないでしょ」と笑いながら答えた。これには自分もそうですよねと作り笑いで返すしかなかった。
しかし実際に彼が殺された現場から携帯電話は見つかっていない。そして彼がなぜ夜遅い時間に路地裏にいたのかも不明だ。ビルとビルの間のギリギリ人が2人並んで歩ける程度の細い路地はふらっと立ち寄るような場所ではない。
鑑識の結果では彼が別の場所で殺されて路地裏に運ばれてきた可能性はないことが証明されているので、彼が自らの意思でそこにやってきたことになる。
単純に考えれば、彼が犯人に携帯で路地裏に呼び出されて殺された後、犯人が証拠隠滅のために携帯電話を持ち去ったというのが濃厚だろう。でもそう考えると、携帯電話を持ち去るだけの冷静な判断ができた犯人が凶器を現場に残したままにするというのはいささか不思議であった。
――――
聞き込みを終えた自分と先輩は車に戻った。
「それにしても、どうしたんですか、先輩? さっきから上の空って感じですよ」
自分は思っていたことをストレートにぶつけた。
「なぁ、早乙女。今から行きたいところがあるんだがいいか?」
先輩は自分の質問には答えずそんなことを言いだした。
「行きたいとこって、でも、一度報告に戻らないと――」
「大丈夫だ。言わなきゃバレん」
「ええっ!?」
そう言って、先輩は車を発進させた。
――自分に聞かずとも答えは決まってたんじゃないですか……
「先に今から行くところを教えておく」車を走らせて間もなく、先輩はそう言った。「今向かっているのは上ノ木町にあるカムライ教ってところだ」
「カムライ教……?」
この地にやってきて間もない自分にはいまいちピンとこない。ただ、思い出したことがあった。
「そう言えば、その名前って、昨日先輩が見ていた写真に……」
青紫色のお守りには“神来”という刺繍が施されていた。これをカムライと読めないこともない。
「ほう、さすがだな」
甲斐夏男は遺体となって発見された際、首にカムライ教のお守りを下げていた。だからカムライ教に足を運んでみようと先輩は考えたわけだ。
「カムライ教に着くまでしばらくあるからな、それまでに歴史の授業だ」
そして先輩は、この土地の歴史を語りだした。
大昔、ここ上納市と隣の上ノ木町は何度も大災害に見舞われていた。そういう土地柄だったらしい。
そのため、神に見放された場所という意味で、この一帯は『神無し』、『神退き』と呼ばれていたそうだ。
そんなある日、この土地の状況を哀れに思ったひとりの坊さんがこの地へとやってきた。そして坊さんはこの地域一帯に住む人々にこう言ったそうだ。
この地に神を降ろす――と。
住民たちは無駄なことをとまったく相手にしなかった。しかし、雨の日も風も日も雪の日も天に祈りを捧げ続ける坊さんの姿に心を打たれた住民たちが、一人、また一人と坊さんの祈りに加わっていった。そしていつしかほぼすべての住民が坊さんと一緒に祈りを捧げるようになった。
実際、坊さんが祈りを捧げはじめてから、この地に災害は起こらなくなっていたそうだ。
そんなある日、坊さんが病に倒れた。病床に伏した坊さんは息を引き取る際に住民たちにこう告げた。
――あと十三回。日の出を見るまで祈り続ければ、必ずや神は御座す――
住民たちはその言いつけどおり十三日間祈り続けた。
だが、実際にこれで本当に神が降臨したのか、本当に災害の類が起こらなくなったのかはわからなかった。だが本当にその後は坊さんの言った通り、何年もこの地に災害が起こらなかった。
坊さんの言葉は本当だったわけだ。
そこで坊さんの行動を讃えようという動きが起こって、坊さんの偶像が造られそれを崇拝するようになった。
それが現在のカムライ教の前身ってわけだ。そして、神無しは上納市に、神退きは上ノ木に改められた。
ちなみにカムライ教は昔“神来る教”と呼ばれていたそうだが、近代になってから、宗教名に“神”という字を入れるのは他の宗教との間に角が立つという理由で神来るを神来とし、さらに表記をカタカナに変えたとのことだ。
車は上ノ木町へと入った。
「へぇ、そういう歴史があるんですね」
「まあ、この話は所詮昔話だどこまでが本当のことかはわからん。だがこの話を信じてる人間は多い。いわゆる土着信仰的なやつだな。だからカムライ教は上ノ木町に本部があるだけで支部ってのがひとつも存在しない。当然信者はこの地域に住む人間だけだ」
「あれ? でも、甲斐氏のアパートの住人や近隣住民、職場の人は彼ががカムライ教の信者だなんて一言も言ってませんでしたよね?」
「そりゃお前、当たり前だろ。今の世の中宗教に対するイメージってのはネガティブなもんばっかだ。宗教戦争に始まり、一部の暴走した宗教団体がテロやらかしたりとか、いいイメージを持てって方が難しい。そんな状況で自分はなんちゃら教の信者ですなんて他人に言えるわけないだろ?」
「言われてみれば……」
自分は特に宗教に対する偏見のようなものは持っていない。だからといってほかのみんなが自分と同じ考えかというとそうではない。
「それかあるいは……殺した後で犯人が首から下げた、か……」
なるほど、その可能性もなくはない。だが仮にそうだとすると、犯人がそれをする目的とはなんだろうか?
