「騎士になりたかった魔法使い」~完結記念短編~
「騎士になりたかった魔法使い」の後日談よりも少し未来が舞台。
ヒロインのココ視点による、本編には余り無かったちょっと甘めのお話です。
※本編未読の方には盛大にネタバレになっておりますのでお気を付けください。
その夜、私は騎士寮の自室で本を読んでいた。魔術書ではなく、フリクティー王国で買った、深窓の令嬢が主人公の恋愛物語だ。
恋を知らなかった彼女が屋敷を訪れた男性に一目惚れをし、恋を実らせるために奮闘するストーリーで、恋愛の勉強のために手に取ったはずなのに、すっかり引き込まれてしまった。
私自身、貴族の娘ですしね。お姫様を護衛する騎士なので決して「深窓の」令嬢ではありませんが。
とにかくそういった事情から、私は「それ」に気付くまで少しばかり時間を要してしまった。
「にゃあ」
「きゃっ」
突然聞こえてきた声にドキッと胸が、いや、体全体が震える。取り落としそうになった本を慌てて掴みつつ振り返ると、部屋の入り口のところに真っ黒い何かが居た。
「……猫? テトラちゃん?」
真っ先に口をついて出たのは、ヤルンさんの使い魔の名前だ。その猫は彼の魔力によって生み出された子に良く似ていた。でも、すぐに違うと気付く。
テトラちゃんと同じ黒い毛並みをしてはいるけれど、仔猫ではないし、瞳も青ではなく澄んだ紫色をしている。
「こちらへどうぞ」
敵意の代わりに強く感じるのは毎日触れているヤルンさんの魔力。そのせいもあってテトラちゃんと間違えたのだろう。私はそっと手を伸ばした。
彼の遣わした子ならきっと大丈夫。少々口は悪いけど、とても優しい人だから。
「にゃあ」
黒猫はまた鳴いて、トコトコとやってくる。長い尻尾がゆらゆら揺れて可愛らしく、私は頭をするりと撫でてみた。なんて温かくて柔らかい感触……!
思わず嬉しくなって、ぐいっと抱き上げる。頬を寄せるとスベスベと気持ち良くて本当にたまらない。
うーん、猫はやっぱり素敵ですね。あ、犬も好きですよ?
「にゃっ、にゃにゃっ」
「ご、ごめんなさい」
猫はくすぐったかったのか、ジタバタと暴れた。私は謝り、ベッドに腰掛けて膝に乗せたところでようやく気付く。ピンと三角に立った左耳に付いているのは、非常に見覚えのあるものだった。
「えっ、カフス?」
そう、それは自分も耳につけているカフスだ。しかも、どう見ても真っ黒い石が嵌め込まれている。それではこの猫は……。
「も、もしかしてヤルンさんですか!?」
猫は返事をするかのように、腕の中で「にゃあにゃあ」と鳴いた。
何がどうなっているのでしょう。どうしてヤルンさんが猫の姿に?
軽くパニックになりかけたけれど、まずは落ち着いて状況を把握しようと意識を集中した。
「……やっぱりです」
この、誰よりも周囲に強く放っている魔力の気配を、何年も一緒にいる自分が間違えるはずもない。
正真正銘、オルティリト師匠の弟子で、魔導師で、セクティア様付きの騎士で、そして私の婚約者であるヤルンさん本人。
念のためにと手首の刻印でチェックしてみても、結果は同じだった。
「にゃうぅ」
「あらら、そんなに気を落とさないで下さい」
彼らしき猫が情けない声で鳴くので、私は宥めるようにまた頭を撫で始めた。自分の意思で猫になったのではなく、恐らくはまた魔力の制御に失敗してしまったのだろう。
前にも数度、似たような事件があった。その時も女性や子どもの姿になり、戻れずに困っていた。私はどちらの姿も可愛くて好きなのだけれど、ずっとそのままというわけにいかないのも解る。
しかも、どうやら今回は「変装術」ではなく、更に上位の「変身術」の方が勝手に発動してしまった様子。つまりこれは幻ではなく、限りなく本物に近い猫ということになる。
待ってて下さい、今戻しますと言いかけて、少しだけ勿体ない気がした。今のところは魔力も落ち着いて危険もないみたいだし……。
「その前にちょっとだけ、良いですよね」
「にゃ? にゃっ」
真っ黒な体を持ち上げ、きゅっと抱きしめる。猫は小さく悲鳴のような声をあげつつも、腕の中から逃げ出そうとはしなかった。いつものヤルンさんと一緒の反応で、少し面白い。
それにしても、本当に心地よい温もりと柔らかさ。それに仄かに甘いような、不思議な匂いがする。魔力の香りだ。
強い魔力を持つ魔導師だけが発するもので、「香り」と言い表しつつも厳密には匂いとは違う。
感覚を狂わされるのであまり嗅いではいけないのだけれど、私は気持ちがほわっとする匂いが好きでつい体を寄せてしまう。魔術が発動している最中だからか、今は特に強く香っている気がした。
キーマさんの仰る通り、中毒なのかもしれませんね?
