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陰猫(改)の自分観測

 人が人と認識する時、少なからず、なんらかのグループに属して認識する。

 頑張り屋、仕事が出来る、真面目、細かいなど、ある程度の区分に属しているかの基準で人はその人物の印象を記憶し、理解を得ようとする。


 しかし、実際の人間性とは自身でも解らないものである。

 理解は出来るが受け入れられないーーまたは理解は出来ないが受け入れられるーー人の思考パターンは確かに限られて区分出来るかも知れないが、細かな差異までに判別するのが難しい。


 私は私を文として観測し、その固有の思考を考察した。

 そうすると自分でも解らない未知の領域に到達するに至った。


 私は私を知らない。自分がない訳ではない。

 そして、自分を知らないと言う事自体は誰にでも言える。

 自分の思考や体験など人の人生を知るには本一冊では足らない程、膨大な時間を有する。


 自身の思考を理解するのにはその個人差はあれども、果たして、いつになるやら。

 ましてや、無限に広がり続ける作品を語る人間の思考とは如何様なものなのであろうか。


 時間は有限である。自分自身を知る事が出来るのはいつになるやら。

 故に私は私をテーマに作品を考える。


 私が私を私として認識出来るまでーーより正確に述べるのなら、認知症などで判別が出来なくなる前にーー私は私を見付けたいと思う。

 これまでの人生は波乱に満ちた人生であったし、これからもどうなって行くかと言うのは誰にも解る事ではない。


 突然、その日が来るとも解らないし、事故で機能不全になるかも知れない。

 本当に解らないから、私は私の思考を観測し続け、作品を描く。


 それは恐らく、私が私でいる内は変わらないであろうし、アイディアが溢れる内は続くであろう。

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