単純に考えるならカムライ教の信者が殺されたと思わせたいということ。これはあくまで自分の勘だが、この事件はそんなに単純なものではないような気がする。
車が割と勾配の効いた坂に差し掛かる。
「この坂を登ればカムライ教だ」
先輩は言って、アクセルを踏む足に力を入れた。
…………
カムライ教には割と広い駐車場が設けられていた。しかし、そこにはたった2台しか車が止まっておらず物悲しい雰囲気が漂っていた。
「よし、行くぞ」
車を止めて、先輩の後についてカムライ教に足を踏み入れた。入口の扉を開けると、その先は風除室と呼ばれるスペース、さらにその先の扉がホールになっていた。
正面奥にあるステージに向かって、弧を描くように並べられたイス。ざっと百脚以上。今は、まばらに人がいるだけで、ほとんどのイスが無人だった。
イスに座っている人たちは、ステージ奥の台座に置かれた2メートルほどの偶像に向かって祈りを捧げているように見える。あれが先程先輩が語っていた僧侶の偶像ということだろう。だがその割には人の姿を象っているようには見受けられなかった。
ホール内は静寂に包まれており、自分たちが歩みを進める靴音が響く。
先輩は迷わず進んでいき、ステージ前で床に膝立ちして祈りを捧げているベール姿の人物の後ろで立ち止まった。
「邪魔して悪いんだけど、少し話いいかい?」
先輩が普段とは違う優しい声で言うと、その人物は顔を上げて立ち上がりこちらに振り返った。
「はい。何でしょう?」
その人は、あどけなさの残る女の子で、年齢は15、6といったところ。
「え? 先輩、この子に話し訊くんですか?」
どうしてわざわざこんな子に話を聞くのか理解出来なかった。こう言ってはなんだが話を訊くならもっと大人の人間を選ぶべきではと思った。
「ああ、そうか。言ってなかったな」
疑問に思っていたのが顔に出ていたのか、先輩がすまなそうな顔をする。
「この娘、これでもカムライ教の教祖なんだわ」
「え!? ――ッ」
驚いて大声を出しそうになったのをすんでのところで飲み込む。
こんな子どもが教祖……その事実はなかなかに受け入れがたいものがあった。
「で、杏珠ちゃん。訊きたいんだけど、甲斐夏男って人知ってる?」
どうしてこの少女が教祖をやっているのかという説明はなく、先輩は杏珠と呼んだ少女に事件のことは一切語らずただそれだけを訊ねた。
しかし、彼女の反応はイマイチで、どうやら彼のことを知らないようだった。
ここ2日、甲斐夏男が殺された事件は割と大きく報道されているはずで、テレビや新聞を見ていれば名前くらいは知っているはずだ。
それでなくても街や学校なんかんで話の種になっていてもおかしくないはず……なのに彼女はまったく知らないと言う……
「もしかすると葛西さんなら知っているかもしれませんけど……」
「葛西……ああ、あいつか……」
先輩は葛西という人物に心あたりがあるようだった。
「はい。こちらに来てください」
自分たちは、杏珠さんの案内に従い関係者以外の立ち入りを禁じる扉の奥に進んだ。そこは事務所のような場所になっていて、デスクに座って何やら作業を行っている男性がひとりだけいた。
「あ、どうも」
男性は立ち上がり、軽く先輩に頭を下げた。
「警察の方が話があるみたいなんです。私ではよくわからないので、葛西さん、お願いできますか?」
葛西と呼ばれた男性が了承すると、杏珠さんは「私はお祈りに戻りますね」と事務所を出ていった。
「あの、こちらの方は?」
葛西と呼ばれた男性が自分を見て訝しげに訊ねてくる。
「こいつは早乙女だ。こないだ上納市で起きた事件について一緒に捜査してる」
「上納市の事件というとあれですか? 駅の近くで起きたっていう」
「知ってるなら話が早い。そのことについて訊きたいことがある。――カムライ教の信者の中に甲斐夏男という人物がいるかどうか知りたい」
「甲斐夏男さん……ですか。ちょっと調べてみます」
葛西さんはデスクのパソコンに向かい何やら調べ物をはじめる。それは1分ほどで終わり、「いませんね」と返ってきた。
先程調べていたものはカムライ教の名簿らしく、名前で検索をかけた結果ヒットしなかったとのことだ。
「いない、か」
先輩がアゴを撫でる。
「名簿にはいないだけかもしれませんよ」
「どういうことでしょうか?」
「杏奈さんは生前『来る者拒まず、去る者追わず』をモットーにしていました。より熱心な方だけが名簿に名前を連ねているだけで、そうじゃない人もいます。それから、宗教通いをやめてしまった人の名前は即日名簿から削除するようになっているので。この名簿に載っていたかもしれません」
