10月4日
昨日手に入れたクスリ。直接口に入れればいいとのことだったけど、よくよく考えたら、これを飲めと言ったところで飲んでくれるとは思えない。
2日前喧嘩をふっかけたことを考えれば、転校生はウチらに対して警戒しているに決まってるはずだから、尚のこと飲ませるのは無理がある。
一体どうするつもりなんだろうと思っていると、玲香は登校前にコンビニで買ってきたペットボトルのジュースを袋から取り出した。そして、クスリを1錠出してそのままボトルに入れようとしていた。
「ちょ――、それ水に溶かすとなんとかって言ってなかったけ?」
ウチは慌てて玲香を制止する。
確かトラさんはこれを水に溶かすとなんとかって言っていたはずだ。
昨日は話が途中で終わってしまったから最後まで説明してもらえなかったけど、なんとなく嫌な予感がする。
「そうだっけ? アタシそんな話聞いた覚えないけど」
そう言って、玲香はボトルの中にクスリを1錠落とし、キャップを締めそれを振り始めた。しばらく振り続けるとペットボトルのジュースは泡立ち、中の錠剤は完全に溶けてなくなった。
「クスリってこんな簡単に溶けんの?」
「さ、さあ?」
やってみた試しがないので、ウチにはわかるわけない。
玲香が再びキャップを開けると、
「うっ――」「んなっ!?」
ペットボトルの中からは、明らかに本来のジュースの匂いではない甘い匂いが漂ってきた。まるで柑橘系のお部屋の芳香剤に直接鼻をつけて匂いを嗅いでるみたいな感覚だ。
「これ、ニオイでバレそうじゃない?」
「ここまでやったらもうやるしかないでしょ!」
玲香は再度ボトルのキャップを締めた。
…………
一限目のあとの休み時間、転校生を屋上に呼び出した。
「昨日はゴメン」
玲香が謝る。それに続くようにウチも頭を下げた。
「わかってくれればいいよー」
転校生は笑顔で許しのセリフを吐く。
それは建前であって本心ではこれっぽちも申し訳ないとは思ってないのだが。
「で、お詫びの意味を込めてなんだけどみんなで乾杯しようと思って」
玲香が持っていたコンビニの袋からクスリ入りのペットボトルジュースと紙コップを3人分取り出す。
「あ、ジュースなのー?」
「そうそう。ジュースで乾杯。ね」
3人で紙コップを持ち、ウチがそれぞれのコップにジュースを注いでいく。注ぐ際に若干落ち着いてはいるもののクスリを溶かしたときのあの匂いがふわりと立ち上る。その匂いでバレるかと思って転校生を横目で見遣る。
その匂いがジュースの匂いだと思っているのか気づいている様子はない。
全員分注ぎ終わると、玲香がコップを掲げ「それじゃカンパーイ!」と声を上げた。
そしてそのままの流れで、転校生はジュースを一気に飲み干した。ウチと玲香は当然口をつけない。
「あーおいしかったー」と笑顔の転校生。
ウチと玲香は期待のあまり転校生を凝視しすぎていたみたいで、それを不思議に思った転校生が「うん? どうしたのー?」と小首をかしげる。
「気分どう?」
玲香がクスリの効果が出るのが待ちきれないと言った表情で訊ねる。流石に露骨すぎないかと思ったけど、転校生はそれに気付かず「気分は普通だよ」と答えた。
「普通……って、普通なの?」
「うん!」
「なんかこう、気分が高揚したりとか逆に鬱になったりとかない?」
「うーん? どういう意味ー?」
おかしい……いや、こういうものなのか?
