10月1日
早朝、警察署内に事件の報せが入ると、鑑識が現場へと急行した。場所は上納市駅西口に伸びる中央通り沿いにある雑居ビル間の路地。
鑑識とともに所轄の何人かが現場の見張りに駆り出される中、自分と先輩は署内で待機を命じられた。
先輩がテレビをつけた。番組はちょうどニュースをやっていて、そこには事件現場の直ぐ側の上納市駅前付近が映し出されていた。殺人事件が珍しいのか、そこには大量の野次馬が押し寄せ、幾重にもの人垣ができていた。
「嫌になるねぇ、まったく……」
先輩はぼやきながら頭をかいた。
警官が暇なのは平和な証拠とはよく言ったもので、事件が起きないに越したことはないのだ。しかし、起こってしまったものは仕方がない。こうなったからには全力で捜査にあたるのが警察の務めである。
事件発生の報せからおよそ1時間後、鑑識からの簡易報告を受け小会議が行われることになった。
一課が揃うと、課長が鑑識を交えた報告会の音頭を取る。
被害者の名前は甲斐夏男、49歳。これは被害者の遺留品の中にあった運転免許証により判明した。
被害者はうつ伏せの状態で発見され背中にはナイフが刺さったままになっていた。それは心臓まで貫通していておそらく即死。ほかに目立った外傷はないのでそのナイフが凶器であることはほぼ確実だった。また、刺さったままになっていたナイフからは誰の指紋も検出されなかった。
犯人と争ったような形跡はなく、また、被害者の所持品にも手をつけられた形跡がないことから、物取りの線は薄い。つまり犯人は甲斐氏を殺すことが目的だったと推測される。
「甲斐夏男……か、まずは現場で聞き込みからだな」
「聞き込みですか?」
「なんだぁ、早乙女。最近の若いやつはパソコンカチャカチャやってるほうがいいか?」
「いえ、そんな……!」
警察学校のときから情報は足で稼げとうるさいくらい言われたし。警察官である父からも再三再四言われている。
すると、「ああ、それなんだけどね」と、課長が会話に入ってくる。「2人は現場じゃなくて、ほかに行ってもらいたいところがあるんだよ」
「ん? なんだ?」
「被害者の素性を調べてほしいんだよ」
「ああ、そっちね。りょーかい。――早乙女、行くぞ」
「え? あ、はい」
自分が質問を挟む間もなく、課長と先輩は勝手に話を進め――自分は意見を出せる立場にはないが――先輩が部屋を後にするので、自分はその後を追った。こうして、自分たちは被害者である甲斐夏男の家に向かうこととなった。
…………
甲斐夏男の住んでいた上納市郊外にあるアパートに到着する頃には正午を過ぎていた。
「ここが……」
思わず感嘆の声が漏れた。
アパートの外観を見た段階で築うん十年は経っているであろうことは丸わかりで、被害者はここの2階に一人で住んでいた。
早速聞き込みを開始する。まずは被害者の住んでいた部屋の左隣の部屋のチャイムを鳴らした。だが住人は出てこない。時間的なことを考えればここの住人は仕事に行っているのかもしれない。諦めて今度は右隣の部屋のチャイムを鳴らした。しばらくすると「はい」と返事がして扉が開いた。だが開いたのは目の前の扉ではなくさらに右隣の住人の部屋だった。
顔を出した中性的な顔立ちの女性が「何か?」と訊ねてくる。
「え? え? ええ?」
目の前の扉と顔を出した住人の顔を何度も交互に見やる。
するとその人はああと相好を崩す。
「ここ壁が薄くって、隣の家のチャイム丸聞こえなんだよね。――で、お兄さんたち誰?」
壁が薄いせいで隣の部屋のチャイムを自分の部屋のチャイムと勘違いすることがあるらしいとのことだった。
自分は女性の方に移動して事件に関する説明をして、甲斐夏男がどんな人物だったのか訊ねた。