「つまり、甲斐夏男は名簿に名前が載っていないだけで、カムライ教に出入りしていた可能性はあると?」
「――あるいは、名簿に載っていたが、やめちまって名前が削除されたか……だな」
「そういうことです」
「んじゃもうひとつ。カムライ教のお守りってのはここで配られてるのか?」
「配るというと語弊がありますが、希望者はここで購入できるようになってます」
「ここ以外で買うことは?」
「無理です」
「ちなみに、一人が複数購入することってできるのか?」
葛西さんが訝しげな表情を見せる。
「特に制限は設けてませんけど……そんな人、私は一度も見たことないですよ」
「そうか……すまん。助かったよ」
先輩は葛西さんの肩をポンと叩き部屋の外に出ていった。自分は「ご協力感謝します」と言い残して先輩の後を追った。
ホールは相変わらず静謐に満ちていた。教祖をはじめ信者たちはひたすらに偶像に向かって祈りを捧げている。宗教施設に足を運んだのはこれが初めてだが、講話をしたり経を唱えたり、賛美歌や信者たちのふれあいといった自分のイメージとはかなり違っていた。
あるいは、今日だけたまたまこうなのだろうか……
ホールの外に出ると日が落ち始めていた。駐車場に止めてある車に向かう途中、先輩に気になったことを訊ねた。
「ずいぶんと話がスムーズでしたけど、知り合いなんですか?」
現に先輩自身はあの2人にこちらの身分を明かしていない。にもかかわらず、相手は何の疑いもなくこちらの質問に答えてくれていた。
「昔な、カムライ教の教祖が襲われる事件があったんだ。そのときにあの2人と知り合ったんだよ」
「襲われたんですか!? あの子が!?」
宗教観の違いから教祖に対して刃が向けられることはあるのかもしれない。だからといって、子どもを襲うなんてなんて卑劣な人間なんだ――
「あーっと、襲われたのは杏珠ちゃんじゃなくて杏奈の方だ。さっきの子の母親な」
「ああ、そうなんですか」
大人だから襲っていいということにはならないが、納得すると同時に先ほど葛西さんがその名前を口にしていたことを思い出す。先輩と自分は車に乗り込み、なおも話を続ける。
「つまり、母親の杏奈さんという方が前教祖で今は娘の杏珠ちゃんが教祖と」
「そういうこと」
「で、その犯人は捕まったんですか?」
「いいや、捕まってない。事件はカムライ教の自作自演ってことで幕を閉じた」
「自作自演?」
「ま、この話はまた今度だ」
そう言って先輩は車を発進させた。
車はカムライ教前に続く坂道を下る。窓の外に自転車で坂を登っていく少年の姿があった。一瞬だったがおそらく高校生くらいだろうと思われる。
――あんな子どもまで……
先程自分が見た限りではホール内にいた未成年と思しき人物は教祖の杏珠ちゃんくらいだ。宗教自体を否定するわけではないが、あのくらいの年齢の子なら、もっとほかに何でもやることがあるだろうにと思わなくはなかった。
…………
「ずいぶん遅かったねぇ。――で、収穫は?」
署に戻ると、コーヒ片手に課長が近づいてきて言った。
「なしだ。――俺ももらおうかな、それ」
先輩がはっきりと言ってのけ、セルフでコーヒーを入れて自分のデスクに座った。
「ああ、そりゃ残念だ」
そういう課長の顔は全然残念そうじゃない。
「ところで、カムライ教の方はどうだったのかな?」
「ぅ、ん!?」
コーヒーを飲んでいた先輩がむせた。
「どうしてそれを!?」
「おいバカ!」
「あ――」
先輩に言われ、自分の失言に気付く。
課長は「ふふん」と満更でもない顔をする。
「昨日杵島くんはカムライ教のお守りの写真を気にしていたからもしやと思ったんだが……当たりのようだね。――で、どうだったんだい?」
「カムライ教の信者の名簿の中には甲斐夏男という人間はいなかった」
「その名簿、実際に見た?」
「いいや」
「だったら嘘を付かれた可能性もあるんじゃないのかい?」
課長の指摘はもっともだ。しかし、先輩は「それはない」とはっきりと否定した。
「理由は?」
「葛西は、『少なくとも今は載っていない』という言い方をした。もし、嘘を付くつもりなら、載っていないとだけ言えばいいはずだ」
「なるほど。嘘を付くつもりなら名簿に載っていた可能性を示すような言い回しはしない、ということか……」
課長は納得したようだ。
「ほかの連中は?」
「みんな出払ってるよ。で、今のところは君たちと同じ。何の進展もなし。――それで、このまま捜査に進展がないようなら人を増員しようって話も出てるよ」
「ま、ここじゃ滅多にこういう事件が起きないからな、人海戦術ってのは妥当だな」
先輩は昨日、『この事件は長くなりそうだ』と呟いていた。
かくいう自分も一抹の不安は拭えなかった。




