10月13日
昼過ぎのこと。母さんから「今日もカムライ教に行くならついでにこれを持って行ってほしい」とカムライ教のお守りを渡された。青紫色の生地に神来の刺繍が入ったお守り。
母さんは今日カムライ教でお焚き上げが行われると思っていたらしかった。
それでぼくは台風が来てるからお焚き上げは中止でその変わり今夜別のイベントが行われることを話をした。
「母さんも一緒に行く?」
「ごめんなさいね。今夜は仕事なのよ」
「そっか……」
正直に言えば母さんも一緒に来てほしかったけど仕事なら仕方がない。
ぼくは一度受け取ったお守りを母さんに返して、自分はイベントに参加してくることを伝えた。
「そうなの? 心配だけど……あそこなら大丈夫よね」
母さんは不安ながらも許可してくれた。
「でも台風には気をつけるのよ? 帰れないと思ったらカムライ教にしばらく留まること、最悪の場合幹部の人に事情を説明して泊まらせてもらいなさい。いいわね?」
「うん。わかった」
…………
夕飯を食べ終え、母さんとぼくは同時に家を出た。母さんは仕事へぼくはカムライ教へ向かう。
夜の7時を過ぎて外はもう真っ暗だった。風もかなり強くなっていた。幸いにも雨は降っていない。
カムライ教に到着する頃には風はより強さを増していた。風で飛ばないように自転車を近く駐輪場の鉄柱にキーチェーンで巻きつけしっかり固定できたか確認して、カムライ教に向かった。
扉を開けてホールに足を踏み入れると、そこには信じられない光景が広がっていた。
いつもはまばらにしか席が埋まっていなかったホールに並べられたイスがすべて埋まっていたのだ。それだけじゃない。イスに座れず立っている人もいる。百人はゆうに超えているようだ。
当然ぼくはいつもの席に座ることができないので、どうしたものかと適当に歩く。すると、見覚えのある人物がいた。
「美守さん……!?」
「な、なによ?」
相手がぼくに気づいて、バツの悪そうな顔をする。
「いや、なんでここにいるのかなって思って」
ここは美守さんには無縁の場所だ。しかも以前、戸浪さんと一緒になってカムライ教を気持ち悪いとか言ってたはずだ。
「あんたが、ウチが死ぬって言ったから。どうしようか迷ってたら……日高がここに行けば安全だって言うから……」
「日高って……あの日高くん?」
日高くんというのは同じ高校に通う隣のクラスの生徒だ。小中のとき何度か同じクラスになったことがある。人当たりのよい性格でかっこよくて、女子からの人気が高い男子生徒だ。
赤木くん曰く「いけ好かない野郎」とのことだが、これは赤木くんの僻みだと思っている。
どうして日高くんが美守さんをここに連れてきたのかは謎だったけど、ここにいれば安全だという考えは間違ってないと思う。これだけ人がいれば、さすがの犯人も手が出せないだろう。
「それより、ここっていつもこんなに人多いの?」
「いや、今日は特別なんだ。これからちょっとしたイベントがあって」
「イベント?」
ぼくと美守さんが話をしていると、「朝倉さん!」とぼくを呼ぶ声が聞こえた。その声は杏珠さんだ。
「やっと見つけました。これから最後の準備をはじめるので、一緒に来てください」
「え? ぼくが?」
「そうですよ。だって、私はまだ母宛のメールアドレスを教えてもらってないんですよ?」
そういえばそうだった。これからみんなでメールを送ろうというのに、送り先がわかりませんじゃ何をやっているのかわからない。
「ねえ朝倉。この人だれ?」
美守さんに訊ねられ、杏珠さんはカムライ教の教祖だと伝えた。
「教祖!? 完全に子どもじゃん!?」
何をそんなに驚くことがあるのかと思ったけど、よく考えてみれば、事情を知らない人から見たら、ぼくより歳下の女の子が教祖をやってることは異様な光景だ。
――これまで深く考えたことなかったけど、どう考えたって普通じゃない。
それから今度は、杏珠さんにこの人はと訊ねられ、ぼくは美守さんのことを説明した。
「つまり、次に死んでしまうかもしれない人ってことですか?」
「そうなんだ」
杏珠さんが美守さんとの距離を詰め無理やり彼女の手を取った。そして真剣な眼差しで、
「――安心してください! もしこれからやることが成功すれば最悪の事態を回避できると思います。そもそも失敗した場合は世界中の人たちがみんな死んでしまうわけですから……」
杏珠さんの突然の行動に面食らっていた美守さんが我に返り、つかまれていた手を払った。
「はぁ? あんた何言ってんの? ねぇ、朝倉。もしかしてこの子頭が――」
「わー! わー!」
美守さんが何を言おうとしたのか理解したぼくは慌てて声を上げて遮った。このままだと険悪なムードになりかねない。だからといって、今から美守さんにこれまでの出来事を話して理解してもらえるとは思えず、
「えっと、とにかく一緒に来てほしいんですよね!?」
と杏珠さんを急かす形でその場を離れることにした。
…………
最終準備がはじまった。
まず最初に杏珠さんが壇上に立ちこれからやることを説明した。
ぼくが知る限りでは彼女がこうしてみんなの前で話をするのは初めてで、その堂々たる姿はやっぱり杏奈さんの子どもなんだなと思わせるものだった。