「良い匂いです……」
「にゃう、にゃうー」
猫はいよいよ嫌そうに鳴いている。確かにクンクンと匂いを嗅がれるのは恥ずかしいかもしれない。でも、普段はなかなかこんな風にぴったりくっ付ける機会もないし……。
「あと少し、もう少しだけお願いします。……きゃっ」
お願いしたら観念したのか、大人しくなった。と思ったのも束の間、ぺろりと鼻先を舐められてしまった。彼はとても照れ屋で、そんなことをするとは思わなかったので私は驚く。
「く、くすぐったいです」
反応が面白かったのか、更にぺろぺろと鼻先を舐められる。「匂いを嗅ぐな、早く戻してくれ」と言いたいのかもしれない。でも、どんなに嫌でも爪を立ててこないところはいかにもヤルンさんらしい。
「にゃあにゃあ」
猫は前足を振って一生懸命に抗議している。すると、触れているところから魔力の流れを感じた。変身術を行使しているから、当然魔力は減り続けていく。
助けを求めてきてくれたのに、あまり焦らすのも可哀想だ。それに彼の優しさに甘えてばかりいると、離れていってしまうかもしれない。それは困るし、嫌だ。考えるだけで耐えられそうにない。
「分かりました」
私はにこりと笑いかけ、猫の体から魔力を吸い取っていく。その量がある一点を下回ると術が解けて……。
「わっ」
私は猫でなくなったヤルンさんの下敷きになっていた。今の今まで膝に載せていたのだから当然だ。そして鼻を舐められていたため、紫のツンツン頭もかなり近い距離にある。
髪と同じ色の瞳を見開いたままのローブ姿の彼に、もう少しだけ近付く。二人の距離が限りなく近くなり、そっと触れ合う。数秒後、ヤルンさんは一気に真っ赤になった。
「な、ななっ、何するんだよ!?」
「何って、お返しの鼻キスですよ? ヤルンさんも、私の鼻を舐めたじゃありませんか」
「は、鼻キっ……、舐めたのはココがなかなか元に戻してくれなかったからで……!」
「だって、凄く可愛くてふにふにと柔らかくて、良い匂いがして気持ち良かったんですもん」
素直に思いを伝えると、彼は「わーっ、感想を列挙すんな!」と大いに慌てる。
「また猫になったら触らせて下さいね? あ、他の姿の時もお願いします」
「なんで他の姿までっ!?」
私はその疑問をまぁまぁと宥め、再びにこりと微笑んだ。せっかく二人きりなのだし、このまま「お休みなさい」では非常に寂しい。ヤルンさんの両腕に触れていた手に力を込めて言った。
「では、今日はこちらをお願いします」
「へっ? ええっ!?」
顔をやや上向きに傾け、目蓋を閉じれば何を「お願い」しているのか絶対に伝わるはずだ。真っ暗な視界の中、彼が驚きの声を上げた後でゴクリと唾を飲みこむ気配がした。
「……良いのか?」
「駄目なら『お願い』しません」
きっぱりと断じる。私は騎士で魔導師だから、弱い相手にこの身を許すつもりはない。パートナーにはそんな自分を御せる実力を求めるし、ヤルンさんにはそれがある。
ただ、彼が強硬な姿勢で来ることがないだけで、その気になれば私は行動不能にされてしまうだろう。
――などと全く雰囲気のないことを考えている間にも吐息が近付くのを肌で感じ、柔らかいものが唇に押し当てられた。
ドクッ! と胸が弾む。体が熱くなり、鼓動も一気に加速する。
日常ではほとんど覚えのないときめきと、他の時とでは比べ物にならないほどの濃い魔力の気配、そして噎せ返るような甘い香りに包まれる。きっと彼が相手でなければ得られないだろう感覚に浸った。
数秒の後、唇はそっと静かに離される。瞳をゆっくりと開くと、先ほど以上に真っ赤になったヤルンさんが居た。目を逸らしながら「これで良いのかよ」と聞いてくるので、私は三度微笑んだ。
「はい。すっごくドキドキしました。特に……」
「だから感想を列挙しなくて良いからッ!!」
12歳の時から一緒にいるけれど、何年経っても、どれだけ魔術の腕を上げても、この人はちっとも変わらない。だからこそ、これからもずっと隣にいようと思うのだった。
主人公視点の本編・後日談にはない甘さが少しでも伝わったでしょうか?
ネタを思い付いて書いてはみたものの、本編には(時系列的にも)どうにも入れ辛くてお蔵入りしかけたお話でしたが、こうしてお披露目出来て嬉しいです。
お読みくださってありがとうございました。
追記1:主人公視点である「対」を投稿してみました。
追記2:外伝の投稿を始めました!