そう言えば、トラさんからこのクスリがどのくらいで効果が出るのかについては聞かされていない。
「もう次の授業始まるから行くねー。ジュースありがとー。じゃあねー」
転校生は校舎の中に入っていってしまった。
「はぁ!? マジでイミフなんですけど!! どういうこと!? ねえ!?」
玲香は見るからに機嫌が悪くなっていた。
「ウ、ウチに聞かれても困るって。……あ、でも、やっぱ水に溶かしたのがマズいんじゃ、さっきも言ったけど、昨日トラさん何か言い掛けてたでしょ? 水に溶かすとなんとかって。――それか、効果が出るまで時間掛かるとか?」
すると玲香が「じゃあ飲んでみてよ、それ」とウチが手にしたジュースを指さした。
「え!? いや、ムリだって」
「なによ! 使えなっ!」
玲香は完全にご機嫌ナナメになっていた。
…………
二限目終了後の休み時間。ウチと玲香はトイレに向かうついでに隣のクラスの様子を確認した。転校生に特に変わった様子はなかった。念の為、転校生と同じクラスの生徒を捕まえて確認する。
「ちょっと、いい?」
「僕に何か用ですか?」
たまたま声を掛けた男子生徒は日高だった。
顔もよく性格もいいと女子の間で人気の生徒だ。ウチは特になんとも思わないけど。
「聞きたいんだけど、転校生の様子なんか変じゃなかった?」
玲香が訊くと。
「変、ですか? いえ、特には。至って普通だったと思いますよ。ああただ、彼女ちょっと変わってますよね。そういう意味では『変』だと言えるかもしれませんが」
それはウチらの求めている答えじゃなかった。
「そ、わかった」
ウチと玲香はトイレに向かった。
――――
「クスリの効果が出るまでに時間がかかるって線は消えたね」
玲香が手を洗いながら言う。
「ウチ考えたんだけどさ、紙コップに注いだせいで分量少なくなったから効果が薄れんたんじゃないかって思うんだけど」
ハンカチで手を拭いていた玲香の動きがピタリと止まり。
「それじゃん!」とポケットからクスリのブリスタを取り出して差し出してくる。「試してみて」
「ええ!? だからさっきもムリって言ったじゃん」
首を左右に振りながら、両手を振る。
「試してみないとわかんないでしょ!?」
機嫌が直ったと思ってたけど、まだまだごきげんナナメのようだ。
「なんでウチで試そうとするの?」
「ほかに試せそうな奴いないから」
ヒドイ……
このまま玲香のご機嫌ナナメが続けば、いずれウチはクスリを飲まされてしまう。拒み続けた結果無理やりってパターンもあり得る。
「ねぇ? 飲んでみてよ」
ほら、とブリスタをさらに近づけてくる。
なんとか、なんとか回避しなければと考える。そこで、いいことを思いついた。
「そ、そうだ。磯山にしよ、磯山!」
「ああ、なるほどねぇ」
なんとか納得してくれたみたいだ。
ウチはホッと胸をなでおろした……のもつかの間、
「じゃあ、もしなにかあったら茜の責任ってことで」
そう言って、スタスタとトイレの外へ出ていった。
「うそでしょ!?」
ウチはまた不安でいっぱいになった。
…………
今日の五限目は体育だった。そのため昼食を終えた女子たちは更衣室へと移動する。
ウチと玲香は早めに更衣室に来てすでに着替え済みだ。そして、更衣室にやってきた磯山も確保済み。あとはほかの生徒が着替えを済ませて出ていくのを待つばかり。
磯山が逃げないようにと、玲香が肩に腕を回している。彼女はこれから自分にされる仕打ちがだいたい予想できているのか、身を縮こまらせるように背中を丸め項垂れ、かすかに震えている。
――さすがにクスリを飲まされるなんて想像してないだろうけどね。
そして、更衣室にはウチら3人だけになった。ウチは当たり前のように更衣室の鍵を締めた。
「ねぇ、ちょっと? お願いあるんだけどいい?」
玲香が肩に腕を回したまま磯山に言う。
「えっと、その前に……着替えない、と……」
「あぁ、そんなのあとあと」
磯山が手にしていた体操着の袋を奪い取り、ポイッと投げ捨てる。
「あ……」
「で、お願い聞いてくれる?」
「……なん……ですか?」
磯山がチラリと顔を上げる。
「こいつ飲んでみてくんない?」
玲香が13錠のクスリが入ったブリスタを磯山の目の前にかざす。
「く、すり?」
「そうそう、クスリ」
「何の……くすり、ですか?」
「それがわっかんないから飲んでみてほしいんじゃん」
磯山の顔から血の気が引いていく。
「え……わかってないって……。むっ、無理です! 絶対無理です! だって、変な……くすり、だったら――」
磯山はひどく怯えていた。
まあ、当たり前の反応だ。
「そこを何とかってお願いしてんでしょ?」
「……無理です。こんなの!」
磯山が玲香の腕を解いて更衣室の扉に向かって駆ける。ウチはすぐにその後を追い、外へ逃げようと鍵に伸ばしたその手を払い除けた。
「いだっ――!!」
玲香が磯山の後ろから髪の毛をつかんで、そのまま床に引きずり倒した。倒れた彼女の髪の毛をつかんだまま部屋の中央まで引きずり、そのまま彼女の上に乗っかり頬を叩いた。
「うぐ――ッ!」
ピシャン――という音が室内に響く。
「逃げようとかどういうつもり!? ねえ!? アタシ怒ったから、マジで」
脅しをかけるときに出す低い声。その迫力はいつも以上に増している。
「ごめ、なさ……」