会場に集まった人たちは静かにその説明を聞いている。だけど、急遽集められた人たちは半信半疑、むしろ懐疑的でさえあった。
しかし、杏珠さんが杏奈さんの最期の予言を口にし、これが杏奈さんの意志であると強く熱弁すると、ホールの人たちは次第にやってみようという気になっていく。
それから美守さんの名前が書かれたメールの送信者のアドレスをホールに集まったすべての人に伝える作業がはじまった。先程ぼくが教えたアドレスが印刷された紙をホール中に配っていく。
全員に配り終え、みんながアドレスを登録し終わる頃には10時まで残り30分を切っていた。そして再び壇上の杏珠さんがみんなに呼びかけた。
メールに書く内容は祈りに関する言葉がふさわしいと、そして夜の10時に一斉にスタートしようと……
杏珠さんの話が終わると、集まった人の中から「作戦名は?」という言葉が彼女に向けられた。
キョトンとする杏珠さん。
「だって、こういうのって形から入るほうがいいでしょ?」
同じ人が言う。
杏珠さんはしばらく考えた後、
「皆さんはご存じないかもしれませんが、母はよく予言のことを私の前で“divination of the spirit”と称していました。その頭文字を取って『DOS』というのはどうでしょうか?」
杏珠さんが問いかけると、「異議なし」と誰かが言う。それが全体に波紋のように広がり満場一致となった。
その時が刻一刻と迫る。
そして――
名付けて『DOS作戦』が、夜10時を回ると同時に始まった。
ぼくも杏奈さん(?)に向けてメールを送った。
送り続けた――
みんなの機械を操作する音だけがホールに響く。携帯電話の音だけじゃなく、キーボードを叩く音がすることからノートパソコンを持ち込んだ人もいるようだった。
気がつくとホールの窓をガタガタと揺らす音が激しくなっている。台風が近づいていたんだなと、その音で気づく。
――まさかこの台風って世界の終わりと関係ある?
なんてことが一瞬頭をよぎったりもした。
『DOS』作戦が延々と続き、やがて2時間が経ち……
日付が変わる……
…………
ぼくは確かにここに存在していた。
世界は終わらなかった。
シンと静まり返るホール内。
みんなも今何がどういう状況なのかを必死に理解しようとしている様子。
そんな中、誰かが「やったー!!」と喜びの声を上げると、それに連なるようにしてホール中が歓喜の渦に飲まれた。
嬉しさのあまり飛び跳ねる人、笑顔で抱き合う人、泣き出す人。実に様々だった。
みんな世界の終わりを防いだことに沸き立っていた。
ただ――
ぼくはみんなと違って酷く冷静だった。冷めていたと言ってもいいかもしれない。
――世界の終わりを防いだ? 本当に?
だって、ぼくたちがメールを送らなくても世界は終わらなかったかもしれないのに……
「やりましたね! 朝倉さん!」
いつの間にか隣りにいた杏珠さんがぼくに笑顔を向ける。
「あの、杏珠さん。じつは――」
ぼくはさっき自分が思ったことを説明しようとした。
すると、杏珠さんは口の前で右手の人差し指を立てた。それから、ホール内を見回しながら言う。
「見てください、朝倉さん! 母が亡くなった後、このホール内が今みたいに歓喜に満ち溢れたことが一度だってありますか?」
ホールは未だ興奮冷めやらぬと言った状態が続いていた。
「常に真実を伝えることだけが正しいこととは限りません。ここにいる皆さんにとっては、今起きていることが事実なんです。それでいいじゃないですか」
ねっ――と、ぼくに笑顔を向ける杏珠さん。その笑顔はこれまで見た彼女の笑顔の中で最高の笑顔だった。
杏珠さんの言うように、杏奈さんが亡くなった後にこのような光景を見たのは初めてだった……いや、杏奈さんが生きていたときもこれだけ沢山の笑顔に満ちたことはなかったかもしれない。
「だから、わざわざ水を差す必要なんてないんです。――それに、母はこれを実現するために『世界の終わり』なんていう大それた予言をしたのかもしれないじゃないですか……」
杏珠さんがホールに目をやりながら隣に立つぼくの手を握ってきた。
そして、ぼくに聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、「ありがとうございます」と囁くように言う。それがぼくに対するものなのかそれとも天国にいる杏奈さんに対するものなのかはわからなかった。
杏珠さんはこれを実現するために杏奈さんが世界の終わりを予言したと言った。
母杏奈と言う強力なカリスマ性を備えた偶像を失った後カムライ鏡が失速することを見越して、信者たちの結束を強めるために杏奈さんがこれを仕組んでいたと言いたいのだろう。
でもそうなると、この状況を作り出す大きなきっかけになった予言のメールはいったい誰が送ってきていたのか? という謎が残る。
まさか死んだ杏奈さんが――なんてのはあり得ない。
だからきっとすべては偶然なのだ。そしてその偶然を杏珠さんが必然に変えただけなのだ。――と思ったけどそれは本人に言わないことにした。だってそれこそ、水を差す行為になってしまうから。
ぼくは握ってきた杏珠さんの手をギュッと握り返す。彼女が驚いたようにぼくの方に顔を向ける。
そして、お互いに笑いあった……




