自分の意識について考える
また思いついたので記しておく。
自らを分かる事で自分と書く訳だが、そもそも自分とはなんぞや?
この意識があるからこそ、自分の事を自分と確認出来るのだろう。
では、この当たり前に存在する自分という意識はどこから来て、どうやって作られたのか?
生命が生命たる三大欲求を満たすのであれば、自我は不要な存在だろう。
しかし、我々は当たり前のように自分を自分と捉えている。
自分とは何か?この意識している自分はどこから来たのか?
人間の科学でも自分の中の意識を明確に言葉や形に出来る者は存在しないだろう。
それこそ、神でもなければ、解らない事なのだから。
前世の記憶を保持していたとしても、それを実際に体験したその意識は果たして自分だったと言えるだろうか?
思い出す事は可能だとしても、その時の自分の意識と前世の記憶の意識が同じであると証明するのは極めて困難である。
平行世界が存在した場合も然り。同一に存在するとしても、それは果たして全く同じ自分の同じ意識で考えていると証明出来るだろうか?
自己を証明出来る意識が複数存在した場合、共有して物を捉えるのか、それとも個体の差異で別の意識として認識されるのか・・・。
これらを踏まえ、自分の意識について科学的に証明出来る日は来るのだろうか?