「無理。許さない!」
冷たく言い放ち、ブリスタからクスリを出す玲香。
1錠、2錠、3――って、
「ちょっとちょっと玲香、ヤバイって!」
一体何錠飲ませるつもりなのかと慌てて玲香を止める。
トラさんは1錠以上は死ぬと言っていた。これでは磯山が死んでしまう。
「うっさい!! それよりこいつ暴れるから体押さえて」
「でもそんなにたくさんだと――」
「黙れ!! いいから押さえろ!! 早く!!」
完全にブチ切れていた。ウチまでとばっちりを食らってしまった。こんなに怒りを顕わにしている玲香を見るのはこれが初めてだった。
ここ2日の転校生とのやり取りが尾を引いているのだろう、ウチはしぶしぶ従うしかなかった。磯山が暴れられないように腕を押さえた。玲香がクスリを握った手を磯山の口に押し付ける。しかし、嫌々と首を左右に振って逃れようとする。
「クソっ! うぜぇな!」
クスリを握っていない方の手でアゴをつかみ、万力のように左右の頬を押し潰すように力を込めていく。きつく閉じられていた磯山の唇の間に隙間ができると、そこにクスリを1錠づつ落としていく。合計で5錠投入された。
――ああ……終わった……
磯山が死ぬとかこの際どうでもいい。問題はウチが責任を取らされることだ。
次に玲香は水の入ったペットボトルを取り出して飲み口を磯山の口に突っ込んだ。吐き出さないように唇の上から飲み口をつかみカシャガシャと磯山の頭ごとシェイクする。
「ん!? ん――っ!!」
必死に抵抗しているのか唇の隙間から水が吹き出す。
「うっ、これって……」
甘い匂いが鼻をつく。
玲香はクスリを飲み込ませることに必死で気が付いていない様子。
程なくして、500ミリのペットボトルが空になった。
「どうよ……これで……」
ひと仕事終えたと言わんばかりに肩で息をする玲香は悪魔のような笑みを浮かべていた。
磯山は……動かなくなっていた。
玲香は立ち上がって、反応を確かめるように磯山を足で小突いた。
反応はない。
暴れたせいで水浸しになった床に仰向けになる磯山。半開きの目で瞳が上にあがっている。
完全にイッちゃってた。
「これって……ヤバイんじゃ……」
ウチの口から自然と不安の言葉が漏れた。
対して玲香はまったく動じていない。
「気絶してるだけでしょ。しばらくしたらどうせ――」
その瞬間。磯山の体がビクンと跳ねた。
「ヒッ!」
ウチは驚いて悲鳴を上げてしまった。
だらしなく開いた磯山の口からブクブクと細かい泡が吹き出してくる。
そして、跳ねる――
水揚げされた魚のように、ビタン、ビタンと奇怪で奇妙な動きを繰り返す。
「これ、ヤバくない?」
玲香はようやく事の重大さに気が付いたのか顔が引き攣っていた。
「だからウチは止めたんだよ! 飲ませ過ぎだって!!」
「アタシしーらないっ!」
そう言って、玲香は更衣室からダッシュで出ていった。
「ちょっと――ウソでしょ!? どうするのこれ!?」
ビクンビクンと跳ねる磯山の動きは激しさを増していき、口からは泡と一緒に奇っ怪な呻き声を発している。
ウチは怖くなって玲香の後を追いかけるようにその場を逃げ出した。
…………
五限目が終わる。
授業にまったく集中できなかった……
ウチと違って玲香はすぐにいつもの調子に戻っていた。
クラスのみんなには磯山を無視しろと言ってあるから、更衣室のアレを見ても見て見ぬふりをするだろう。だけど、今回に限っては状況が状況だけに約束を破る者が出てくるかもしれない。
不安しかない。
――磯山が死んだら? ウチが人殺しになる?
「はぁ……」
自然と、更衣室に向かうウチの足は遅くなる。しかし、どんなに遅くてもたどり着いてしまうのは確実で……
「茜、見なよ」
更衣室の扉を開けた玲香が言う。
その言葉に従い中を見ると、「え? あれ?」更衣室に磯山の姿がなかった……
――――
着替えを終えて更衣室を出ようとすると、玲香が何かを探すように、制服のポケットに手を突っ込んだり体操着を広げてみたりしているのが目に入った。
「何してんの?」
「ん? クスリがどこにもないんだよね」
「え!? それってマズくない!?」
「ま、なくしちゃったみたいだね」
ウチと違って、玲香は全然焦ってなかった。
「なくした、って……」
玲香はまるでそれがふつうのことだと言わんばかりの態度だ。
あのクスリがヤバいクスリだってことは磯山のあれで十分理解できた。あれを使って再度転校生に仕返ししようということにはならないだろうけど、ウチの記憶が正しければ、まだクスリは8錠残ってたはず。あれを誰かに拾われたらって思うと……
「ま、見つからないものは仕方ないでしょ」
そう言って更衣室を出ていく。玲香のこの楽観的な性格がちょっと羨ましかった。
…………
結局、更衣室から忽然と姿を消した磯山は、その後の授業にも顔を出さなかった。どこに行ったのかはしらないけど、磯山の体操着が入った袋がなくなっていたことと、教室の席から鞄がなくなっていたことから、先生に見つかって早退させられたんだと結論づけた。
あの状態で無事だったとは考えにくいけど、担任の先生は磯山がいなくなったことに特に触れていなかったので、おそらく無事だったんだろう。
とりあえず、磯山が生きていたことでウチに責任が発生することはなくなった。
ウチはホッと胸をなでおろした……