「うーん。あえて言うなら人畜無害かな。すれ違えば普通に挨拶はしてたし、でも必要以上に干渉してくるようなことはなかったね。ザ・平凡ってカンジ?」
「なるほど。ではここ最近甲斐夏男に変わった様子などありました?」
「それはよくわかんないね。さっきも言ったけど交流らしい交流なんてなかったからさ」
「となると甲斐氏が9月30日の夜から今朝方にかけてどこにいたかなんてことは――」
「わかんないね。――なにせ壁が薄いから。隣の住人が帰ってきたと思ったら実はさらにその隣だったとかざらにあるからね。下手な証言は勘違いの原因になるかもしれないよ」
「なるほど。ご忠告ありがとうございます」
それ以上はためになるような情報はなく自分は謝意を述べ次の部屋に聞き込みに向かった。
その後アパートに住む住人たちすべてに話を聞いた。留守だった家も、住人が帰ってくるまで待ってから話を聞いたが、皆一様にして最初に話を聞かせてもらった女性と同じことを口にしていてた。
追加でわかったことと言えば、ここ1年甲斐夏男は夜遅くにどこかに出かけることが多くなってその時の彼は決まって幸せそうな顔をしていたそうだ。その証言をくれた人は彼女でもできたのだろうと語った。
アパートでの聞き込みを終えた後はその付近の住民にも話を聞いてまわったが、アパートの住人の話以上の収穫はなかった。
…………
「おっ? おつかれぇ」
署に戻り会議室の扉を開けると、課長が出迎えてくれた。
「で、被害者に関する情報はどうだったかな?」
「はい」
自分は聞き込みしてきた情報を報告した。
「なるほど。少なくとも近隣住民たちからの印象はよかったわけか」
「そうなります」
「杵島君。君はどう……」
課長が先輩に視線をやりそこで言葉を止めた。どうかしたのかと自分も先輩の方を向くと、先輩は渋い顔でホワイトーボードを凝視していた。
なにか発見があったのかと、先輩の横に並びホワイトボードを見る。
「これは……?」
するとそこには、先程自分たちが会議に参加したときにはなかった情報が追加されていた。さらに被害者の所持品を写したと思われる写真もいくつか貼られていた。
「ああ、これかい? 君たちが聞き込みに言っている間に鑑識から詳しい報告が上がってきてね、司法解剖の結果もそこに出てる」
「なあ、ここにあるのは全部被害者の持ち物で間違いないのか?」
先輩がホワイトボードを指さしながらいつになく真剣な表情で課長に訊ねていた。
「ああ、そこにあるのが全部だよ」
「なるほど……こいつは嫌な予感がするな」
先輩は1枚の写真を睨むように見ながら確信めいた物言いで呟いた。それは『神来』と刺繍の入った青紫色のお守りの写真だった。
自分はその隣でざっとホワイトボードの写真に目を通して違和感を覚えた。そこには携帯電話がなかった。
今どき携帯を持たないなんてありえない。それともたまたま持っていなかっただけなのだろうか?
…………
帰宅し、上着を脱いでソファに体を預ける。
これでまたアセンブルの調査は足止めを食らってしまう。
自分はあくまで捜査官としてここにいるため、事件を蔑ろにすることはできない。
まぁ、仮に上からアセンブルの調査を優先しろと言われたとしても、それはそれで自分の正義に反する。
なにせ今回は殺人事件だ。
「取り敢えず、報告だけでもしておくか」
パソコンを立ち上げメールを確認する。すると、上司からのメールが一通届いていた。
『そこで起きた事件についてはすでに把握済みだ。今はそちらを優先して構わない。事件が解決するまで調査報告も必要ない』
淡白な文章。
だが、後ろ盾を得られたことで気兼ねなく事件に集中できる。
「よし――」
明日もきっと忙しい一日になるだろう。
自分は早々に休息を取ることにした。




